あの日。
大学生の頃だった。
毎月のオーディション誌から必死に案件を探していた頃。
ある時、映画の“中学生役のオーディション”というのを見て
一か八かで応募した。
映像のオーディションにはあまり良い思い出がなかったので
あまり期待してなかったが、ちょっとワクワクしていた。
ある日、電話で連絡が来た。
キャスティングの方からだ。
その人はこう言った。
「履歴書見て、中学生役はちょっと難しそうなんだけど、高校生役のオーディションがあるからそっちを受けてみないか?」と。
僕はチャンスがあるならばと思って、面接してもらうことにした。
まだ都内にあまり慣れていなかったからドキドキで移動して駅に降り立ったのをいまでも覚えている。
会ってみるとその人はとても優しそうで
履歴書を見ながら
「おぉ。中学生役もいけるかもね…
とりあえず、この間言ったオーディション受けてもらって良い結果出してくれたら、事務所も紹介するし、応募してくれた中学生役も応募してあげるよ」
と言ってくれた。
僕はチャンスだと思った。
もしかしたら人生最大のチャンスだと。
高校生役のオーディションの詳細を聞くと
監督の過去の作品も教えてもらい、事前にチェックした。
薄っすらと知っている作品だったからテンションが上がった。
ただ、演技経験はほとんどない時代だったので、
オーディションというものが本当に苦手だった。(今もだけど)
最初のオーディションは面接だった。
たしかセリフも読んだ。
大学のダンスチームのリハーサル後に急いで向かった記憶がある。
その審査はなんとか通った。
キャスティングの人はとりあえず次も頑張ってねと褒めてくれた。
聞くところによると、フリーの俳優は僕だけだった。
他の子たちは大手の事務所の若手ばかりだという。
プレッシャーと同時に僕はもはやこの人の期待を裏切りたくない一心だった。
次は実技(スポーツものだったので)審査で
オーディションを受けている俳優たちでグランドのような場所で走った。
中学生の頃から走るのは得意で、中学・高校と駅伝のメンバーになったりしていて走るのは得意だったので、とにかくこの実技に全力を尽くそうと思っていた。
スタートして僕は上位チームに食いついて走り、一時的に1〜2位を争っていた。
その時、長身のスッとした俳優が声をかけてくれた。
「君、フォーム綺麗だね。」
走りながら2〜3言会話をしたのを覚えてる。
僕は最初に気張りすぎたのかゴール直前で少しバテてしまって順位を落とした。
でも、たしか割と上位には入っていた。
その後、演技審査だった。
この審査は正直あまり覚えてない。
あまり納得のいく結果ではなかった気がする…
そしてオーディションは終わり、あとは結果を待つのみだった。
数日後、結果が来た。
結果は不合格で、ダメだった。
同時に僕は色んなチャンスが消えていく感じがしたのを今でも覚えている。
もちろん、そのキャスティングの人とは連絡を取らなくなった。
その後のオーディションにも事務所への紹介にも巡り会うことはなかった。
結果を残せなかったことより、期待に応えられなかったのが何よりも悔しかった。
その後、その映画が公開されてお客として映画を観た。
こんなに素敵な作品のチャンスを逃したとまた更に悔しくなった。
実技審査の走りながら声をかけてくれた人は主人公のライバル役になっていた。
また更に悔しくなった。
でも、その人はオーディションの時から輝いていたのは僕でもわかってた。
そして、今、
何より悔しいのは、
この作品の主人公の人と
もう二度と共演のチャンスすら得られなくなってしまったということ。
僕はその一度きりのチャンスを逃したことを、いままた後悔している。
僕にはその姿は輝いて見えてた。
特にここ最近は底力や本当の才能を輝かせているかのようで
その姿を見るとなんか勇気をもらってた自分がいた。
どんなに凄い人だったんだろう。
人に何かを届けられるエネルギーって本当にすごい。
言葉も音楽も絵も写真もスポーツも文章も…
みんなそんなエネルギーや魂を削りながら精一杯表現に生きてるんだなぁ。
誰かにとっての
特別な存在だったはず。沢山の人の。
そんな人がいなくなるのは本当に辛い。
自分も限られた命の中で
せめて一人でも多くの人の心に
すこしでも何かを届けられる存在になりたいと
そう、思う。
昔から“何かを残したい”って思い続けてきたから。
だからこそ、、。
世界は暗い。思ったよりも暗い。
けどそんな世界を明るくしてくれるのは
自分ではない誰か。
誰かにとっての誰かになって、
勇気や笑顔のタスキを渡せるように
あの作品で駆け抜けていった人たちのようにもっと前に走っていけるようになりたい。
心よりご冥福をお祈り致します。
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