火照りを冷ますように

~現在~

「あっつ…!」

欲望に 身を任せて 流し込んだ水分が 過多になって 腹部を 跳ね回っている感覚。

それでも 押し寄せる熱風に 涼やかの要素は 微塵も無い。

壊れかけのエアコンから 吹き出すのは やはり 熱風で。

そこで 満を持して 登場したのは 二年前の夏祭りで 配られた『納涼』の文字が 鎮座する『団扇』だった。

そもそもの熱風を 掻き回すだけの道具にしか なれないと 思いきや 扇いでいるだけで 心が 涼しくなっていく感覚を 覚えるから まぁ 不思議だ。

「あれから もう 2年経つんだもんなぁ…」

汗ばみながら 見上げた天井に 何かが あるわけではない。

ただ 天井に『セルフ・プロジェクション・マッピング』を 施してみただけのことだ。

~2年前 夏~

久しぶりに 帰った故郷は 都会に住んでいる俺からすると 余るほどに 涼しかった。

「やっぱ こっちの気温って 違うわ!」

隣にいるのは 父さんと母さんだった。

「久々だから 余計だろう…優(まさる)?」

穏やかな雰囲気の父さんが 俺に 問い掛けた。

学生時代は 厳しくも 厭らしさの無い叱責をくれた 父さんも 幾分 老いには 勝てないようで 白髪の量が 増えた。

「あっちは 暑いものねぇ~。」

同じく 穏やかな口調の母さんも 同時に 問い掛けてきた。

母さんとは 昔から 対立することが あまり無かった気がする。

それこそ 父さんに 厳重に怒られて へこんでいると そっと 飲み物やら 食べ物を 差し入れしてくれる そんな女性だと 知っている。

「そうだね…ヤられてしまいそうになるよ あっちの夏は…」

染々とした表情で 遠くから聞こえる 祭囃子を 耳に 染み込ませてみる。

「しかし 優が 夏休みを取って 帰ってくるなんて 何かあったな?」

茶化すような視線を 向けてくる両親。

「なんも ないよ。 ただ 二人に 会いたくなっただけだって。」

これは 明らかな強がりだった。

正直な所 仕事に対しての悩みを 抱えていた。

職場の先輩が 気を利かせてくれたのだ。

「先輩…このままで いいんですかね 俺?」

新卒で 入社してから ずっと 世話になっている諏訪先輩に 会社終わりの居酒屋で こんなことを 口走ったのだ。

「さぁな…悩んでいるってことは それだけ 真剣ってことだろうなぁ…優も たまには 親父さんと お袋さんの顔でも 見てきたら どうだ?」

初めは 諏訪先輩が どうして そんな突拍子も無いことを 言ってくるのか 分からずにいた。

「少し 離れてみて 自分の気持ちに向き合う時期に来ているのかもしれないぞ? それに 親父さんとお袋さんに 会ったら 何か 手掛かりが 見つかるかもしれないしな。」

優しい眼差しで そんなことを言う 諏訪先輩の瞳は どこか 物憂げな雰囲気を 醸していた。

「そうですね…入社してから 夏休みって 取得したことも無かったですし この機会に 取ってみてもいいかもですね。」

漸く 諏訪先輩の言いたいことが 分かって 優は 夏期休暇を 取得することを 決めた。

「明日も 早いし 今日は ここらへんで 御開きにするか 優?」

諏訪先輩が 高らかに 宣言する。

「そうっすね! また 相談させてください。」

一礼して お会計 を 済ませる。

大将の『ありがとうございやすっ!』が 暖簾の奥で 鳴り響いていた。

そのまま 優は 帰路に着き 明日に 備えて 眠りについた。

(明日 課長に 話そうっと。 早めの方がいいよな こういうのは。)

~居酒屋 解散直後~

諏訪は 優に 掛けた言葉を 噛み締めていた。

(親父とお袋か…俺も たまには 顔出さねぇとな…)

諏訪は 両親の顔を 思い出しながら マンションのセキュリティを 解除して 自室へと 向かった。

玄関を 開けて 暗い部屋に 照明を灯す。

「帰ったぞ…親父 お袋…」

諏訪は 奥の部屋にある 仏壇に向かって 語りかける。

「会える時に 会わないと 俺みたいに 後悔するもんなぁ? 可愛い後輩に 同じ轍は 踏ませらんねぇよ…俺は。」

会いたくても 会えない。

その淋しさも もどかしさも 知っているからこそ 優に対して あの言葉が 出たのだろう。

「優…どうなっても 後悔するんじゃねぇぞ…」

諏訪は 横たわったソファーから 聞こえなくていい だけれど 届いてほしいエールを 贈ることにした。

~二年前 夏~

「この祭囃子 聴くのも 久しぶりだもんなぁ…」

儚げな表情を 両親が どう思ったかを 知る術を 知らない。

だから 知らなくてもいいのだろう。

祭囃子が 近づくほどに 人混みと 入り雑じる声は 数え切れなくなっていく。

ただでさえ うるさいノイズの中で 優は 父親の耳元に 近付いて 微かな声を 上げた。

「…父さん 後で 話があるんだ…」

それを聞いた父親は 少し 頷いて 母さんに バレない程度に 俺と 目を合わせた。

田園の広がる 大きな道の先に お祭り会場があることを 知ったのは 幼い時だ。

物心がついた時には この祭囃子が 心身に 溶け込んでいたように思う。

そんな懐かしさを 成長する稲穂に 映しながら 会場に 着いた。

「…優じゃない?」

不意に 聞き慣れた 懐かしさの残る声が 鼓膜を揺らした。

「…由衣?」

思い出すよりも 心が 反応するように 応えていたことに 後に 気付く。

「あらぁ…由衣ちゃんじゃない!?」

そういえば 母さんと 仲が良かったっけ。

優は 由衣に翳りがあることを すぐには 告げることが出来なかった。

「久々なんだろう?…母さん 二人にしてあげよう。」

父さんが 機転を利かせてくれた。

「本当に 久しぶり過ぎて…高校 卒業してから もう 6年だもんね…」

まるで 電柱と電柱の間みたいな顔をしている。

「由衣も 悩んでる感じ?」

さぞ不細工な笑顔だったことだろう。

「何 その顔?笑 作り笑い 相変わらず 下手くそなままだね。」

別に 付き合っていた訳ではない。

ただ よく二人で 色々な事を 話していただけだ。

それは 優だけじゃない。

きっと 由衣も 今になったから 気付いている。

お互いを 尊重するばかりに 踏み込むことを お互いが 避けた。

でも そこには 確かな愛情が あったことを。

だから お互いが 言葉を交わさずとも どんな感情かを 察し合っていた。

「今のままでいいのかなぁってさ…」

優は 息を吐くように 排気ガスを 宙に 撒き散らした。

「…なんだ 同じようなもんか笑」

由衣は 優が 言いたい事を ある程度 知っていたから すんなり 返してみせる。

優は 由衣が 自分が 伝えたい事を 理解してくれると 信じて 疑わなかった。

暫く 無言の二人に 小さな影が 無邪気な声を 放つ。

「お兄ちゃん! お姉ちゃん! これ あげる!」

可愛らしい三つ編みの女の子が 祭の満喫感を 全身で 表現するように 団扇を 二枚 手渡してきた。

「なぁ…由衣。」

「…何?」

フィナーレへ向かう祭囃子は 過激さを 緩めることはない。

そして 優が 進む道は 激流と化すかもしれない。

「素直になるか…二人で。」

「…少なくとも 後悔は しなさそう。」

微笑んだ二人は これまでを 払拭するように 幾度と無く 唇を 重ね合わせた。

~現在~

「優! 遅くなっちゃった!」

仕事を終えた由衣が バタバタと 玄関を 乱雑に 開けて 靴を 脱ぎ捨てて 飛び込んできた。

「とりあえず 靴を揃えて 玄関 閉めた方が。」

二年前に あどけない少女がくれた団扇を 眺めながら 冷静に 返す。

「それね。」

引き返して 素直に 靴を揃えて 玄関を閉める後ろ姿を 愛しいと 思える。

「なぁ…由衣。」

「…うん。」

「あれから 2年 経つんだよなぁ…早いな。」

「あっという間だったよね…本当に。」

蚊取り線香の香りが 充満する部屋に 優と由衣が 居る。

「ほれ!」

由衣に向かって 二年前の団扇を 投げ渡した。

「思い出すね…あの日が 無かったら ここには 居なかったわけだから。」

思い通りに生きられない自分に 優も 由衣も 苛立ちを 覚えていた。

二年前までは。

きっと これが 本当のパートナーという感覚だと 信じている。

熱暴走を起こしかけていた心を 冷却しながら 方向を 一緒に 探していける関係。

それに 成れた。

お風呂に入っても 中々 汗が引かない この季節に かき氷を 食べなくても 穏やかでいられる。

火照りは 知らぬ間に 治まっている。

※この作品は あたすのフォロワーである『優まさる』様に テーマをいただき 作成したものになります。

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