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居室での転倒骨折は誰の責任か

他人事ではない。

施設側の責任を認めた判決が目立つ、最近の介護事故の訴訟問題。

▪️広島県の介護施設に入所していた90代男性がゼリーを喉に詰まらせて窒息死した事例をめぐる裁判で、「死亡したのは施設職員が男性の誤嚥を防ぐ義務を怠ったことなどが原因」として、介護施設に2365万円の支払いを命じる判決が下った。

裁判長は「ゼリーを配る職員は他の利用者に配膳し、男性が誤嚥する様子を見ていなかった」とした。「職員らが食事の介助などの措置を講じていれば防げた」とした上で「誤嚥を防止する措置を講じる義務を怠った責任は極めて重い」と指摘。原告である長男は「施設の責任が認められて良かった。父の死を無駄にせず再発防止を徹底してほしい」と望んだ。

2023.11 president onlineより


もうひとつ、同じような事例。

▪️名古屋市西区の特別養護老人ホームで、入所中の男性(当時88歳)がパンを喉に詰まらせて死亡したのは職員らが見守りを怠ったのが原因だとして、遺族が施設側に計約2960万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が7日、名古屋地裁であった。藤根康平裁判官は施設側の安全配慮義務違反を認定し、計約2490万円の支払いを命じた。

訴訟で、施設側は「男性は自分で食べることができたので、常に見守る義務はなかった」と主張。これに対し、藤根裁判官は「これまでと同じ態様で食事を提供すれば、より重篤な結果が生じる危険性を認識できた」と、施設側の賠償責任を認めた。

2023.8 読売新聞オンラインより



どちらも施設側が安全配慮を怠ったとされた。
判決が出た時は、介護業界のSNSユーザーは大騒ぎだった。

「ゼリーが詰まるなら、何を食べても誤嚥は避けられない」

「口から食べさせてあげたくても、訴えられると思ったら躊躇してしまう」

「飲み込めなくなるのは老化現象、嫌なら胃瘻にするしかない」

「好きなパンを食べて死んだのなら、大往生ではないか」

「裁判長は、どうやったら誤嚥しなかったのか方法があるなら示せ」

「ますます介護する人がいなくなる」

私たちは日々、介護する中でこのリスクを身近に感じている。自分が訴えられるかもしれないという不安。

細心の注意で常に介護にあたらねばならない。もちろん、そうなのだが、それはどこまでが当たり前なのだろうか。安全配慮を突き詰めれば、何も食べさせられない事になるんじゃないか?

そして、個人的に記憶に残っているこの訴訟。

▪️兵庫県立西宮病院で2016年、認知症患者の男性=当時(87)=が廊下で転倒して重い障害を負ったのは、看護師が転倒を防ぐ対応を怠ったためとして、男性の家族が兵庫県に約2575万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が1日、神戸地裁であった。高松宏之裁判長は「転倒する恐れが高いことは予見できた」などとして、約532万円の支払いを命じた。

判決によると、男性は16年4月2日早朝、看護師に付き添われトイレに入った。看護師は男性が用を足す間に、別室患者に呼び出されて排便介助に対応。男性はその間にトイレを出て廊下を1人で歩き、転倒して外傷性くも膜下出血と頭蓋骨骨折のけがを負った。男性は2年後、心不全で亡くなった。

2022.11 神戸新聞NEXTより


私がこの看護師なら、どうすれば良かったのかと反省や後悔をする事さえ難しいだろう。他に頼める職員がいない夜勤帯、どんな改善策があるというのか。
看護師の離職率が高いのは、こういう状況が改善されないことも原因だ。
この方は看護師を続けているのだろうか。

ここからが本題なのだが、当施設(有料老人ホーム)に入居されている80代男性が居室内で転倒し、左大腿骨頸部骨折を受傷した。

いったん入院となったが、元々心臓が悪いことなどを理由に、手術はせずに「保存療法」を選択して施設に戻ってきた。つまり、折れたまま安静にして骨が癒合するのを待つ方法が選択された。

その男性は嚥下機能が悪く、数年前から胃瘻からの経管栄養を受けている方。歩行は可能だが人と接するのが苦手なのか会話は少なく、入居当初はほとんど居室から出て来なかった。

入居してから数ヶ月後、嚥下機能訓練を始めるようになってからは、少しずつ居室から出て過ごす時間が増えた。
おやつの時間にはダイニングに出てきてゼリーやプリンを嬉しそうに召し上がる姿をスタッフは一緒に喜び、そっと見守っていた。
口から食べるようになると、リハビリや散歩にも意欲が出て、メリハリのある一日を過ごせるようになっていた。

その様な状況の中で、この事故は起きた。
転倒は居室内で起きたので、実際の様子は誰も見ていない(居室内に監視カメラはない)。
何かがぶつかる様な大きい音がして、スタッフが訪室するとドアの内側で倒れていた。多分、居室から出ようとしたのだろう。

もちろん、施設の責任がないとは言えない。
歩行の不安定さは以前もあった。ただ活動性が上がってきた事をスタッフは前向きに捉えて、少し距離を置きながら見守る体制をとっていた。

家族は施設側の責任を問い、「父はもう歩けないんですよ!」と1時間半に渡り、施設長、担当ケアマネ、担当リハビリスタッフを責めた。
最後にはこの施設は信用できない、どんな賠償をしてくれるんだ、と詰め寄った。

大切な親が骨折したら動揺するだろうし、施設の責任を問う気持ちも理解はできる。訴訟になるかもしれない案件だ。

家族に詰め寄られたリハビリスタッフは、その後しばらく顔色悪くゲッソリしていた。
普段はとても誠実な仕事ぶりで知られるスタッフで、誠実がゆえに人一倍落ち込んでいた。介護の仕事を辞めたくなるのはこんな時だろう。

この施設は信用できないとその全てを否定する様な事を言われると、スタッフと本人が過ごした温かい時間さえも否定された気持ちになる。
プリンを召し上がった時の笑顔は素敵だったし、嬉しい気持ちを共有した瞬間は間違いなく存在したのに。

私は介護という仕事は尊いと思っている。
業務が詰め込まれた日々の中で、自分自身の人間性を試されながら、良い人間であろうとするしんどい戦いの連続。地位はなくとも尊い職業である。

理不尽な訴訟で、介護に尽くしている人を追い詰めないで欲しいと心から願う。




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