#4 あまりにヲタクな独り言

興味がない人には完全置いてきぼりな投稿になってしまうのだが、ギターの紹介をすることにした。
マニア向けな内容のため、写真をご覧頂きたい。

数年前、訳あってエレクトリック関連の音楽機材は全て売り払い、アコースティックギターへと転向した。
それまでアコギなんて形の違いも知らないほど微塵も興味が無かったのに、人生とは数奇なものである。
天然の響きや周波数に私はとくと魅了されてしまい、エレキ以上にのめりにのめり込んでしまった。

MARTIN DJR-10-02

即興シリーズでおなじみ、私のメイン機である。
ボディサイズは0(シングルオー)とほぼ変わらない。
ちゃんとした大きさがある上で小振りなため、本当に扱いやすい。
スケール(弦長)も短いのでテンション感が柔らかく、ギブソンのように「音の塊」的な音像になるので、歌によく合う。
サイドバックはサペリという木で、特性上マホガニーに似ていると言われるのだが、フラットでクリスピーな感じがメイプルやコアに近い気品を感じる。
身近で安心できる人のような、とにかくお気に入りの一本。

MARTIN CTM 00

12フレットジョイントなので、通常の00(ダブルオー)より若干胴長。
トップがアディロンダックスプルースで、サイドバックはブビンガという変態仕様。
テキトーに弾こうとすると気持ち悪く聴こえてしまうじゃじゃ馬ではあるものの、その尖った繊細さが唯一無二ゆえに手離せない、融通の効かないお嬢様みたいな子である。

MARTIN CTM OM-28
(2023年に売却済み)

トップはシトカスプルース(VTS)で、サイドバックはインディアンローズウッドと標準に近い構成。
歌うのには絶対マホガニーの方が収まりが良いのに、どうもローズ系の深い音に惹かれてしまう。
OM(オーエム)は軽めに弾いても感動する力強さがあるので、私感だと一番好印象なモデルである。
元気なのにアッサリとして嫌みがなく、人にオススメするならこれかもしれない。

MARTIN CTM D-42

アコギ転向後に手にした、始まりの杖。
42というスタイルにしたのは「大空を滑空して飛び続けている」雰囲気が心情と重なったからである。
これが45になると、がっちりと大地を踏みしめる感(まぁこれが痺れるのだが)が強くなり、弾き語り重視の私にはちょっとしつこいかな、と感じた。
とは言うものの、トップがイタリアンアルパインスプルース、サイドバックとネックがメイプルという、材質だけ見ればただのバイオリンである。
ギブソンのDoveやJ-200がメイプルなので、ドッシリした40番台の音色というよりは、完全にそちら側のパコンとした箱系の音質が印象として強い。
28に比べると倍音が恒常的で、音を出しているだけで別の世界にいるような錯覚を起こしてしまう。
他によくできた手工ギターで素晴らしいものは山程あるのだが、弾けば弾くほど代用できるものがないことに気がつく。
正直なところ、音の分離やコンプレッションの薄さが優秀なために、歌モノやバンドの伴奏としてはマーティンギターというのはどうも扱いにくさがある。
それがギブソンなんかだと、まるで自分の身体と一体化している感覚に陥って陶酔してしまうのだが、マーティンは強い個性が別の角度から攻めてくることによって表現の自己完結がない。
つまり新しい発見をし続けられることが、マーティンを弾き続けている最大の理由となっている。

ESP Rising Star

エレキはこれ一本のみで、元々もう要らないからとあげてしまっていたものをわざわざ私の手に戻して頂いた、理屈ではない縁を感じざるを得ない代物である。
説明するまでもない、このアホみたいなインパクトである。
最悪、この一本だけあれば良いかと思っている。

なんと言おうと音楽をする以上、ギターは道具に過ぎないし、一度に弾けるのも一本だけである。
SIAM SHADEのDAITAさんは「ちゃんと弾けるギターが二、三本あればそれで充分」と言っていたが、本当にその通りで、こんなに持っていても仕方ない部分はある。
アコギは管理に気を遣うので、基本的には眠り姫状態にしてあり、骨董品や仏壇の扱いに近い。
あまり弾かないのもアコギファンの人からは茶々入れられるのでどうかとは思う面もあるが、私にとってはアトラクションであり、美術品であり、人生を捧げるに値するモノなので、こだわりとして枕元に置いている。

毎度繰り返すようだが、人生は短い。
迷惑はかけてはいけないが、他人の言うことや感情にのまれるくらいであれば、自分のことに注力した方がよい。
そう、ヲタクは良い生き方だと私は思う。

突き抜けて、かたちすら分からなくなるほどに。


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