見出し画像

狩人の心……ローレンス・ヴァン・デル・ポスト『かまきりの讃歌』

『テルマエ・ロマエ』で知られる漫画家ヤマザキマリは、かつてイタリア在住時に詩人とのあいだにもうけた息子に「デルス」という名前をつけた。
この聴き慣れない名前は、黒澤明監督の映画『デルス・ウザーラ』(1975)に出てくる同名の狩人の名前から取られている。
ヤマザキマリという人は音楽家の母のもと、北海道の大自然の中で育った。彼女の心には自然を愛する心があり、自然とともに生きる狩人に対する敬意と、自らの子どもにもそのようにあって欲しいという願いがあったに違いない。

『デルス・ウザーラ』は、シベリアの東方面、北東アジアを探検するロシア人探検家ウラジーミル・アルセーニエフが彼に出会い、助けを得、またその人柄に惹かれ友情をむすぶ、という実話を元にした物語である。
アルセーニエフの探検は断続して1902年から1908年ごろまでのようなので、ちょうど日露戦争のころである。ウラジヴォストクがあるウスリー湾から北のハンカ湖のあたりの調査とのことなので、日露戦争の戦火も近くに感じていたのではないだろうか? このあたりはアジア系の原住民が住んでいる地域で彼らは元来狩猟を生業にしていたと思われる。
物語の終盤、デルスは獲物を撃ち漏らしたことで自らの衰えをさとり、アルセーニエフとともに都会に移る。しかし、都会にまったく馴染めず、山に戻ると言って去り、殺されてしまう。

先日、ヴァンデルポストの『かまきりの讃歌』を読み終えた。エッセイ調で書かれたおそらくほぼ実話であろうこの物語は、南アフリカ出身で、ブッシュマンに深く心を寄せる著者が、ある女性から思いもかけないところにいたブッシュマンの思い出を聞かされる、という話である。
そのブッシュマンは"ハンス・ターイボッシュ"という名前で(これは南アでつけられたもので本来の名前ではないだろうと著書は推測する)、英領ジャマイカでサーカスの見せ物にされていたが、彼を見て深い感銘を受けたアメリカの弁護士の男性が、「アメリカでやった方が儲かる」と彼の所有者を騙して彼と彼の所有者とをアメリカのサーカス団に加えた。そうしてアメリカの法律でもって彼を自由の身にし、ついには自分の家に引き取った。
女性がこの弁護士の男性とどういう関係にあったかは分からない。ともかく子ども時代に彼女はその”ハンス”という不思議な男に出会い、それから長い期間を彼とともに生活し、彼の存在に深い感銘を受けたのだと言う。彼女は自ら作った頭部の銅像をヴァンデルポストに見せた。それはハンスを模してつくられたものだ。その頭像がもたらす特徴を見てヴァンデルポストは答えた、「彼は間違いなくブッシュマンだ」と。

彼女は、ハンスを不思議な魅力を持つ男として語り、そして彼は何者なのかを知りたがった。たまたまヴァンデルポストの著作に出会い、ありえなさそうなことであるが、ハンスはブッシュマンなのではないか?と思い立ち、ヴァンデルポストに手紙を書いたのだった。二人は文通を始め、やがてヴァンデルポストはアメリカに彼女を訪ねて、彼・”ハンス・ターイボッシュ”について話を聞き、彼が南アフリカのカラハリ砂漠からいったいどのような経緯でジャマイカに至ったかは分からないにせよ、狩猟民の心をもった生粋のブッシュマンであると確信を持つに至った。

デルスが都会に連れてこられたがゆえに徐々に死んでいったのと対称的に、ハンスのほうはアメリカのサーカスの生活にも、弁護士の家での生活にも順応した。彼は不思議な踊りをよくした、と彼女は言う。まさにそれが彼をサーカスの見せ物にしたし、あるいは件の弁護士や彼女に感動を与えた。子どもたちはみな彼に魅了された。
それにヴァンデルポストが述べる「ブッシュマンの物真似の才」を持っていた。それは我々の世界でよく見られる、対象を茶化して嘲るためのそれではなくて、「まさしくそのものになる」という特異な物真似で、にもかかわらずそれを見た者は楽しい気持ちになり微笑まずにはいられないという、そんな行為だった。
こういった踊りや物真似によって、そしてそれを観る目をもった周囲の友人たちをえたことで、ハンスはきっと都会にあっても自己を失わなくて済んだ。
ハンスが老いによって亡くなるのを看取ったのは彼女だった。死の床でハンスは彼女に「踊って見せて欲しい」と言った。
彼女はその要望に戸惑いつつも、ハンスの前で踊ってみせたという。
そしてそのとき彼女にはハンスが息絶えたのが分かった、という。そのすぐ後に訪れた生物学的な死ではなく、心が安堵して死に向かって去っていった瞬間だ。
おそらくハンスは踊りを見ることを通して、自らの心が彼女の心に伝わり、その中に宿っていることを確認したに違いない。自らの人生の長い時間をともにした女性の心の中に。それはきっとハンス自身がかつてアフリカの大地で父母や周りの人々から授かったもので、それは伝えられなければならない大事な何かである。もしそれが誰かに伝わっているのであれば、安心してこの世を離れることができる、だから彼はその踊りを見た瞬間に安らかにこの世を去っていったのだ。

この話を彼女から聞いて、ヴァンデルポスト自身の心のうちには、聖書で語られるエピソードが反復するーー彼はしばしば聖書に現れるエピソードに象徴的な意味を読み取ろうとする。
旧約聖書の、ヤコブとその兄エサウの物語。ヤコブは生粋の狩人であったエサウから長子権と父の恩寵を騙し取り、やがてヤコブ・イスラエルと称され、イスラエルの民の祖となった。
エサウは長子権と父の恩寵を騙し取られたときこそ怒り狂ったが、やがて一族をなし、ヤコブと再開した時、跪いて許しを乞う弟の手を取って許し、抱擁して互いに泣いた。
ヴァンデルポストは、この逸話から「除けられた狩猟民」すべての象徴としてエサウに注目する。もちろん、それはブッシュマンに重ねられている。彼の民族ボーア人や黒人たちがブッシュマンを絶滅に追いやっていることに、罪の意識を抱きながら。そして自らが属するボーア人やほかのすべての人々がブッシュマンをはじめとする狩猟民たちに膝まづいて許しを乞い、それを許してくれるであろう彼らと和解の抱擁を交わすときを夢見ながら。

ヴァンデルポストは、祖国南アの人々から聞いた話、そして自身がブッシュマンたちに触れた経験から言う、「ブッシュマンは飼い馴らされないのです」。決して文明的なルールに馴らされることがない人々であり、そのために彼らは奴隷とすらされず、迫害されて絶えつつあるのだと(ヴァンデルポストはそのために彼らの調査・保護活動をしていた)。

ただ、ヴァンデルポストや、この本に出てくる女性のような感受性の持ち主が、ブッシュマンの心をーー狩猟民の心をその断片であっても力強く引き継いでいく。そしてそれが遠く僕の住む日本にも到達している可能性があることを思い出す。
そう、ヴァンデルポストといえば、彼は若いころに日本に招かれて旅し、日本の文化を存分に吸収し、さらに第二次大戦では日本軍の捕虜となるという、稀有な体験をした。そして『戦場のメリークリスマス』の原作として名高い「種子と蒔く者」という中編小説がおそらく捕虜体験の実話を元にして書いているとみるならば、ヴァンデルポストがいうような「種子」は、彼とともに捕虜になった人物ーー物語ではジャック・セリエという人物で映画ではデヴィッド・ボウイが演じたーーから、収容所長であった日本軍の将校に渡され、そして戦後日本に渡ったーーその人物の遺髪である、一束の金髪を依り代として。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?