God knows...
もう3時間近く、恋人のクルミに付き従って郊外にあるアウトレットモールでさまよっている。
片っ端からアパレル店に立ち寄っては、多種多様な衣服を試着するクルミに付き合うのにも、そろそろ疲れてきていた。
恋人のクルミは幼い顔立ちをしていたが、均整のとれた体型と化粧によって、大人びた着こなしもよく似合った。僕自身は女性のファッションにはさほど関心がないので、本人が気に入りさえすればそれでいいと思うのだが、クルミが着替えるたびに意見を求められた。
「真剣に選んでるんだからさ、もっとちゃんとみてよ」
「いいんじゃない、どんな服でも似合ってるよ」
「そういうのが、適当だっていうんだよね」
そう言うとクルミは口をすぼめてみせた。怒られても、実際に、今どんなファッションが世間で好まれていて、どんな種類のファッションがあるのか知らないのだから、的確に答えようがないのだが……。
「あまり、私のこと大事じゃないんじゃない?」
クルミはあからさまに不機嫌そうに言った。彼女も疲れてきたのだと思い、少し休憩した方がいいと考えた。
「そんなこと絶対にないよ。ちょっと休憩しようか。次の店に行く前に何か食べようよ」
少女趣味が際立っていて特徴的な店を後に、売店が並ぶ一階のフードコートへと向かった。
癇癪を起こし始めたクルミの相手をするのにストレスを感じてか、視界の端にチラチラと幾何学模様がみえてきた。疲れが溜まってくると、いつもこのような幻覚が目の前に現れる。それは自分が特別なのではなく、誰にでも個人差こそあれみえるものらしい。幻覚がみえてきた時には必ずひどい偏頭痛に悩まされる。
フードコートで空いていた席に座ると、クルミの方から「……ごめん、私があなたのこと振り回してるのにね。疲れるよね」と謝ってきた。
「私が何か買ってくるよ。待ってて」
クルミは言いながら売店の方に向かった。半透明に蠢く模様がクルミの後ろ姿に重なっていた。ガチャガチャと、視界を満たしていく。不快な痛みを伴って。
上着のポケットにしまっているスマートフォンが着信を告げる。取り出すと、画面には届いたメッセージが表示されていた。
画面から吹き出してくるかのように模様は溢れてくる。鋭い痛みが増す。頭の奥底でけたたましい音が響いているのに気付く。懐かしくも忌まわしい記憶を呼び覚ます雑音が。
“わたし、閉じ込められているの、あれからずっと”
強く光る文字が刺すように意識に飛び込んできた。
“わかっているんでしょ? はやく連れ出しにきなさいよ。助けにきてよ! はやく!”
周囲の景色が色を失い、灰色に変わっていく。
(誰だよ、これ?!)
必死にクルミの姿を追った。ひょっとすると、彼女の悪戯かも知れない、そう思ってもみた。自身の反応への嫌悪が沸き起こるも、クルミの背中を見つけようと焦る。しかし、売店で店員に注文を告げ、代金を払うクルミがはっきりと見てとれた。 彼女ではない。
「どうしたの? すごく調子悪そうだよ」
飲み物の入ったカップが差し出されていた。クルミが両手に持ったカップの一つを渡してくれる。湯気が上がっているというのに、カップからは熱が感じられなかった。
「……最近、忙しかったからかな」
「久しぶりに休んで疲れが出たのかもね。もう、帰ろうか?」
「ああ」
カップの中身をひとくち飲み下した。やはり、舌にも熱は感じられない。味も全くわからなかった。
駐車場に向かう途中、幾何学模様はいよいよ、激しく目の前をのたうち始めた。ふと、すれ違った女が吐き出したタバコの煙が鼻を擽る。それはよく知っている匂いだった。よく知っているはずの、甘い匂いだった。
(ハルミ?!)
女の顔を確かめようと振り返った時、青色のスクリーンが、視界の向こうに突然に拡がった。その他の何もかもが、隣で歩いていたクルミすらもが、姿を消してしまった。スクリーンには女の顔が気が遠くなるぐらい大きく投影されている。壊れたコンピュータのモニタのように、平面的で、画一的な世界があった。女の唇がゆっくりと動いてみせる。
「あなたが、宇宙そのものや、超越者かなにかだったとしたら、わたしは退屈なんてしなくて済んだのに」
とっくに忘れてしまっていた、 ハルミの声だ。
「わたしはつまんない、凡庸な子だった? だから、あなた、見捨てたの?」
退屈や日常性を激しく嫌悪していたハルミの周りでは、いつでもトラブルの種が尽きなかった。自分をギリギリのところまで追い込んでみせるハルミの近くにいて疲弊してしまった。逃げたかった、とにかく、ハルミから逃げたかった。甘い幻想から、底に沈んだような時間から、鋭い痛みから。
「助けて欲しかったのに。わたし、ずっと待ってたんだわ。あなたが世界をまったく新しくつくりかえてくれるのを」
炎があがる。ハルミの顔を、青いスクリーンを溶かしながら、焼いていく。世界を燃やし尽くすまで、炎は勢いを止めないだろう。ハルミが望んだ世界はもうどこにもない。誰かの夢の中の物語のように、陽が昇れば消え去ってしまう、影でしかない。
僕は目を閉じた。その炎が自分まで焼いてしまうのを、待ち侘びるかのように鼓動を止めるかのように。
しかし、僕が焼かれてしまうことも、世界が燃やし尽くされることも一切なかった。青いスクリーンが焼け落ちた後に残されたのは、いつもの感覚だけだった。隣にはやはりクルミがいたし、僕は気分をことさら悪くしてうずくまっていただけだった。そこはアウトレットモールの一画であり、世界は色を取り戻していた。模様ももう消えてしまっていた。
「ほんと、ものすごく調子悪そう。帰りの運転はわたしがするからね」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?