超個人的ウィルス論

今 世界中で 新種のウィルスが 猛威を ふるっている。

世界中が それぞれに出来る対処を している。

それでも やはり 感染は 完全には 抑えきれない。

それに 対して 憤りを抱くのは 違う。

私は『ガソリンスタンド』という場所にいる。

それこそ 不特定多数の方々に対して 接客をおこなっている身だ。

いくら マスクをしても のど飴を舐めても 薬を飲んでも かかる時は かかってしまう。

それは もう 仕方のない 諦めるべき 事実だと 思う。

私が なりたくないのは 過敏になって 誰かを 疑うことだ。

それだけは してはいけない。

何故なら それは 他人に対して 猜疑心を持って 接して プラスに 向かうことは ほぼ無いといっても 過言ではないからだ。

もしかしたら 自分自身だって 感染していて 潜伏していたり 発症していないだけかもしれない。

何も ウィルスをばらまいてもいいと 言っているわけではない。

ただ それじゃ『心が痩せ細る』のだ。

負の感情の連鎖ほど 思わぬ 事件を 引き起こす『トリガー』になってしまう。

私は お医者さんじゃない。

だから 治療や対応に どれだけの労力や気遣いを 要するかを 知らない。

それでも やっぱり 受診したいと 望む患者さんが そこにいるのなら 受診させてあげてほしいと 願ってしまう。

特定の症状が出ていないと ダメだというのは 悲しい。

それこそ 早期に見つかることで 助かる命がある場合も 大いに有り得る。

私は『感染が拡大』することよりも その『負の感情が拡大』することの方に 憂いを 抱いてしまう。

これも 超個人的理論ではあるが 感染して 命が奪われてしまうのであれば 私の人生は そこが『終着駅』なのだろうと 考えている。

それくらい 毎日に 手を抜かずに 生きていく。

志半ばで 力尽きるなら 本望だ。

自分に対して『意味』を 持たせるのは いつだって『他人』なんかじゃない。

『自分』なのだ。

かかりたくはない。

でも かかってしまったなら 受け入れて 立ち向かっていくしかない。

そんなことを 思う ふゆほたるでした。

皆様 こんなことを書きましたが 充分に 注意なさってください。

私は 皆様に 会えることを 心から 願っていますから。

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