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LuLu

暗欝な気持ちが、晴れた午後だというのに、室内にこもって部屋のカーテンを閉じ、猫をたまに撫でたり、愛でたりして、シーツやソファの上を忙しなく行き来するルルの尻尾が揺れているのをゆっくりとコーヒーカップを傾けながら、苦い液体を喉頭、“こうとう”とタイピングして変換して、google検索して、文字と煙の行ったり来たりを、在り来たりの産物の、機械の感覚の無痛状態を満喫していた。

Lou Reed & Metallicaの“LuLu”は、メタルヘッズをウッドストックの恍惚へと導く、一服の白い粉末状の鼻孔の粘膜から吸収された夢のような、夢と形容されるかのような、意識変容感覚をもたらすはずだった。そう確信を強くした私たち二人は、散りゆく、むしろ、散り際の紅葉を眺めにいこうと、車を走らせた。棺桶じみた。

車を買ったばかりの頃は足助の方までよく理由もなく一人でドライブをしていた。純粋にドライブするということを味わってみたかったからだ。しかし、今回は、その頃に走っていたルートとは違うルートをカーナビが指し示した。それもまた、何かの暗示だろうかと、そう一応は疑ってみるのが最近の風潮だ。凄惨な事実の興味本位に誇張された、衝動的な、碌でなしの薬物中毒者の寝言や、鼻ちょうちんの、増殖に増殖を重ねた事実の集大成のような、そうでないような。

“××××”1、“×××”1、を購入後、紅葉狩りに。ジョイントを回し、デジタル一眼レフカメラを取り出す。

肉体は朽ちるとも、カメラに山並みや、紅葉の色の混ざり具合やら、何やらと混合された、画像としての私たちは、どうかした都合で長い間データを保持されて、0と1の集まりで呈示される情報としては、意味を持つのかも知れない。

という風に何かと考え事をしながらアングルを決めていく。客体としての視点を味わいながら。何を書いているのかよくわからない。



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