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インドの概況(2)歴史

インドは200年以上前に遡れば、ムガル帝国という一つの国にまとまっていました。

今でいう、パキスタン・バングラデシュ・ネパール・ビルマに当たる地域もひとまとまりになっていました。

当時は、イスラーム教・ヒンドゥー教その他いろいろな宗教の信者がいました。
ムガル帝国はイスラーム教国でしたが、ジズヤという税金を払えばどの宗教も認める方針であったため、おおきな反乱も起きていない状況がありました。

しかしこのジズヤを廃止したため、このムガル帝国の解体が始まり、
その状況を利用し、植民地支配を始めたのがイギリスでした。

植民地支配中、インド人への自治を少しずつ認めていく中で、
1935年インド統治法では、州ごとに投票を行い、知事を選ぶという形になりました。
これにより、イスラーム教徒が多数の州では、イスラーム教徒の知事が、ヒンドゥー教徒が多数派の州だと、ヒンドゥー教徒の知事が選ばれると言う形でした。

そうすると、その延長線でインドが独立し、一つの国のままでまとまる場合、議会では
ヒンドゥー教の議員が多数派になるわけなので、イスラーム教側の意見が通りにくいことが決定的になるわけです。

そのため、イスラーム教がわのリーダーであったジンナーは、イスラーム教徒が多数派になる地域(今のパキスタンとバングラデシュ)での分離独立を図りました。

イギリスから独立後、パキスタン・インドと言う形で別の国としてスタートしたわけですが、インド・パキスタンの国境をどうするかでもめ、戦争になりました。

このカシミールあたりを巡る領土争いは、決着はまだついていません。つい3年前もインドとパキスタンで交戦していました。

インドパキスタン戦争が始まった時、インド独立のリーダーだったマハトマガンディーは分離したら領土でもめることを憂慮し、分離独立に反対していましたが、どの宗教も認めようとする姿勢は、当時の過激派ヒンドゥー教徒を刺激し、暗殺されてしまいました。

そのため、インドは「建国の父」であったはずの人物が不在という状況から独立国としてスタートすることになりました。
その点、ベトナムでいうホーチミン、インドネシアのスカルノ、中国の毛沢東
といった形で、強力なリーダーがおらず、ネルー自身も社会主義体制をつくろうとしたものの、うまくいかなかったというところはこういった国々と異なる点かと思います。

また、インドの憲法は、イギリス植民地時代に作られた仕組みを基礎にしている部分もあり、その点民主主義的な制度づくりが進みました。インドの行政トップが大統領でなく首相なのもその名残りかと思います。

このインドパキスタン戦争で、アメリカはパキスタンを支援しました。
当時の旧ソ連構成国であったタジク(今のタジキスタン)とほぼ隣接するパキスタンを親米にとりこめば、ソ連の南下政策によりインド洋に出るのを阻止できると考えたためです。

それに対抗すべく、インドはソ連や中国と接近することになります。

しかし、中国とは、チベット仏教の指導者ダライラマの亡命とその引き渡しをめぐるいざこざをきっかけに関係が悪化し、中印国境紛争が発生します。

そんな中、ちょうど中国との関係が悪化していたソ連との関係がつよくなりました。

関係が悪化していた中国が1964年に核兵器の開発に成功したことや、
1965年にふたたびパキスタンとも戦争があったことなどをうけて、
インドはソ連から核の技術提供を受け核開発を行い、
結果1974年にはインドも核実験に成功しました。

こうしたところが背景で、アメリカ・中国とは距離をとっていて、旧ソ連であるロシアとの関係性を安全保障上重視しているところもあるようです。ウクライナ戦争でロシアへの経済制裁を拒否しているのもそういったところも関係があるかと思います。

一方、パキスタンとして分離独立していたベンガル州のイスラーム教徒たちは、パキスタンからの独立運動を展開していました。

そもそも現パキスタンの地域とは、宗教こそ同じでしたが、使用している言語が異なっていたことや1000キロ以上の飛地(しかもその中間には対立関係にあるインドがある)だったことなどから統治が行き届いてなかったことなどから不満が高まっていたことなどが背景にあります。

インドはこのベンガル州の独立を支援し、パキスタンと戦いました。(第三次インドパキスタン戦争)

結果、パキスタンも1972年にベンガル州の独立を承認しました。
このベンガル州が現バングラデシュ人民共和国になります。

こうした状況をうけて、インド国内の少数派であったシク教徒も独立運動を展開していましたが、インディラ・ガンディーはこれを弾圧し、1984年には首相本人もシク教徒に暗殺されてしまいました。

しかしながら、2004年には、総選挙で勝利した国民会議派のリーダーだったソニア・ガンディーがシク教徒である、マンモハン・シンにリーダーを譲り、シク教徒初の首相が誕生しました。
こうして国内での宗教対立を乗り越えようとする動きもあります。

また、インディラ・ガンディーは暗殺こそされてしまいましたが、1966年に女性初の首相となるなど、女性進出が進んでいる側面も見られます。

このように、インドは、
隣国との対立こそあるものの、
大国との距離感を保ちつつ、
また民主化も進んできている国であるとも言えるかと思います。

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