罪悪感の正体と感情
どうもニジルです。
今回は興味深い動画を見つけて
思わず見入ってしまったものがあったので
ご紹介いたします。
テーマは罪悪感について
あなたは罪悪感と聞いて
どんなことをイメージしますか?
あるいは感情だと思いますか?
今朝、例によっていつものごとく
息子氏を保育園に連れていくのですが
出かける直前でお口にレーズンをためた状態で
「ほいくえんイヤだ」とのたまわれるわけでして
彼の感情と気持ちをはかりつつも
分離しながら、一時の気の迷いかもしれないと
0.5秒ぐらい感じて
そしてちょっぴりの罪悪感を感じつつ
前を向く。
育児、保育園行く前あるあるな気がしますが
どうでしょうか?
他にも仕事では、もしかしたら
お金を頂いて仕事をさせてもらうことや
例えば、なにかの製品の値上げを
をエンドユーザーに伝える事
愛用しているはちみつやお世話になってる
飲食店の方に
「心苦しいですが、物価高騰に伴い値上げします」
ということを言われたり
罪悪感にフォーカスしてみると
案外身近な感情、感覚でもあるのかなと
のちほど動画のリンクを貼りますが
拝見した動画の中に出てきた
罪悪感のひとつの定義
自分が悪でいるという自覚を持つことで
罰を下せているという価値観
なるほど、とても面白い切り口だなと
感じる反面、
なんでわざわざこんなドMなことするのかなと
疑問がわきつつ
動画内の解説では
それによって(酔って・依存して)
自分が何とか生きていてもいいと思ったりする
アイデンティティーを保つために
エゴが仕込んだ価値観
(※エゴとは本来の自分ではなく、感情を体験したい
演出家のイメージでおります)
と教えてくれています。
自分が自分でいるための説明
あなたは何者ですか?という問いに対して
他人に説明する、名刺の肩書
ポジションを説明するものとして罪悪感を使っている
例えば、
身近な人を傷つけてしまった
損させてしまったとかで罪悪感を感じて
過去こんなことがあった自分ですと
名刺代わりに差し出す。
じっくり言葉を味わうと、なんとも
窮屈な名刺だなあと。
もらう方も嫌だろうなあ
そして受け取る側でもいやだなあと
感じたニジル。
少なからずやっている自分に気が付けました。
罪悪感は自分と自分の関係
だと気が付くことが大切で
罪悪感はアイデンティティー強化目的に使われる
自分が何者かを維持するために
わざわざ悩みを造り出して握りしめて
うーん、人生楽しくならなそうという
ざっくりした感覚と
やっぱり相手もいやだろうなと
じゃあどうしていくのか?
動画内の解説では、
(罪悪感を感じたい)エゴの傾向に気がついたら
【!!重要!!】
★★★渦中から離れていく★★★
昨日の記事でも書いたお金と距離をとると似ています
お金のこと・稼ぐこと・人間関係
健康あらゆるジャンルで
頑張って自分でいる
何かの悩みを握りしめて想像して、創り出して
その材料で自分を定義しない。
罪悪感から造り上げた自己像をあきらめてみる
名刺を差し出す相手のことは
一旦横に置く
他人に自分を説明するという視点が加わると
比較することが多くなりがち。
だからこそ、いったん横に置いて
まずは、罪悪感は自分と自分の関係だと
手触り感をもって引き戻す
そのうえで、
エゴはそう考えているんだねと
認めて、客観視していく(渦中から離れる)
その次に
相手との関係を考えた時
罪悪感を使って何をしているのかを考えてみる
アドラー心理学でも出てくる
裏に隠された目的(意図を)感じてみると
例えば、相手を傷つけてしまった
(それに自分は罪悪感を感じています)
相手がその出来事をずっと気にしてる
(気にして欲しい)
ということを潜在的に推奨している
私はこれをずっと気にしてるから、
あなたもずっとこれを気にしてよね
相手が気にしてないことも
相手は気にしているはずだと、
「気にしている領域」にとどめたい
文章を書いていて、典型的な
メンヘラ事案だなと苦笑してきました、笑
重たくならないように、秘策として
そのメンヘラちゃんに名前を付けて
認識して、認めておきましょう。
くれぐれも感情に蓋をなさらぬように
ご注意願います。
電車が駅のホームに入ってきた時
黄色い線の内側におさがりいただくように
ご注意願います。
そういや今朝も、猛スピードで
息子氏が走らせてきたおもちゃの電車に
足を轢かれたのは記録として残しておきます、笑
あとで暴発しますので(^^;
そうですね、名前をつけるなら
「かまちょメンヘラちゃん」
他によいお名前があれば
絶賛、公募中ですw
話は戻りまして、
これって、自分のエゴが作り出した
コンフォートゾーンにとどめて
変化していくことを避けたい現れなんだなと
自分はもとより相手もそのまま変わらないで欲しい
コントロールしたい欲求も含まれている気がします
過去に生きているようなものだなあと
ではこのかまちょちゃんとどう付き合ったらいいのか?
相手も自分もがんじがらめの硬直した状態から
抜け出て楽しめる状況をイメージして望む
これをやっていくのがいいのでは
と、提案をしてくれています
具体的には
相手のことを意識してると言ことは
大切に思っている、
気にかけて
ちゃんと応援していくことをする。
その方法を採用するにあたって
わざわざ使わなくていい
ネガティブ寄りの罪悪感を使って、
相手を大切に想う気持を示している。
攻撃することで、ネガティブな感情で
相手へ気持ちを示さなくてもいい
自分のジャンルで言えば、
お金を敵視したり、ネガティブに比較したり
しないようにする。
仮にそうした行為であったとしても
実は、これもこれで(仕事・人)
大切に想う「愛」という認識に変える
という新しい切り口視点が加わりました。
暗黒面からジェダイのフォースへ
(スターウォーズわからない人はごめんちゃい)
ほんとおすすめの動画なので
ご自身の状況と感情と照らし合わせて
感じてみて下さい。
最後に
いままでのお話は、罪悪感を抱いた自分が
相手に対してどうアクションをしているかでしたが
逆に相手からひどいことをされた
ここで発生する感情についても補足です。
「こんな大切な自分になんてことするんだ」
=その怒りは自分自身への愛
=なーんだ、ちゃんと自分のこと大切にしてるじゃん
ネガティブストーリーから解放されていい
いつからでもポジに切り替えてもいい
それでも
エゴが許さない、騒ぎ立てることもある
=それはそれで言い分を聞いて認める。
手放せなくてもダサいと思わない。
一方で
いつまでも浸り続けているのは
いまいちなので
渦中からは離れて客観視して、
そことリンクしないと思えばいい。
事象や対象に近づきすぎない
本当の問題は
ネガが握りしめるストーリーに依存して
自分は何者かを証明しようとすること。
(アイデンティテーの維持・強化)
一見マイナスな罪悪感を通して
闇の力から、光の力、自己愛への転換をしてみる
気が付いてみるもの面白いなと感じました。
抽象的な話でしたが
人生を軽くしていくために感情を知る
これが大きなレバレッジに(てこの原理)なると
過去の経験から感じるので
記事にしてみました。
結びに参照させていただいた動画のリンクを載せておきます。
是非ご視聴ください、おすすめです!
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(勝手に宣伝しておきます☆)
今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
フェリファブ哲学【楽に生きるための知恵】さん
動画はこちらから
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