見出し画像

フワちゃんから考察する社会の枠組み

最近世間を賑わせた人といえば、フワちゃんの名前が挙がるだろう。

奇抜な見た目、タメ口、自由奔放、破天荒。フワちゃんに対するイメージはこのあたりではないだろうか。

今日はそんなフワちゃんを考えると、社会の枠組みを考えることになってくるという話をしたい。
なお、これはあまりにも抽象的なマクロな話をするため、ある程度個人の人格や事情を無視してしまっているかもしれないことは先に言っておく。

1.フワちゃんが評価されるということ

元々、フワちゃんは賛否両論の多いタレントであったと認識している。好きな人は好きだけど、なんだか受け付けないな、って人も多くいるタイプだ。
私は後者である。
このへんの感情は後ほど整理できると思う。

さて、ではフワちゃんを支持するのはどんな人なのだろうか。
私の見立てはこれである。

フワちゃんを支持するのは、「自分らしさ」や「自由」を良いと思う人間である。

これだけだと言葉が足りないので補足しよう。
フワちゃんは縦社会の芸能界において媚びずにタメ口でいく、いわばタブーをぶっ壊してきた人なのだ。まさに自由奔放。

これまでの時代を否定して、「自分らしさ」や「自由」を評価するという現代の流れの象徴なのだ。

そんなフワちゃんを支持してきた層は、渡辺直美やてんちむ、中田敦彦あたりも支持していそうだ。

それが「自分らしさ」や「自由」を良いと思うというムーブだ。

こういうものが行き過ぎると良くないよねって思う人はフワちゃんもそんなに好きではないと思うし、今から私が述べる意見にもある程度共感を頂けると思う。

2.今、現代社会はどんな状態か

ざっくり言えば社会はローカルの時代からグローバルの時代になった。関わるコミュニティが集落、都市、全国、世界へとグローバル化していった。

ローカルの時代は集団での豊かさが重視された。それは、集団が豊かでなければ自分も豊かにならないからだ。そのため、慣習やしきたりが重視された。それはある一定の自由を犠牲にするが、お互いに助け合える社会である。つまり、「正しさ」よりも「豊かさ」が重視されている。

グローバルの時代は集団と個人との距離は遠くなった。そのため、集団の豊かさを求めてもその恩恵は得られにくく、ならば個人で幸福を掴む方向に行く。個人の自由が重視される。共同体への帰属意識は希薄になり、自己責任の割合が大きくなる。個人が幸せになるためには、色々な個人に配慮される「正しさ」が必要になる。
「豊かさ」より「正しさ」が重視されている。


そして、「豊かさ」と「正しさ」はトレードオフでありどちらかをとればどちらかを失うものだと私は考えている

例えば、人間が数を増やすという生物本来の共同体における豊かさは、グローバルな社会だと否定される。それは、子供をつくり育てる時間やお金を自分に使った方が、自分が余裕のある暮らしができるからだ。グローバルな社会では常に自由競争が起きており、時間やお金を自分が競争に勝つために注ぎ込まないと、負けてしまうのだ。自由競争のあるグローバル社会では勝つことが正しい。

一方でローカルな社会であれば、子供を育てることの方が評価される。共同体でみんなで子供を育てて、彼らはまた大人になってその共同体を支えていく。ローカルな社会では、無駄な自由競争には基本的には参加する必要がない。だが、キャリアアップや金銭的な自由、職業の選択肢などには限界がある。それにある種の理不尽な風習や風潮にも従う必要もあるかもしれない。


まさに先進国では出生率は減り続けている。
1人1人の生活水準が上がっても、少子化で国を支えるのが難しくなり国力が落ちていくのは間違いなく「豊かさ」を失っている証拠だ。

昭和から平成にかけて、世界そして日本もこのグローバルに突き進んだ。その道中では、ローカル社会の悪い部分が多く改善されてきた。
グローバルはローカルを否定する作用がある。
「正しさ」によって多くの慣習は否定された。その段階で豊かさを増やしたときも瞬間的にはあった。
しかし令和になりグローバルはもうとっくに行き過ぎたものになっていた。
今度はポリコレ、SDGs、LGBTQなどの誰かにとっての「正しさ」を過剰に求める社会になってしまった。
「正しさ」のために配慮する社会になり、どんどんと豊かさから離れている。
金を持っていても心の貧しい人が増えたということを言う人も多い。

恋愛や職業もグローバル化してきた。
かつて自分の行動範囲でしか起こらなかった自由恋愛は、マッチングアプリによって無数の人と出会えるようになった。転職市場も流動的になり、これまでのように1社で勤め上げるという雰囲気もなくなってきた。

ここにも賛否はあるが、やはりこれも豊かさを犠牲にはしているムーブだ。
一部を除いてマッチングアプリはルッキズムやスペック主義を加速させている。恋愛はどんどん難しくなっている。だから、マッチングアプリでは年収や見た目を「盛る」ことが横行している。みんなが盛る世界では、凡人はありのままでは勝負できない。


転職市場が流動的になれば、企業は社員を採用して育てるのにコストをかけるのが馬鹿らしくなる。その結果、より能力主義や即戦力重視の採用戦略に傾く。
すると、就職や転職市場でも、企業側も求職者側も自分をちょっとでもよく見せようとお互いに情報を盛り合ってしまう。
そんな世界で正直な人間は勝てない。となると正直な人も勝負するために自己PR盛り盛り合戦に参加するしかなくなる。

マッチングアプリにしろ転職市場にしろ、「盛る」のが正義になって、誠実な人間はむしろ駆逐されてしまう。

そして、盛りまくられた世界で上位のマッチングを永久に目指すという地獄が生まれる。

このように、グローバルに突き進んだ結果、人類はどんどん豊かさとかけ離れていっている。

また、マッチングアプリも転職市場も、本当は「豊かになりたい」という気持ちの現れであるところが興味深い。恋愛や仕事は本来豊かさを享受するための手段なのだ。
つまるところ、これらの産業は「豊かさ」を独占することで金を儲けているということだ。それがまさにこのグローバル社会の象徴とも言える。事実、今の社会は転職とマッチングアプリの広告だらけだ。
転職サイトは「年収アップ」や「自分らしさ」を謳い、マッチングアプリは美男美女を広告にしていて、こちらも盛りまくっている。

「豊かさ」をお金で買わせる時代。
それが現代である。
みんなが集団としての豊かさではなく、擬似的な豊かさを金で買い、個人としての幸福を求める社会である。

3.フワちゃんは社会構造によって出てきた人

フワちゃんの話に戻ろう。今の社会では、グローバル社会になるのと引き換えに前時代の否定を行い、「豊かさ」を犠牲に、更なる「正しさ」を追求している。

そんな社会における最前線の大衆もまた、このグローバル化に巻き込まれていて、同時に加担している。

その象徴が、フワちゃんである。

フワちゃんは圧倒的に面白い必要はなく、ただ前時代を色々と否定すればよくて、そんな存在を求めている人が多かったというだけなのだと思う。縦社会の芸能界やテレビ界というローカルを否定すれば良かったのだ。それがグローバルの作用である。

そんなフワちゃんは、グローバル化の最前線のタレントとして矢面に立っていたに過ぎないと言える。そして、前時代の否定役として担ぎ上げられたフワちゃんは、ついには今のこの時代との距離もわからなくなってしまった、そんな気がするのは私だけだろうか。

フワちゃんに罪はない。

手放しにフワちゃんを持ち上げた大衆は、グローバル社会に心も体も侵されているだけなのだ。自分がグローバル社会で生き残るためには、フワちゃんが必要なのだ。心にフワちゃんを飼うことで、それをグローバル社会における自分の人生の道しるべにしたいと思っていたような気がする。

フワちゃんよりも、フワちゃんのことを好きな人(好きだった人)の方が本来救われるべきなのだ。

余談だが、そんなフワちゃんは今まさに「正しさ」によって裁かれようとしている。

4.さいごに

今の時代だけ見る人間は、簡単に時代の波に巻き込まれてしまう。だからこそ若い人ほど歴史を学んだり、過去の出来事や考え方を取り入れて、今と昔の思考をかき混ぜる必要があるというのが私の意見である。
ただ、このグローバル社会はいくら歴史を知ったとて抗えるものではない。抗うと損をする社会でもある。だが、グローバル化は確実に豊かさを失う方向でもある。なぜなら自分らしさや個人の自由の実現は、人間の個体による限界がいつかあるからだ。
大谷翔平のフィジカルがあって大谷は野球での自己実現を目指せるが、誰もが大谷にはなれない。
仮にある自由競争を勝っても、さらに上の自由競争に巻き込まれ続ける。
グローバル社会での自己実現は、最終的に遺伝子や体力やフィジカルや生まれがものを言う世界になりかねない。
本当にそんな世界でみんなが目指すべきなのは自由や自己実現なのだろうか?
そんな歪なグローバル社会で、豊かに生きる方法をまた考えてみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?