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「推しを待つ」時の心構えについての一考察

地方での撮影が終わり、東京に戻った新推しくん。16日ぶりにファンクラブの動画が公開され、リアルタイムでの本人の姿を待ち侘びていたファンクラブ会員界隈からは、歓喜と安堵の声が上がっている。
数日間姿が見れないと「体調が悪いのでは」「怪我でもしたのでは」という在らぬ妄想を繰り広げてしまうのも推し活にはありがちな事ではないだろうか。

しかし実際、何らかの事情で「しばらくお休みします」とか「引退します」ということは珍しいことではない。
最近は俳優やアイドルなど表に出る人達が、内科的な病気やあるいは怪我などだけではなくメンタルのバランスを崩して休養する場合もきちんと公表されるようになってきた。メンタルヘルスの重要性が世間的に広く認知されるようになったことに加えて、薬物使用が発覚したり自ら命を経つ前例が続いたこともあり、それを未然に防ぐ流れもあるのだと思うが、これはとても良い傾向だと思う。
新推しくんは今、俳優としてやっていくんだという強い意志に加えて自信も漲りつつあるみたいだからそんな心配はないかもしれないが、急にファンが増えたことによる環境の変化は喜びでもありプレッシャーでもあると思う。もし精神的に辛くなるような事態が起きた時は遠慮なく自分を優先して欲しいと心から思う。

そう思うのも、推し一号の事があるからだ。
彼が世間に広く認知されたのは2005年。それまでは彼は某事務所内のデビュー予備軍の一人であり、その中では人気者だったが世間的には全く無名であった。
「俺は有名になりたいの!」と予備軍達が大勢出ているファン向けの番組で夢を語っていた彼はその数年後、とあるドラマで一大ブームを巻き起こして望み通り有名になった。しかしそれにより彼を取り巻く環境は激変し、今まで出来ていたことが出来なくなった。
ファンに24時間付き纏われる毎日。その中には可愛さ余って憎さ100倍と言わんばかりの嫌がらせや生活妨害をする人達もいたらしい。また、マスコミからの付き纏い。彼は自由を失い、次第に精神のバランスを崩していったように見えた。
その後、彼らのグループはデビューを果たしたがそのわずか半年後に彼は「留学」という形で表舞台から姿を消した。

いつからその話があったのかわからないけど、姿を消す直前の大きな仕事での彼は、どこか吹っ切れた感じがして安心したのを覚えている。
ああやっと笑顔が見れた、少し元気になってきたと喜んだのも束の間、彼の留学は発表された。
その発表があった時、勿論ファン界隈は驚き、悲しみ、怒り、色んな感情で騒然としたけど、私は「良かった」と思った。私だけでなくそう思ったファンはたくさんいたと思う。
もし彼が周囲のことを考え過ぎてしまうタイプで我慢してその場に居続けていたら、いずれ彼自身が崩壊してしまう事は目に見えていたから。

こんな風に書くと彼の留学は現状から逃げる為だったと思われるかもしれないがそうではなく、かなり前からの本人の希望であった。しかし、この時期に留学することについては批判も多かった。まさにこれからスタートという時に人気メンバーがいなくなるんだから。どう考えても事務所や周囲が納得するタイミングとは言い難かった。
だからこそ彼があのタイミングで留学を発表したのには、彼自身のメンタルにも原因があったと私は思っている。

彼が急に姿を消してしまって、私達ファンは終わりのない「待ち状態」に置かれる事となった。
いつまで、という期限が示される待ち状態は、寂しくはあるがまだ我慢出来る。しかし、帰ってくるかどうかわからないものを待つというのは、期限付きとは比較にならない辛さがある。
何しろ、いつ戻ってくるか以前に必ず戻ってくるのかすら保証されていないのだ。事務所からは「半年程度」の留学という発表があったが、経緯からみて全くあてにならない。
そんな時にどういう気持ちで待つのが正解なんだろうか。
私自身はどうしたかと言えば、以前も書いたがその当時はまだTwitterもなくリアルでのオタ友もいなかったので、掲示板やブログのコメント欄で情報収集やちょっとした交流をするしかなかった。もし今ならSNSで励ましあったりしたかもしれない。

待つ間、私が心がけていたのは「全力で待たない」という事だった。待ってる間、過去映像などはほぼ見なかった。見ているとかえって思いが募り、もっともっと見たくなってしまうから。
推しがいなくなったから別の推し、という人も結構いたけど私はそんな気持ちにもならなかったので(元々推し体質ではないので)「待っている」という気持ちを心の真ん中ではなくて一番端っこに置いていた。
彼の人生と自分の人生を重ね過ぎないようにして、彼がどこかで元気に自分らしく生きていればいい、と思うようにした。
私は私の生活とちゃんと向き合うことを心がけた。

推しを思い過ぎれば思い過ぎるほど求めるものも大きくなる。そしてそれが叶えられないといつしか怒りや憎しみが生まれる。それは全く理不尽だし、幸せではない。
だから意識して、生活を推し一色に染めないことを心がけた。
それが出来れば苦労はしない、と思うかもしれないけど、私は可能だと思う。
彼を思い過ぎて辛くなりそうな時は、私が辛くなって生活が立ち行かなくなっても彼は私の人生に何の責任も持ってはくれないのだ、と自分自身に言い聞かせた。

その後、推し一号は半年で帰国してグループに復帰したのだが、さらに3年後に今度は本当にグループを去ることになった。
それからも電撃結婚で活動自粛となり、その期間は結果的には一年四ヶ月に及んだ。私はまた待つ時の心構えを思い出して、更に今度は仲間たちともSNSで励まし合いながら、いつ終わるともわからない自粛期間を乗り切った。 

求め過ぎず、待ち過ぎずに心の端っこに「待つ気持ち」をそっと置いて自分の生活を頑張る事、私は推し一号に大切なことを教えてもらった気がしている。

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