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盆踊りの話。

8月ももう終わろうという中、〆切に追われているトミです。

先日行ったハロー!プロジェクト所属グループのBEYOOOOONDS /CHICA#TETSUの島倉りかさんのバースデーイベントにて盆踊りをしたのが唯一夏らしい出来事でした。とても素敵なりかSUMMERを味わえてオタクはとっても幸せだったわけです。本当に楽しかったガチで。

盆踊りを生まれてからほとんどしたことがなかったんですけど、すごい楽しかったんですよね。島倉さんの仰るようにネタとかじゃなくて『真剣に』やってみたんですけどこれが意外に楽しくて。ファンの皆様方と連帯して盆踊りを踊るというのがなんともまぁ得難い経験で。なんなんだろうこの高揚感はと考えていました。踊り自体の楽しさももちろんあるとは思いますが誰かと一緒に大きなものを作り上げることに結構大きく感情の比重が傾いていたような気がします。これはたくさんのことに通じるような気がします。

演劇も含め基本的に社会そのものがたくさんの人間が連帯して何かに取り組むと言うことがベーシックな方法として根付いています。政治だってそうなわけです。ただ政治やスポーツは敵とされるものを作ってしまいがちなのでそういう認識は意外とないかもしれません。演劇や祭り、コンサートなどは違った連帯があります。私が演劇を観に行くといつも思うことが
「これだけの人がまだ演劇を観ていてくれるんだ。」
という安心です。
誰と話したわけでもないのに勝手に安心する。言葉を交わさなくてもそこに僕の仲間意識、小さな連帯があるんですきっと。

誰かと一緒。安心する言葉です。
誰かわかんない人と一緒。怖い言葉。
みんなと一緒。怖くもある言葉。
現代の世間を指す時の『みんな』の中には誰かわかる人と誰かわからない人がいます。昔はきっとみんなの中に誰かわからない人がいなかったからまた違った感覚だったと思いますが。

盆踊りやアイドル、政治、宗教などなど、どれも必ず「誰かわからないみんな」がいます。でも時に、それこそ真剣に盆踊りを踊っていたりするとみんな仲間だって思ったりします。すごいことです。「盆踊り」をしている間だけは安心できない誰かを信じてみんなで夏を盛り上げるんですから。素敵じゃん、盆踊り。もう少し成り立ちとか勉強してもっと深く色々考えていきたいものです。

これは余計な話ですが、現代、個人が尊重される世の中に日本人の国民性が噛み合わず複雑なことになって苦しんでいる人たちがいることと思います。だけど私なんかはどっちも味わったらいいじゃないかと思います。盆踊りも1人キャンプもどっちもやったらいい。それに誰が何をいうわけでもなくどっちも楽しいよねって言い合える世の中であって欲しいなと思います。尊重するってそんな感じだと思ったり。余計な話しですが。

ま。それはともかく、島倉りかさんの歌声は本当に素敵で一度ぜひ聴いていただきたいのでYouTubeのリンクだけ貼っとくわね。ハロプロはいいぞ〜〜☺️


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