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フィリピン概略(1)歴史

今回はフィリピンの歴史についての記事を書こうと思います。

フィリピンが文字上の記録に登場するのは、スペイン統治の時代になります。

それ以前は文字が使われていなかったため、記録として残っていませんでした。

スペイン統治時代は400年近く続き、それが今に与える影響が大きいです。

例えば、現在フィリピンで使われているフィリピノ語にはスペイン由来の言葉が残っていたり、現在の9割以上のフィリピンの方がカトリックを信仰しているのはこの時の名残かと思われます。

200年ほど前からは、アメリカの植民地となります。
この時の教育制度の名残から、今でも公用言語として英語が採用されています。

第二次世界大戦中、日本軍による侵攻が始まりました。
アメリカは1944年にフィリピンが独立することを認めていましたが、
日本軍が侵攻してきたため、それに対して小作人を中心に抗日人民軍を結成し、抵抗しました。
一方で、地主は日本に協力する姿勢を取りました。

第二次世界大戦終了後、アメリカから独立しました。

日本に抵抗していた抗日人民軍は、地主に対して、土地の分配を求めました。

これを嫌気した地主たちは、かつての宗主国だったアメリカに助けを求めます。
これにより初代大統領は抗日人民軍だった共産党系武装集団の弾圧をおこない
地主VS小作人という形での闘争が長く続くことになりました。

その後の大統領はこの小作人系の武装集団に対して宥和政策をとるなどして、
しばらく多数派を占める小作人系の人々の不満をある程度おさえていました。

しかしながら、1965年に就任したマルコス大統領は、米軍基地の設置、ベトナム戦争への参戦などによってアメリカとの連携を深め、それを後ろ盾に小作人を中心とする不満勢力に対しての弾圧を強めます。
マルコス政権下では、開発独裁による経済発展もありましたが、それはフィリピン自国での資本ではなく、アメリカを中心とした外国資本によって行われていました。

このマルコスに抵抗していた勢力のリーダーであるベニグノ=アキノがアメリカに亡命していましたが、国内に戻ったときに暗殺されました。

この暗殺は、マスコミの目の前で行われ、そこからこの情報はまたたくまに広がりました。

その上、このベニグノ=アキノの婦人であるコラソン=アキノが1986年の大統領選挙に立候補し、圧倒的な支持をえて当選、のはずでしたが、
マルコス政権は選挙結果をでっち上げて、マルコスの圧勝ということにしました。
その結果に不満を持った国民たちのいちぶがそのまま武装蜂起しました。

マルコスは軍部にアキノ支持勢力の弾圧を命じましたが、軍部はその命令を拒否し、
これによりマルコスは国外へ亡命、失脚することとなりました。

これにより、政治的には、自由選挙、民主化の道を歩むことになるかといえば、かならずしもそうはならず、
経済的には、昔から続いている地主制や米国資本の影響が根強く残ることとなったようです。

マルコスに対抗していたアキノ氏も実は地主勢力で、
地方ごとに地主で力を握る人がいて、その人がもと小作人たちに、土地を貸したり、労働をさせる、といった関係が残りました。

ベトナム・インドネシアは自力で独立を勝ち取りましたが、
フィリピンはアメリカに独立を与えられた、という違いがあります。

その点、ベトナム・インドネシアはアメリカや中国などの大国との距離を一定程度保った体制づくりができたものの、フィリピンは戦後もアメリカとの依存関係が残ってしまった、といった見方もできるかと思います。

また、政治的にもアロヨ大統領はのちに選挙の不正を行っていたことを認めるなど、
まだ民主化という観点では課題が残っているようです。

2000年をすぎたあたりからは中国への経済関係が深まっているようで、
2022年11月には、貿易額はドルベースで
中国:約26億ドル
インドネシア:約11.4億ドル
日本:約9.3億ドル
アメリカ:約7.4億ドル

といった形で中国が貿易額で圧倒しています。

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