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絵は「評価されるため」に描くべきだ


「評価されるために絵を描くのは違う」
「いいねやブクマの数は当てにならない」
「評価なんか気にしてたら人の言いなりになる。自分の描きたいもの描くことが大事でしょ」

…とか聞くと違和感を感じます

このnoteの結論を先に言いますと、

「絵は評価されるために描くべき」

です

わたしはpixivフォロワー5万人の絵描きです
最初はブクマ1で止まるド底辺でした

長年ずっとpixivに投稿しては
1日に何回も「作品管理」画面をリロードし
評価に一喜一憂しましたし
どうしたら評価を上げられるかと試行錯誤し続けました

そうしてたら評価される絵を描けるようになり
かつ、自分が描きたいものを描けているので
最高に楽しいです

評価される絵を描く、と、自分が描きたいものを描く、は両立できるのです

なぜ両立できるのか?
実は「評価されるために絵を描くのは違う」と言う意見には、ある誤解があります

それは何かと言いますと、

評価される=人が喜ぶものを描く

ここまではいいのですが、

人が喜ぶものを描く=人の言いなりになる、自分の描きたいものが描けない

これ。これこそが誤解です


人のリクエスト、流行り物や流行の絵柄、ウケのいいものを描いて媚びるのであれば、
確かに人のいいなりで
自分の描きたいものは描けません

ところが「人が喜ぶものを描く」とそれとは
全く違います

真に人が喜ぶものを描くとは
どういうことなのか?

それは

自分の好きなものの良さが
人に“伝わる”絵を描くことです。

自分が◯◯カッコいい!と感じて

「◯◯がいかにカッコいいか」を絵で表現して

見た人が、「◯◯カッコいい…!好き!!」となった

そんな時、人はどうするか?
光速でブクマ・いいね・保存
堪えきれない時は熱いコメントを返します

自分の体感ですが
たくさん評価された時は
たくさん評価されたこと自体が嬉しいというより、

惜しみなく評価されるほどに
自分の絵で誰かを大喜びさせられた

ことが嬉しいんです。

宣伝、セルフタグ付け、媚び、
小細工で稼いだ100人の評価など
本当に要らない。

数じゃなくて、
極論「誰か一人」でもいいから
血がグワアッと沸き上がるほどに大歓喜させる。

これが評価されるってことです
媚びるのとは次元が全く違います

1人にでも刺さる絵が描けていれば、
他の誰かにも効くので
自然と数も伴ってきます

この評価を受けるために絵を描く。
自分の好きなものの良さを
伝えるために絵を描く。

相手の言いなりになるんじゃない。
わからせてやる。
自分の想いを。

これが評価されるということであり、
絵師冥利に尽きることである

つまり結論、
「評価されるために絵を描くべき」だと
いうことです


実際、評価されている絵師たちは
人が喜ぶ絵を描き、かつ描きたいものを描いて楽しんでいます

評価を気にしないというのは、
わたしに言わせれば
諦め、痩せ我慢、愛がない

評価は気にしまくって、
人にビシビシ伝わるいい絵を描くことに
もっともっともーーーーっっと
貪欲になれる人こそが
絵が上手くなれます

神絵師は評価気にしていないふりして
裏では人一倍気にしていますよ。
わたしが憧れてた神絵師さんもそうでした


じゃあ、どうしたら
人に伝わるいい絵、評価される絵が描けるのか?

技術的に画力を鍛えるのはもちろん必要です
しかし、それだけではないと
誰もが感じていると思います

わたしの実体験に基づいて言えることですが、

画力以外に意識すべき大事なことは
実は“ある一点”だけです

それが何かは、わたしのブログをくまなく読むだけでも勉強できます。無料で学べるのでどうぞ
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