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Sicknote Page.7 考えすぎか

実感を得るために

ひとまず盆休み中は禁酒、禁煙には成功。それ以外は普通に過ごした。
実感を得るためにネットで色々調べてみる。
それ以外にステージⅢを告知された人のYouTube動画を見たり、体験談、がんに関する情報を集めていった。
ただ、「治療費はいくらになるのだろう」とか、「追加治療はするのだろうか」とか、「治ったらお酒は飲めるようになるのだろうか」とか、実際の病気にや病気になった自分に関することよりも、それに関わる諸々のことが気になって、病気の実感が全然得られない。
「がんを告知された人はショックを受ける」といいますが、全然それっぽい心境にならない。

人生や命については考えた

この時点では不明な点は多いのですが、いろいろ考えたりシミュレートしてみました。
例えば、もし余命を告げられるような事態になったら。とか。
いろいろ考えていると「そもそも長生きしたいか?」という疑問にぶつかりました。

私は、特に入れ込んでいる趣味もない、恋人や家庭があるわけでもない。一応会社では役職がありますが、メンタルをやってからそれなりのことしかできていない、お飾り上司をやっているだけでワークフォースとしての価値は低いと思う。まず仕事でなにか成果を出そうとか考えていない時点で成長が止まっている。こんなつまらない人生、長生きしても仕方がない。そんなことを考えていたのです。
逃げたような考えですが、30歳超えてこの考えに至ってしまって、どうしようもねぇなと思っています。
もし長く生きられないのなら、ひとまず好きなことをして、ゆっくりできるだけ苦しまずに逝きたいな。そんなことを思っていました。

なので、自分が「闘病」という言葉を使うのはなにか違うなと思っているのです。長生きしたいと思っている人や病気を治そうと思っている人が使うから「闘病」だと思います。
私みたいな考えの人は何なんでしょうね。「病と共生」でしょうか。

ただ、こんな私ですが、親に心配かけたのは辛かったです。
一番つらかったのは、親同伴で受診する日の前の晩、母親に「丈夫な体に生んでやれなくてごめん」と言わせてしまったこと。これは非常に辛かったです。次の日、母と別れたあと、それを思い出して、駅で少し涙目になっていたと思います。こらえたけど。

「こういった考えしかできないなんて、親不孝者だな・・・」とか思う日々でした。

これ、現実と向き合っているか?

#sicknote #がん #腎臓 #告知 #自身の反応

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