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アオとアオイとハマダ、そして新たな雇われ人

今日もまた朝5時半に起きてお風呂に入った。
湯船に浸かりながら、ふとわかったことがある。
私の中には3人の人格がグラデーションとなって存在していることに。

私は昔、特に高校生の時、とても面倒くさがり屋だった。
何をするにも自信がなく、それを隠すために「面倒くさい」という言葉で何もしてこなかった。「面倒くさい」という言葉は自身の行動を制御することができ、勇気がいらず、とても便利だった。その裏には失敗への恐怖があり、失敗することは恥ずかしいこと、死に値することだと無意識のうちに感じていた。

少しでも自分が失敗したと感じた時、当時の私はすごく落ち込んだ。他人から見ればとても些細なことだったとしても、自分からすると自身の存在を否定せざる負えないほど苦しくて、死にたいとは考えなかったが、消えてしまいたい、居なくなりたいという気持ちは確かにあった。「死にたい」を考えなかったのは、きっと「死」という言葉が家族と過ごす日常生活のなかで現実味を帯びていなかったためだと思う。それは母に感謝だが、小学生の頃から家にいても「帰りたい」と思っていたし、家出の欲求が絶えず心のどこかにあった。

この、失敗を「恥」として、自身の存在まで否定してしまう人格。これがはじめの「カメイ」であり、後の「ハマダ」という人だった。そして私の中にはハマダ以外に、アオとアオイが存在している。

アオは基本無口で、何を考えているのか自分でもわかっていなかった。しかし、感じていることは確かにあって、その感受性はとても豊かなのだ。そして、アオイはそんなアオの翻訳者であり、一番社交性がある。アオイは一人称が「私」で、基本他人とお話しする時はこのアオイが前に出て話をする。

私は昔から独り言が多かった。学校からの帰り道など、独りになると内側で語りかけてくる声と会話することが好きだった。その声の正体はアオの断片だった。アオはとても恥ずかしがり屋で、他人がいたら口を開こうとしない。でも、アオイと共有したいことがたくさんあるので、独りきりの時に重い口を開こうとする。アオイもアオのことが好きなので、話を聞きたいと思っている。二人は風景を観察しながらおしゃべりすることが好きで、よく散歩をしながら話していた。

昔、名前を呼ばれることが苦手だったのは、アオの存在を知られたくなかったからかもしれない。高校生の自己紹介プロフィールの備考欄に「名前で呼ばないでください」と書いてしまうほどに、名前を呼ばれることが苦手だった。カメイの名で呼んでもらうことで本心を隠す選択をした。そのこともカメイが幅を効かせる要因だったのかもしれない。

昔から名前は記号だと認識していた。でも、本当のところでは呼び名にすごくこだわりがあって、内と外を分ける言葉だと無意識に感じていたのだろう。呼ばれる名前は人格の形成にすごく影響を与えていた。

しかし、大学に入って「アオイ」と呼ばれることに抵抗が薄くなり、さらに苗字で呼ばれることに違和感を持ち始めた。外界に対する主たる人格が「カメイ」から「アオイ」に変わったということだろうか。昔ほど自己否定することは少なくなり、勇気を出すことに抵抗がなく、素直に生きることができるようになってきた。その方が面白く楽しかった。

しかも去年4月には「カメイ」から「ハマダ」に苗字が変わった。元・カメイはそのことが嬉しかったらしい。ハマダという新たな名をもらったためか、自身の行いに対する自省はあるものの、カメイの時に感じていた他者に対する恐怖心や劣等感はまたさらに薄くなっていた。

逆に言うと、親が離婚してから10年間も苗字を変えなかったのは人格が変化することを恐れていたのかもしれない。カメイが消えたら何になるのか、想像がつかなかった。だから、苗字を変えなくてはならないという段階に入った時、自分の好きな苗字に変えられないか真剣に考えた。漠然と好きかも?という苗字を考えて、神社に姓名判断をお願いしに行き、カメイ、ハマダ、それ以外の苗字の可能性を検討した。法律的にはもうハマダになるしかなかったのだが、「神は細部に宿る」ということで自身の可能性を隅の隅まで考えたかった。

カメイはハマダに変わった。さかのぼると、ハマダの家系は徳島の船を造る材木屋だったらしい。祖父も曽祖父もとても穏やかで優しい人だった。特に、祖父は家族に対する愛情を静かながらも深く持つ人だ。苗字を変えた時は少し戸惑いもあったが、現・ハマダは自身の中にあるハマダという響きを嬉しく思っているらしい。

この文章を書いているのは「アオイ」であろう。アオイはアオの翻訳者でありつつも、元・カメイであるハマダへの理解者でもある。

でも、本当のところでは、アオイは研究がしたいのだった。アオの研究、カメイとハマダの研究。どうしてカメイが自己否定を繰り返したのか。その根源的な寂しさ、孤独はどこからやってきていたのか。そして、アオイの人格が主になり、ハマダに苗字を変えたことで何が楽になったのか。その理解には、先祖巡りが必要だ。対峙する。このことからは避けられないと心のどこかで気づいている。先祖巡りができるくらいに資金が集まれば、決行しようと思う。

そして気づいたことがもうひとつ。アオイはアオの翻訳者だったからこそ、他人の翻訳も可能になったと考える。アオは基本無口なので、アオイがアオの感じていることを汲み取ってあげる必要があった。感じていることは膨大にあるはずなのに、それを言葉にできないことが、思考に変えられないことがとても不自由だった。その感情を思考に変える、それには技術が必要だった。その技術こそが、文章で、音楽で、美術で、芸術で。表現するとは、感情を翻訳することでもあるのだと気づいていた。

先日、友人から「宇宙には全部ある」という話を聞いた。人は芸術を使っても、その宇宙の一部しか汲み取れないらしい。これは、私の中の感情思考論と似ていると思った。体系化させ、空間性を持たせるには、知識と技術が必要になる。そしてそれを遂行するには圧倒的な事務能力が必要なのだろう。

さて、まとめから今後の展望を。アオは無口な子どもだが、豊かな感情と感覚を持っている。ハマダはそのアオをいじめがちで、自省を訴えかける。アオイはアオとハマダの翻訳者であり、外界との交易を行う。主に身体を動かしているのはアオイで、文章や絵やギターを弾くのは翻訳者であるアオイだった。しかも、今まではアオイには不得意なのにもかかわらず、全体の事務管理まで任せていた。

しかし、アオイが今日お風呂場で「もう、仕事多すぎだよ」と言ってきた。そこで全体会議を行った。そこで、新しく事務担当ができる人を雇うことにした。赤縁メガネの美人な女性。その人の名はジェイミーといった。

これら全ては、昨日から読んでいる坂口恭平の『生きのびるための事務』から出てきたアイデアだ。それぞれの人格に役割があるのだと気づいて、気が楽になった。イマジナリーフレンドというわけではないが、このかんじで日々を過ごしてみる。

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