未来へ進み続けるしかない

アトロク  #utamaru でカラテカ矢部さんが紹介していた本「ウィトゲンシュタインの愛人」。

地上最後の一人の女性が、海辺の家で暮らしながら、終末世界の「非日常的な日常」をタイプライターで書き綴る......息をのむほど美しい〈アメリカ実験小説の最高到達点〉。

番組中に矢部さんがおっしゃっていたけど、この文章は「タイプライターで書かれている」という体裁になっているところが特徴のひとつらしい。
タイプライターは基本的に書いたものを訂正できない(修正テープ付きのモデルもあるにはあるけれど)。
だからなのか、この女性も思いつきで書いてはみたものの、あとの文章になって「あれは違ったかも」「あれはこうだったかも」と前言を覆す文言を遠慮なく書き連ねているようだ。

これはもう、まさにラジオの生放送と同じ語り口調と言える。
口から出た言葉は、生放送である以上、取り返しがつかない。
あとで別の表現に言い換えてみることはできても、簡単に前言撤回とはいかない。
前の言葉を覆したり、言い換えてみたりしているうちに、より混沌を増すことも少なくないだろう。
そのカオスもまた、生放送の味わいと言える。

僕がネットラジオをやっている理由のひとつも、そういう「取り替えのつかなさ」なのかもしれないなと思った。
激しく後悔をすることも多いのだけれど、それでもやっぱり「その場しのぎ&その場限りの言葉」をリアルタイムで紡いでいく感覚は楽しい。
とにもかくにも先へ進んでいくしかない。

口をついて出た言葉は、ときに鋭く光り続けることもあれば、一瞬で輝きを失ってしまうこともある。
どちらかといえば、後者の方が多いかもしれない。
それはつまり、自分に話し手としての力量が足りていないからなんだろう。
それでもいいさ。グレート アマチュアリズム万歳。
しがないアラフィフのオヤジでも、スマホで喋っている瞬間は主役の気分が味わえる。
結果的に平凡な言葉ばかり並んだとしても、それこそリスナーが一人もいなくなってしまっても、たった一人の世界でタイプライターを打ち続ける女性のように、誰に響くともなく言葉を紡ぎ続けていくのかもしれない。

だからこそ、ネットラジオでひとりでもリスナーがいてくれることが、とてもとてもありがたい。

トミラジ
http://twitcasting.tv/tomishu


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