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「推し活」は人と較べれば較べるほど辛くなるという話(2)

長く応援するコツ。
そのコツが、もう一つの「人と較べる」にも関わってくるのだけど、「自分と他のファンを較べない」ということ。

新推し君のファン界隈を見ていると、推し一号のファンになった当時がフラッシュバックする。
私が推し一号を知ったのは16年前なのでInstagramやTwitterなどはなく、掲示板やブログでお仲間を探すしかなかった。
取り憑かれたようにお仲間を探す旅に出て、毎日のようにその人達のブログを読み漁り、コメントを送る事で気持ちを共有した。それだけでかなり、心を沈める事が出来た。
そのうちブログ界隈に文才のある有名オタブロガー達が出現し、同立場であるはずのファンの中にも格差が生じた。
有名オタブロガー自身にも取り巻き的な存在が生まれ、そのグループに入れたか否かで推しファンとしての地位が多少変わるような世界が拡がった。

私自身は好きなブロガーさんにコメントを送ることはあったけれど、人間関係を築くことは避けていた。
ファン界隈のヒエラルキーのようなものに抵抗があったのと、自分の気持ちが推しから離れた時にその関係がどうなるのかを考えると、何となく怖かったからだ。
しかしその後色々なことが推し一号に起こり、どうしても自分の気持ちを他のファンと共有したいというタイミングが来て、そこからは多少の繋がりが出来た。

その頃にはブロガー達もTwitterを始めており、ファン同士は容易に一対一の繋がりを持てる世界になっていた。
それは楽しい事でもあったけど、個人を認識しやすくなった事で、他のファンと自分とを較べて優位に立とうとしたり、仕切りたがったりする人が出てきた。Twitterをきっかけにして推しの知り合いに近付く人もいた。どこの人間関係も一緒だ。
そういう人と自分を較べて、自分は何でダメなファンなんだ、コンサートは近場の一箇所しか行けないし、グッズだって最低限しか買えない。生活レベルも教養も年齢も外見も、何もかも自分は劣っているように感じるのだ。

こんなにも他人と自分を較べてしまうのは「同じ人が好き」であるという背景が関係している。いわばライバルである。
もちろん、多少優位に立とうがどうしようが、ファンの立場で推しとどうこうなることは基本的にはない。ましてやこちらにも現実社会があるので、基本的にはどうこうなることなど望んではいない(あくまでも基本的には笑)
だけど本能的に負けたくない心理が働き、それが叶わないと感じた途端に辛くなってしまうのだ。

また、推しが同じという一点のみで繋がると、それ以外の部分で余りにも合わなくて辛くなるパターンもある。
ネットを介して知り合ったオタ友の場合、大体の年齢や既婚未婚などの大まかな情報は入ってくるものの実際に会ってみると現実社会では間違っても友達にならないだろうなという人もいる。しかし、既に気持ちの奥深くまで語り合っているので、今更距離を置くのは難しい。
しかしそんな事よりもっと難しいのは、唯一の共通点である「推し」の存在である。推しのどこを最も重要視しているのか、例えばルックス、声、内面、演技。また、推しに恋人が出来ることが許せないか見守ることができるか、推しは唯一の存在か第二、第三の推しかいるのか等々。
同じ人を推していると言っても推し方は千差万別である。
ファン同士が深く付き合うことにより、時間が経つにつれてこのような複雑な感情が生まれてくる。推しへの想いが強ければ強いほど、距離が近くなるにつれてややこしくなるのである。

推しを長く応援したければ推し仲間とは深入りしないかまたは推し関係なく友達として付き合いたいと思うごく少数の人とのみ付き合うことだ。
そして、自分は推しのどこが好きなのかを自己分析して認識しておくことも大切だと思う。
それがわかっていたら、他の人の意見に揺らぐことなく安心して応援出来るから。
間違っても他人の推し活に惑わされないように…。

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