現行朝ドラが1mmも「ちむどんどん」しない件で、Tweetしたことのまとめ。

(以下、続きの返信を編集更新しました)
プロの批評家の仕事はもっと重要で、例えば小林彰太郎さんや徳大寺有恒さんの強烈な自動車評論がなかったら、今の国産車の発展はなかったと断言できます。
制作サイドからお金貰って、くそ作品を褒めるライターなどは論外です。「あえて言おう、カスであると!」

むかし糸井さんが、

「ひとつのものを肯定したり賞賛したりするために、他のものを並列的にひいて、そちらを否定する」というのを止めて「いいと思ったものを、他と比べないで誉める練習というのをやってみる」というのは、どうでしょう。

と書いていて、共感したものですが今は違います。

結局、糸井さんの考え方って、現代日本のネットに多い「お行儀のよい」「傷つきたくない優しい」人たちに支持されているマナーと同じで、比較広告を許さない「緩い日本の広告業界」出身者の発言なんだろうなあ、と感じています。

かつての『暮しの手帖』の「商品テスト」じゃないけど、比較は正しい批評の根底にあるもので、そういう基準がなければ「褒める」ことも「貶す」ことも不十分になる。
「批判されない社会組織は、当事者がいかに善意をもっていても、独善と退廃の芽をはぐくむ。」(深代惇郎の天声人語
誹謗中傷(人格批判)と批判精神(ジャーナリズム)は次元が違うと思うのです。

「批判する自由」は大切ですよねー という話でした。

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