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容姿への言及に関する個人的悩みと考察

どんなに仲の良い友達との会話でも、容姿に関する話題には正直うんざりしてしまう。

私は現在大学生で、仲の良い友人と集まると美容にまつわる話に花が咲く。仲が良いからこそ気兼ねなく言えてしまう話なのかもしれない。「haruは本当細いよね、折れそうで心配」「haruはナチュラル型(体型の話)だから、こういう服を着た方がいいよ」「首が長くて羨ましい」...

友人は単にアドバイスとして、褒め言葉として、こういう言葉を投げかけてくれているのかもしれない。容姿を褒められて嬉しいと感じる人は多くいるだろう。

ただ、他人の容姿に関する感想を自分の中に持つまではいいとしても、それを相手に伝えたり、仲間内で話したりする文化に私は大きな違和感を感じる。こういった他人の容姿に関して話したり伝えたりする文化があるから、「自分の顔・身体はこう思われているんだ」と普段自分でも気にしていなかったところまで気になってしまって、それが過度な整形や人前に立つ時の緊張感を助長しているのではないかと思う。

私は確か、小学生くらいまでは人前に立つのにそんなに緊張するタイプではなかった。それはおそらく、小学生のうちは他人の容姿に関して友人と話したりしないし、話しても「あの子可愛いよね〜」とか抽象的な話だったからではないかと思う。それが中学・高校と上がるにつれて自分も含め他人の容姿も気になるようになり、胸が大きいだの小さいだの具体的な話を仲間内でするようになった。「haruは可愛いね」そう言われるたびに、嬉しいけれど「あ、見られてるんだ」と自分の容姿をより意識するようになった。

とは言え自分の容姿を意識することは、決して悪いことであるとは言い切れない。自分の容姿を意識して、磨いて、その美しさで活躍している人もいるのだから。ただ、その意識は自分の内から湧き出ることが理想だよなあと思う。自分が「こうなりたい」と思う方向に自分を磨いていければ、人は輝くと思うから。だけどその意識が他人の指摘から生まれたものだとすると、その指摘された部分にすり寄せる、もしくはその部分を隠すという行為に繋がって、結果的にそれは自分の本来の魅力や自分の本当になりたい姿を遠ざけてしまうのだと思う。

アジアの国(特に韓国なんか)では他人の容姿への言及が日常茶飯事で行われているが、アメリカやフィンランド、スウェーデンなんかでは誰かの見た目について自分のものさしで一方的に褒めるのはその人を貶すことと同じくらいネガティブな意味を持つらしい。

https://twitter.com/minotonefinland/status/1006088348669239298?s=21

「誰も望んでいないところで当然見た目を褒めることは相手を一方的にジャッジすることになり失礼にあたる」。

自分は褒めているつもりでも、それが相手にとってはコンプレックスであるかもしれない。コンプレックスでなくても、容姿に関する言及はその人の潜在的な魅力を削ぎ落とし、その人本来の輝きを奪うことになりかねない。

ここからは私の個人的な悩みなのだが、冒頭に記述した通り、私の仲の良い友人同士で集まった際、時折体型など容姿にまつわる話題が上がる。友人はおそらく私を褒めてくれるつもりで、もしくはアドバイスをしてくれるつもりで私の容姿に関する言及を度々するのだが、あまり良い気分にはならない。容姿に関する話題以外は、友人との会話は楽しいし人としても尊敬している。だからこそ、この違和感を払拭してこの先も付き合っていきたいと思うが、この想いをどのようにして伝えたらいいか思い悩んでいる。

どうか、この想いが友人たちの目に留まり、考えるきっかけになりますように。そしてあわよくば伝え方に関して助言をくださる方がいたら、そして、、

人の容姿なんて、ほっとけ〜〜〜〜〜!!

そんなありったけの想いをこの人生初noteに込めた。おわり。

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