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ドラマ 火花についての限りなく私的な考察① 神谷と徳永について

ドラマ火花を観た。3度目。
1度目はNHKの少し短いバージョン。瞬きする事さえ惜しく食いいるように観た。2度目はどうしてもレンタルする気になれずソフトを購入したので、再会にトキメキながらその世界全てに引き込まれた。

3回目にしてやっと余裕ができたのか、林遣都の造形の美しさ(特にその瞳)と憑依する加減のヤバさが、こんなにもこの世界に魅了されるという事象に深く関与してると気付いた。遅いわ。そして、波岡さんの神谷。上手いなぁ。
そして本当にこの2人の関係性って何。

実は2度目と3度目の間におっさんずラブがあったんだけど、楽しく観てたけれど、名作だと思うけれどそれほどハマらなかった。
多分、恋愛ドラマだったから。純愛だけど恋愛は恋愛だ。ある意味分かりやすく完結しているからかな。

人と人との関係は、たいがいは複雑で奇妙で謎に満ちている。
強く惹きつけられる感情には明確な名前が付けられない事が多くある。
火花の神谷と徳永の関係は独特で強烈だ。
過激な好きさが過ぎて、時に憎しみまで滲む程。

2人の交わすメールの言葉が凄く好きだ。
夥しい数の桃
泣き喚く金木犀
エジソンが発見したのは闇
エジソンを発明したのは暗い地下室
カノン進行のお経  とか、
間違っていたらごめんなさい。

2人は同じように言葉に侵され、呪われている。同時に祝福されている。
誰にも割り込めない、立ち入れない関係性だ。
その妖しさに胸が締め付けられる。これが尊いという事なのか。

ラスト近く、徳永が神谷伝説の新しいページに書き付ける
「生きている限りバッドエンドはない」の文字。
又吉の書いた言葉が、生き生きと立ち上がるのがみえたよ。
(林遣都の字も美しければ、佇まいが美しい。そして奇跡のダイヤモンドカットの瞳にトドメを刺される。)

この2人はあまりにも圧倒的で、波岡一喜と林遣都はこの世界を生き切っている。ディスクの再生を始めたら最後、細胞単位で持っていかれる。忘れていた記憶を感覚を呼び覚まされる。それは現世での事だったのかさえわからない。懐かしい慕わしい感覚。これから死ぬまでに、このドラマを何回観るのかな。何回、救ってもらうんだろう。

この作品を作って届けてくれた、スタッフ、監督、キャストを始め関係者の皆さま全員に深い感謝しかない。


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