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一歩ずつ。

気づけば年末。
年々、1年が過ぎるのが早く感じるのは気のせいでしょうか。
何ならこの書き出し、去年も似たようなこと書いた気がしているぞ…。

26日に仕事を納めて、冬休みに突入した。
クリスマスパーティーも忘年会も無い日常に慣れてしまったし、自分で積極的に行事を楽しむ方では無いから、季節ごとはいつもぬるっと過ぎてしまう。もう少し、そういうのも大事にしたいなとは思いつつ。

まだ1年の振り返りらしいことがあまりできていないから、この記事を書きながら整理してみる。

自分の引っ越し、親の引っ越し、資格の学校に通って、転職活動して、恋をして、未経験の仕事を始めて、運動して、試験勉強をして試験を受けて、期間限定で同棲をして、お芝居をたくさん観て、友達と遊んで、旅をした。

家も仕事も変えたこと。
資格試験に挑戦して無事に合格できたこと。
新しい出会いがいくつもあったこと、昔からの仲も深めることができたこと。

瞬きのような速さで過ぎてしまった365日(正確にはまだ経ってないけど)、それでも私なりに一生懸命日々を過ごした。私は臆病だし、しかも前厄なわりに、結構色んな変化や挑戦をした1年だった。たくさん泣いたけど、周りのおかげでたくさん笑うこともできた。大好きな人たちが変わらずそばにいてくれること、当たり前じゃないそれが当たり前のように感じられるくらい自然で、それが本当にありがたくて嬉しい。

この1年で、多少は成長できただろうか。何を得ただろうか。何を手放したんだろうか。
答え合わせするには、きっともう少し時間が必要だ。

来年の目標をどうしようかなと考えて、ぱっと出てきたのが「自分の人生に妥協しない」だった。
今は色んなことにおいて、どちらかというと「これ"で"いい」と思っている。「これ"が"いい」ではなくて。
昔からこの「で」と「が」の使い分けは意識している。最近お会いした方も「これ”で”いいの外側に、絶対これ”が”いい!と思えるものがある」というお話をされていて、やっぱりそうだよね、と思いつつ、今の自分を省みれば「これ”で”いい」に収まっている感覚がある。
この1年で、臆病な私なりに変化や挑戦をしてきた、とさっき書いたけれど、それでもやっぱりコンフォートゾーンからぎりぎり出ないくらいの挑戦だったのかも。
来年の目標も、妥協しないという言葉が浮かんだ時、咄嗟に怖い、と思った。妥協しないということは「これ”で”いい」今を手放すことを意味するわけで、でもその先で「これ”が”いい」に出会える保証なんてどこにも無くて。「自分の中で決めれば人生は動き出す」ということはこれまでの経験で分かっているつもりだけど、思い切りのいい挑戦はやっぱり怖くて、安心材料が欲しくて、ありもしない正解をどこか外側に求めてしまう。
それとも、私が極端なのかな。0か100かの思考回路の人間だから、手放すならばさっと一切合切手放さねば!と思っているけれど、グラデーションのように「これ”が”いい」へ移行する方法だってあるのかな。もしくは、「これ”で”いい」と思っている今も、取り組み方を変えたら私のなかで「これ”が”いい」になるのかな。
そのことで最近ずっとぐるぐるもやもやしてるのだけど、怖くて動けないなら、怖さを感じないくらい小さな小さな一歩から始めてみようと思った。ただそれがどこなのか、自分事なのに見当もつかないから、コーチングを受けながら歩き始めることにした。プロが伴走してくれたら、ちょっとストレッチな目標だって安心して挑戦できる。コーチから、早速自分の価値観を整理できるような課題ももらった。年末は思ったより自分の時間がとれないけど、どうにか捻りだして、自分の内側に潜る時間を楽しもう。

まとまりがあるような無いような感じになってしまったけど、この1年もありがとうございました。
更新頻度はけして高くないものの、noteを書くのが自分の中で楽しみな時間だったりもします。
来年も、あなたに楽しいことが降り積もる年でありますように。

よいお年を!

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