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すぐそこにあるような、閉鎖社会

何となく洋画を見たくなって、
「イニシェリン島の精霊」という映画を見た。

何とも言えない閉塞感を味わった。
島の社会で、さらに出口のない小さな人間関係。

今の日本でも小さな社会はたくさんあるだろうが、
テレビもない、インターネットもない、
閉鎖された社会は、想像しにくいもので、
映画の中とはいえ、突きつけられると、苦しくなる。

育った環境の中で当たり前のことなら、そこまで深刻ではないのか、
そんな時代でも、小さな社会の外の情報は
容赦なく入ってくるならば、
耐えられない人も出てくるだろう。

人と交流したり、文字が普及たり、移動手段が発達したりして、
閉鎖したままではいられなくなるのも、
人間なんだろうか。

また、そんな閉鎖社会でも何かを残したくて、
文字にしたり、音楽にしたり、、、
そうやった病むのも人間なのか。

そういう問いが、後に残されたような気がして、
少し気が滅入る感じだった。

小さな閉鎖された社会では、如実に現れやすい同調圧力は、
別に日本人の専売特許でもなんでもないらしい。

何か前向きに考えるならば、
息苦しい社会があって、そこから脱出できるとしたら、
新しい世界へ旅立っていくというのも一つの答えなんだろう。

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