"才能がない"才能。
私の中で、ちょっとした発見(友人から教えてもらったこと)があったので、記録としてここに書きます。
写真は、先日植え替えをして、殺してしまったかもしれないと思っていたボトルツリーちゃんから出た、小さい新しい芽です。WELCOME TO THIS WORLD. I HOPE YOU ENJOY "THIS" WORLD.
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どちらかというと、自分が好きなことを仕事にできていると思う。
その意見には70%ぐらい、agreeだ。
仕事中は、100%の力を出すように努力する。
不必要な妥協はしない。
もっとスキルアップしたい。などなど
前向きはたくさ言葉が出てくる。
けれども、例えば休日に仕事に関する調べ物や勉強をしようと思っても、
サボりたい。が先に来る。
とりあえず、今はやらなくていいかな。と思うことは、どうしてもやる気が沸かない。
結局、私は"出会えてない"のだ。
身も心も青春もだらだらゲームする時間をも、全部捧げてもいい!と
思えるものに。天職に。calling.
スポーツ選手や、その道を貫いている一級の人たちは、
それに”出会えた人”。
そしてそれが好きで好きでしかたなくて努力を惜しまない人。
そう思ってました。
”出会えた”か、”出会えなかった”か。
でも、どうやらそうでも無いらしい。
私に中で、それに”出会えた”ラッキーな人だと思っているような
その道のプロの人たちは、出会えた→好きになって→とことんやる。
ではなくて
何をやっても、好きになって、とことんできる。
何をやってもというのは多少大袈裟だろうが、
つまり、本来から物事に夢中になって、打ち込める才能がある。
ということである。
その才能がある人たちは、例えばそれはバスケットボールであっても野球であってもあまり関係なくて、真っ直ぐに努力ができる人たちなのだ。
八村くんは野球でも成功していただろう。(by 友達)
なるほど。
そうなってくると、私はもうどうしようもない。
何をやっても、中途半端になる運命なのだ。
努力をする才能がないのである。
努力を努力とも思わない能力。
10年ぐらい、それを”探さなければいけない”と感じていたが、
実は私には”探すもの”なんてなくて、
そもそも、無いのだ。そういう才能が、未来が。
だって、今そこそこ好きな仕事をしてるつもりでも、サボりたくなるのだから。
このCOVID-19騒動で、時間はいつもよりもある。
ここで世界の動向をリサーチして、新しい世界にどうアダプトしていくべきか。
考えるべきことは山ほどある。
やらなければ!今こそ!と燃えても、続かない。
人には偉そうに、こんな記事を読んだとか言っても、全然自分の身にならない。
結局自分はそういう人間なのだ。
と、なると、
私にできることは
そういう自分を"認める"しか無い。
それができたときに、人間として、与えられた人生を
満足し、全うできるのかもしれない。
“才能がない”ものとしての
“才能”を開花させる時なのだ。
さて、できるか。それが私にできるか。
それすら才能が必要になりそうだ。
そのままを受け入れる。
自分を、今までにないほど客観的に見なければいけない。
そうすることで何か新しいことに気づければいいと思う。
いやぁ〜できるかな。まず、気づくの遅すぎ。
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まだ何かに縋り付いてる。
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