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思い出ストーリー『真田広之という男』

    《真田広之という男》


あれはオレが京都から上京して間もない頃だから、1980年頃のことだったろうか…。日付までは覚えていない。ある日の午後。東京・山手線新大久保駅ホームでのことだ。

オレはたしか外回り電車のドア脇に立っていた。そして客の乗降が終わり発車のベルが鳴りだしたその時だった。

突然ホームのほうから「あっ、富田さん!!」という声が聞こえて来た。フッとそちらを見て「おーっ、ヒロくん!!」とオレも思わず声を発していた。しかしすぐにドアが閉まり無情にも電車はホームを滑り出した。

ドアのガラス越しにヒロくんは人なつっこい笑顔でこちらに手を振っていた。オレも、久しぶりの再会のあいさつがコレかァ…と少し残念な思いで手を振っていた。

さて、その「おーっ、ヒロくん!!」のヒロくんだが、その人こそが誰あろう、今をときめくあのハリウッドスター俳優であり、もはや“名”と冠を付けてもさしつかえないであろうドラマ・プロデューサー、真田広之…その人なのである。

近頃、アメリカの大作ドラマ『SHOGUN 将軍』で超話題になっている彼だが、このオレにもその昔、彼との接点がある。彼にとっては小さな小さな接点で記憶になど残っていないかも知れないが、オレにとってのその小さな接点は、彼が偉大であるが故になかなか忘れられるものではない。

ここで少々お断りしておこう。このストーリーにはスジがない。ヤマがない。起承転結がないという妙ちきりんなモノである。それは何故か…。何のことはない。それは、これが単なるオレの思い出話に過ぎないからである。


オレは若き頃の数年間、京都の東映撮影所などでスタントマン、俳優さんらのアクションの吹き替え、やられ役などという仕事にたずさわっていた。その間、それなりに多くのスターさん、俳優さんに接することがあり、それぞれに大なり小なりの思い出ってヤツがある。(ないのもあるが)

そして真田広之というビッグスターとの思い出は、たとえ他愛のないことであっても、彼がホントに素敵な男であるだけに、オレにとっては相当にかけがえのないものってワケだ。

時々敬称を略したりするかも知れないが、誤解なきよう…。もちろん彼へのリスペクトはとても大きい。大き過ぎてもはやあの頃のように「ヒロくん」「真田クン」などと呼べるワケなどとうていないのである。しかし「さん」付けで呼んでしまうと、勝手ながら抱いている親しみが薄れてしまうようでそれもちょっとビミョーなところである。


オレが彼に初めて会ったのは、彼がまだ17か18才くらいの頃だろうか。あの、今から3年前にコロナがきっかけの肺炎で亡くなった、コレまた世界に誇るアクションスター・千葉真一さんが主宰するジャパン・アクションクラブ(JAC)が京都に進出して来た時だった。

オレが所属していた東映京都のアクショングループは「宍戸グループ」と言って、師匠の宍戸大全氏は日体大で千葉真一さんの先輩に当たり、体操でたしかメルボルンオリンピックを目指していたが、直前にアキレス腱を切ってしまい断念。その後、京都の東映、松竹(京都映画)、大映などの撮影所で、数多く制作されていた時代劇の忍者アクションなどの仕事をされていた、言わば「時代劇スタントの始まりの人」である。

宍戸グループの規模は小さくメンバーも10人はいなかったが、アクションレベルもずっと上の大所帯のJACの人たちと一緒に仕事をするようになってけっこう刺激を受けたものだった。

そして真田クン(畏れ多いが当時を懐かしんでそう呼ばせていただこう)もそのJACの一員でもあったが、彼は子役時代からすでに映画界で活躍しており、ルックスも抜群、演技もしっかりしており、さらにアクションは当時のJACのメンバーが評するように「完璧」で、そしてその上に性格がとても良く、おまけに頭もメッチャ良いという、正に「ミスター・パーフェクト」。

当時からそんな彼が今のようなビッグな俳優、プロデューサーになったからと言って何の不思議もない。なるべくしてなったとしか言いようがない。

ところで、オレと彼との接点は先述の東京・新大久保駅ホームでのことだけではもちろんない。当然ながら撮影所や撮影現場のほうが断然多い。もちろん彼は常に主演クラスで、名もないこちらは常にやられ役である。

では当時の撮影現場のワンエピソードを紹介しよう。

1977年、アメリカ映画の『スター・ウォーズ』が大ヒットし、翌年、その向こうを張って東映は『宇宙からのメッセージ』というSF映画の制作に着手した。監督は当時ヤクザ映画などでイケイケの大活躍中の深作欣二。

皇帝ロクセイア12世(成田三樹夫)率いるガバナス帝国軍が侵略を計る惑星ジルーシアを救うために、地球連邦軍の元将軍ガルダ(ビック・モロー)らと共に戦うハメになってしまった宇宙暴走族の若者シローを真田クンが演じている。

そしてオレは戦闘シーンでもっぱらやられまくるガバナスの兵士。しかし、全身にまるで鎧のような装備をし、頭にも重たいマスクをかぶっているため、「中の人」が誰なのかなんてまったくわからない。視界も狭く重装備のため動きだってめちゃくちゃ制限されて、アクションには全然不向きなスタイルだ。見張りとかで立ってるだけならまだしも、それでアクションをするのだから大変だ。

さて、そのアクションでオレは本番でひとつ、やらかしてしまった。軽い脳しんとうを起こしてしまったのだ。それがこともあろうに真田クン絡みという不本意でちょっと申しわけない出来事だった。

監督の「ヨーイ、ハイッ(スタート)!!」のかけ声で戦闘シーンの撮影が始まった。カメラがシロー(真田クン)に寄り、鉄階段の踊り場から一人のガバナス兵士が下にいるシローに向けて銃を構える。瞬時にシローはその銃をつかみ引き下ろす。たまらずガバナス兵士は手すりを乗り越え床に落下する。…というシーンだ。

そのガバナス兵士の中の人がオレで、その時オレはどうやらハリキリ過ぎて飛び過ぎたようだった。安全のために敷かれたマットを外れたところに落ちてしまったのだ。頭を打っていた。けっこう頑丈なマスクをかぶっていたから傷はなかったが打撲した。たしか痛みもなかったと記憶している。ただ一瞬気絶したような…。それだけで済んだ。

とりあえずまわりのキャスト、スタッフさんも心配して声かけしてくれるが、オレがすぐに回復し、撮影中断を長引かせるわけにはいかないので「全然大丈夫です。すみませんでした」と言うと撮影はすぐに再開された。

さて、その時オレがめちゃくちゃうれしく、同時にとても申しわけなかったのが、オレを引っぱり落とした真田クンに対してである。しくじったのは間違いなくこのオレだった。いかにミスター・パーフェクトでも本番で相手を安全無事にマットの上に落とすことは不可能だ。そんなナマやさしいシーンを撮影してるワケではなく、派手さリアルさが求められているのだ。それを成立させるためには主役とかかり手の息がピッタリ合って、その瞬間、出来得る限り同じビジュアルを共有しなければならないのだ。

これがオレではなくJACのメンバーの誰かがやっていたらきっとそんなアクシデントはなかったに違いない。真田クンとはしょっちゅうアクショントレーニングし、お互いをわかり合っているに違いないから。だが、たとえそうでなくても本番では100%で仕上げるのがプロというもの。多分オレは経験が浅過ぎたのだ。

で、オレがうれしかったというのは、ズバリ!その時の真田クンの優しさである。その時彼はホントに心配してオレを気遣ってくれたのだ。他のスターさんならこうは行かない。「大丈夫?」くらいは言ってくれてもそれまでだ。真田クンは、みんながもう次の撮影の準備を始めている時も「ホントに大丈夫ですか? ボクが引っぱるの強過ぎましたね」などと申しわけながってくれるのだ。オレは内心感激しながら「大丈夫大丈夫。オレが未熟なだけだから」と返していた。だって、ホントにそうなんだから。

幸いにして、そのカットの映像自体にはとくに問題はなく、撮り直すこともなかった。


ちなみに映画『蒲田行進曲』をご存知だろうか。角川&松竹の共同制作で東映京都撮影所が舞台となっている、これも深作欣二監督作品。元々はつかこうへいの戯曲が原作なのだが、これはまさに撮影所の大部屋俳優にスポットを当てた作品だ。

つまり、やられ役専門の役者の感動悲喜劇で、その主人公ヤスを平田満が演じ、そしてその中のワンシーンに真田クンが俳優真田広之役で友情出演、連獅子スタイルで薙刀を使っためちゃカッコイイ殺陣を披露している。

そこで浪人に扮したヤスが真田広之にコテンパンにやられるシーンがあるのだが、劇中の監督の「カット!」の声がかかりまさに血まみれでぶっ倒れているヤスに真田広之が心配顔で駆け寄る。監督が「どうした?大丈夫か?真田くん」と声をかけると「いえ、ボクじゃなくヤスさんが…」と一言。

そう、まさにそれ、真田広之そのもの。彼はそういう人なのだ。ホントに優しい。


さて話は『宇宙からのメッセージ』に戻って、オレはその壮絶な戦闘シーンの別のワンカットで、光線銃で撃たれてビルの3~4階ほどの高さから落下するガバナス兵を演じている。

その光線銃を撃つのは真田クンではなく、アメリカからのゲストスター、ビック・モローだった。オレが子供の頃テレビで見たアメリカのドラマ「コンバット」のサンダース軍曹を演じていた有名なシブい俳優さんだ。(撃たれて光栄です)

そのシーン、本篇を見ると…、激戦の中、光線銃を撃ちまくり次々とガバナスの兵士を倒して行くゼネラル・ガルダ(ビック・モロー)。そして少し遠めの上方に狙いを定め引き金を引く。撃たれて噴煙の中を落ちて行くガバナス兵。それがこのオレというワケだ。

…とは言うものの、遠い。専門的に言うとかなり「ロング」だ。つまり小さい。しかも短い。ほんの一秒くらい? 

それは映画のストーリーの展開のための背景の一部に過ぎないのだから仕方がない。そんなワンカットのためにオレたちスタントマンは体を張る。命をかける。そこがいいのだ。常にメインで映る真田クンとは大違いだが、オレはそんな自分が大好きだった。近頃の事情はよく知らないが、とくに当時は契約だの保障だのは曖昧な時代でオレの手元に来るギャラなんてメッチャ安かったんだけどね。(泣)


さてもうひとつ、今度は仕事以外のオレと真田クンの小さな接点をご紹介しよう。

何でも見事にこなしてしまう真田クン、もちろん歌だって素晴らしい。主演した映画の主題歌も歌い、ライブやコンサートも行っている。そんな彼と、何とオレは一緒に歌を歌ったのだ。しかしそれはまったくのプライベートでである。

どういうことかと言うと、

当時JACのメンバーの中に「キタちゃん」と呼んでいた、スーパー戦隊シリーズでスーツアクター(ヒーローのスーツを着てアクションする人)や後には映画のキングギドラやゴジラの「中の人」をやった人がいて、けっこう仲良くしてもらっていた。ある休日、オレが引っ越して間もない小さなマンションに彼が遊びに来ることになり、その時突然一緒にやって来たのが真田クンだったのだ。

イヤ、それはさすがにビックリした。もうすでに多くのファンからキャアキャア言われていて、ともすれば隠密に行動しなければいけないようなスターな彼がオレなんかの家に遊びに来るんだから…。

しかしどうやってウチまで来たんだろう。それは聞かなかったが、オレの新居は東映の撮影所から程近いところにあり、その頃真田クンも含めてJACのメンバーたちは、やはり撮影所の近くにある東映の宿舎に寝泊まりしていたはず。

まさか歩いてか? 目立つゾ、真田クン。だけど、冒頭に書いた東京の新大久保駅のホームでも彼は一人だった。以外とわかんないものなのかも知れない。「似てるけど、まさかね」てな感じなのかな。

さて真新しいワンルームマンションのオレの部屋、家具なんてないガランとしたもので、有り合わせのものを飲み食いしながら他愛のない話をするワケだが、一体その時どんな話をしたのか、それはまったく覚えていない。今なら聞きたいことはいくらでもあるんだけど、多分その時は思いつくままノリのまま、話のネタはいくらでも湧いて来たのだと思う。

そしてその流れの中で、真田クンが部屋の隅に立てかけたオレのギターを手に取った。そしておもむろに弾き始め、その曲が何だったかも覚えていないが3人で歌い始めた。さらに「あっ、カセットレコーダーあるんですね。録音しましょうよ」と、これはたしか真田クンが言って、オレが新しいテープを入れて3人で何曲か歌ったのを録音した。

そんな思い出があるのだが、真田クンがスターでこっちはただのやられ役と言っても、同じ業界で仕事をし、年令もわりと近く(オレとキタちゃんが一緒で真田クンはオレたちより2~3才下だったかナ)、そんなにワクワクドキドキして浮かれまくるような状況ではなかった。

とは言うものの、その日はとても楽しい休日となったことに間違いはない。…と、オレは覚えているが、真田クンはどうだろう。記憶力はいいはずだと思われるが、中には勝手に消えてゆく記憶もあるものだしネ。

しかし、それにしても悔やまれるのが、なんとその時のカセットテープ・・・ないのだ。なんでかわからない。オレはどちらかと言うとモノを大事にするタイプなのだが…。真田クンかキタちゃんのどちらかが持ち帰ることになったのか、それともオレが持っていてその後の度重なる引っ越しの中で紛失してしまったのか定かではない。

どうやら何故かその頃はそのテープのこと、それほど気にしてなかったみたい。今めっちゃ気になるんだけどね。今だからこそ聞きたいんだよね、あの時の歌。

さてその後も真田クンとは撮影所や撮影現場などで顔を合わすとあいさつを交わすことはあったが、そもそも「居場所」が違うので残念ながらそれ以上に親しくなることはなかった。

やがてオレもいろいろあって上京することになるのだが、そこで冒頭の東京・山手線新大久保駅ホームの件になるワケだ。

しかしその後は全然会うこともなく仕事上の接点もなく、オレの真田クンとの思い出ストーリーはあっけなく幕切れとなる。おそらく今後も会うことはないだろう。

そんな小さな接点でも思い出となり、思い出は財産となる。カセットテープはなくなっても思い出は消えない。この度は『SHOGUN 将軍』という大作ドラマで、彼が主演とプロデューサーを勤め偉業を成したうれしい話題によってオレの過去の思い出がよみがえり、とてもしあわせな気分にさせてくれた。

そしてその『SHOGUN 将軍』もシーズン2が制作されることになったという。今後の真田クンの活躍、心から応援せずにはいられない。それは同時にこれからのオレ自身のがんばりにも繋がるってもんだから。


真田広之という男・・・、今も昔も本当に素晴らしい俳優であり、人間である。そんな男をオレはちょっとだけでも知っているんだゾ…というワケで、そんなことをちょっとばかり自慢したくなるのも人情ってもんだろう。

  
               ・・・ END



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