2匹の魚と5つのパンで5000人の腹を満たす賢い方法

2000年ほど前のこと
腹を空かせた5000人を前にして、キリストは弟子たちに言う、魚とパンを分け与えなさい、と。
弟子たちは「 魚が2匹とパンが5つしかありませんが」
とおろおろしながら答える。

キリストという男はとんでもない山師なので、落ち着き払って優しい微笑みを浮かべながら、いいからいいから、と弟子たちを促す。

弟子たちは5000人のプレッシャーに負けて、しかたなく魚を配り始める。ペテロは無駄に責任感が強いので、「俺がやる」(彼の覚悟やいかばかりか)、と魚の籠を持って最初の魚を、最初の一人に与えた。
その最初の一人はもちろんいたずら者で、弟子たちの目を盗んで、ありがたくいただいたその魚をペテロの籠に戻した。二人目の男はそれを見ていて「こいつは面白いな」と思って同じようにした。三人目も四人目も同じようにした。

そのうち、さらなる悪ふざけを思いついた者がいた。彼は今朝とった魚を懐に持っていた。籠に戻す時、自分の魚も一緒に戻した。こうして魚が一匹増えた。
このころは当然、ペテロ以外の弟子たちもことに気づいた、しかしペテロが奇跡に畏怖しているようなのであえて言えずに茶番を続けていた。しまいにはさすがのペテロも、彼は一応もとは漁師なので、与える魚が全部同じで、しかもしだいに人々の手に揉まれて鱗が剥がれてボロボロになっていっているのに気づいた。それで後ろの弟の顔をちらりとみたが、弟は「兄さんごめん、知ってた」という顔をしたので、恐ろしい顔で弟を一瞥し、無言ですぐに振り返ってしかたなく茶番を続けた。魚をもらう人の中にはすでにニヤニヤしながらペテロに礼を述べさもありがたそうにうやうやしく魚を受け取る者もいる。ペテロはときどきうらめしそうにキリストの顔を見た。

パンのときはもっとひどかった。
もうみんないたずらに慣れていたので、パンをいただいては籠に戻していたのだが、そのうちだれかがこっそり、パンからひとかけちぎって戻すようになった。それをみんな真似たので、次第にパンは小さくなり、パンくずが増えていった。弟子たちはみんな承知していたが、あえて止めなかった。ペテロは苦痛で、時々キリストを見る目が憎しみに、やがて諦めに、そして懇願に変わった。「もう、やめさせてください」と。

その全てを、キリストは顔色も変えず、相変わらず優しい笑みを浮かべたまま見ておられた。そして、籠にどれだけ魚とパンが残ったかをわざわざペテロその人に聞くのだ。魚が増え、パンがパンくずに変わって12籠に増えている! パンにいたってはご丁寧に増えた分を入れる籠を与えた者までいるようだ。

すっかりむくれたペテロにキリストは言う
「人はパンのみにて生きるのではない」

ペテロがのちに「あんな奴は知るか!」と三回も言うのはこうした理由があったのだ。




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