のらねこ、“国民性”って何? 実在するの?
よく「世界の国それぞれには国民性がある」と言います。
でも逆に、「考え方は人それぞれ。同じ人はいない」とも言いますね。
もし人々の考え方がみんなバラバラなのであれば、特定の国に生まれたから同じになるなんておかしいんじゃないでしょうか。
つまり国民性なんてものは統計学だか心理学だかのトリックで生まれた錯覚で、実際には存在しないんじゃないか、と。
だって世界は「人それぞれ」のはずだから。
今回は、特定の国で生まれると考え方も似る、という不思議な現象について、その謎に迫ってみたいと思います――。
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僕は目標管理Webサービス Project Sylphius の開発・運営をしています、TOMCAT HEART の中島です。
生きてて楽しいことなんかないし、それが当たり前。ツラくて当たり前。
いつもそんなふうに考えてしまいがちな人に足りないのは、楽しいイベントでも、ラノベ展開の安直な幸運でもありません。
そういう人に足りないのは “目標管理スキル” です。
自分の目標が管理できてないから世の中を楽しめないのだし、それさえできれば生活はいくらでも好転しうるのです。
この のらねこに何ができる? は、正しい目標管理のやり方を少しでも広めるため、僕が自身で計画して自分で成しえてきた様々なことを、なるだけ面白く書いてお届けする内容となっております。
現在は “のら地球人に日本が分かる?” シリーズを連載中です。
外国語学習を通じて様々な海外文化を幅広く学んできた僕が、そういう立場じゃないと分からないことを書くことで、日本に対する、より客観的な視点なんかをお伝えできればと思っています。
1. 国民性の違いは文化の違い
世界中の人々の考え方が各人それぞれで統一性がないのだとすると、そもそも国民性なんて概念が生まれるわけはありません。
世間ではよく「中国人は怒りっぽい」といいますが、でも実際には温和な中国人だっているわけです。
ということは、怒りっぽい人が “典型的な中国人” だと思われやすいだけで、平均的には中国人は温和な可能性だってあることになります。
だとすると、国民性という概念はやっぱり統計上の錯覚?
いえいえ、国民性は平均論じゃなく特徴ですから!
別の例で、もし人の考え方に統一性はありえないという説が正しいのだとすると、例えば『アメリカ人がオムライスを好むかどうかは人それぞれ』と考えてもよいのでしょうか?
これはダメです。
だってアメリカにオムライスありませんから。
もちろん『もし食べれば好きになる人』なら山ほどいるでしょうが、でもそれは『現時点ですでに好き』なのとは明確に別物です。
ましてや『今はまだ好きじゃない』といえるはずもありません。
アメリカ人がオムライスを好むかどうかは『純粋に分からない』のです。
つまり『日本人はオムライスが好き』という国民性は、諸外国との比較で好きかどうかを語っているわけではないんです。
単純に、日本人の範囲内で好きな人と嫌いな人の数を比較しているだけで、他国と比較しているのではありません。
ですから国民性を国同士で比較するときは、それぞれの国にどんな国民性が「あるか/ないか」でしか語ることはできないのです。
このことは食べ物に限らず、考え方の違いにも当てはめることができます。
日本には『鼻が高い人をハンサムと感じる傾向がある』という国民性がありますが、これはあくまで日本国内にそういう考え方があるか否かを語っているにすぎません。
たしかに、スウェーデンには『高い鼻 = ワシ鼻』のイメージを持つ人が多く、それゆえ鼻が高い人をむしろブサイクと捉える傾向がありはするものの、これは日本人とスウェーデン人との相対的な差ではないのです。
なぜなら日本には『鼻の高い人は、100%わし鼻と言えるかどうか』なんて議論は存在しないからです。
ですから『スウェーデン人と比べて、日本人は高い鼻をハンサムと捉える傾向がある』とは言えないのです。
それぞれ、『日本人は高い鼻をハンサムと捉える』『スウェーデン人は高い鼻をワシ鼻と捉える』で、この2つは別の考え方です。
また欧米人は、大きなトラブルを起こして心から謝罪しなければならないとき、頭を深々と下げる人が少ない傾向があります。
これは、アジア圏には『おじぎ』という文化があるために、アジア人は人の頭を下げることに対する心理ハードルが低いためです。
このことをもって「欧米人の謝罪は軽い」とか「欧米人は謝らない」なんて言う人がいますが、そんなわけがないでしょう。
ただ、謝り方の文化が違うだけです。
つまり、国民性の話をするときに「日本人と比べてどうか」と考えるからおかしくなるんです。
日本には日本にしかないものがある、
アメリカにはアメリカにしかないものがある、
スウェーデンにはスウェーデンにしかないものがある、ってだけです。
これは物でも、考え方でも同じです。
国民性の差とは、そういった文化的なものがあるか否かの差なのです。
2. それぞれの国にどんな国民性があるのか
では、具体的にそれぞれの国にどんな国民性があるんでしょうか。
まぁ、皆さんそれぞれイメージはあると思いますが、ここでは僕が「学んでみたらイメージ通りじゃなかった」と感じるものを列挙してみます。
1. アメリカ人
アメリカ人は “正義” を好み、正義の定義を統一しようとする傾向の強い民族です。
ポリティカルコネクトなどの考え方を生み出して思想統一を試みたり、またはコンプライアンスが非常に厳しい国としても知られています。
このような傾向は、よく「フロンティア精神」と結びつけられることも多いのですが、実際には少し違うようです。
アメリカが “法” に厳しいのは、彼らがもとはヨーロッパ人だったからです。
ヨーロッパは、もちろんそこそこ広い領域ではあるのですが、それでも海という物理的な制約によって閉ざされた地域でした。
つまり、アメリカに移住した直後のヨーロッパ人は、ヨーロッパ流の統治の仕方しか知らなかったし、当然ながらそれをそのまま踏襲してアメリカを治めようとしました。
ですが、ヨーロッパという狭い地域を治める方法論をそのまま用いるには、アメリカはあまりに広すぎたんです。
結果、警察機構の監視の目が十分に行き届かない、犯罪者にとって都合のいい国になってしまいました。
事実、アメリカの凶悪犯罪は人口10万人あたり約400件(外務省調査、2020年)で、スペインの10万人あたり155件(同じく外務省、2021年)と比較しても圧倒的に犯罪率が高いです。
日本人はよく、自身の行動が原因でひどい目に遭った人に対し、懲罰的な意味で無責任に「そんなの自己責任だ」と揶揄します。
もちろんアメリカにも似たような揶揄はありますが、少なくともアメリカ人は、日本人が使うようなニュアンスでこの言葉を使ったりはしません。
なぜなら日本人が揶揄で使う「自己責任」は、“自分が悪くなければ誰かに守ってもらえる” ことを前提とした言葉だからです。
「善人は警察に守られている」という考え方が、日本人の根底にあります。
アメリカは犯罪率が高いゆえ、自分を守れるのは自分だけという認識の強い民族です。
なぜなら “悪” が、日本以上に常に日常と隣り合わせだからです。
アメリカ人が “正義” にこだわるのも、そういう政治体制が根源のようです。
2. イギリス人
その昔、僕はイギリス人を “アメリカ人の先祖” と捉えていました。
イギリス人はアメリカ人と似た気質を、より根源的な形で備えているはずだという仮説を持っていたのです。
そんな自分から見ると、アメリカ人とイギリス人の考え方は、驚くほど何もかもが圧倒的に違います。
アメリカ人が自由と自己責任の国であるに対し、イギリスは上意下達の意識が強い団塊の国で、それぞれ全く違う気質を備えています。
若い頃は、それが不思議でなりませんでした。
よくいえばイギリスは民族的にまとまっていて団結力があり、なおかつ考え方は保守的ではあれど排他的なわけではなく、集団生活を好む人には非常に過ごしやすい国かもしれません。
ですが半面、上意下達の意識が強いということは、(日本のブラック企業がそうであるように)『集団としての考える力が弱い』ということでもあるわけで、アメリカ人のようなイノベーティブな発想はあまりしないようです。
このような傾向は、イギリスにはかつて “ヨーロッパ中のならず者が続々と集まってきた時代” があり、以降数世紀に渡ってイギリス全体が人種の坩堝だったことがあるためと思われます。
13世紀くらいだったかな? フランス・ドイツ・ノルウェーほか、様々な国から海賊達が続々と集結して、収拾がつかなくなった頃があったらしいのです。
(つまり当時のイギリスは、ワンピースの世界観そのままだったってこと)
英語が他のヨーロッパ諸語と比べて圧倒的にシンプルな文法構造をしているのは、当時イギリスにはそれらの人々が使う言語が13種もひしめき合っていて、第2言語として習得しやすい言葉の必要性が叫ばれていたためです。
語尾活用は三単現のSのみ、冠詞は義務的でなく、単語に性の概念もなし。
こんな覚えやすい言語は、ヨーロッパ諸語では英語だけです。
そして人々は、様々な意見の平均をとる、最小公倍数的な考え方が身についていきました。
そしてそれがクセになり、イギリスは非常に保守的な国になってしまったというわけ。
3. フランス人
フランスに憧れていて、芸術の都パリのイメージを強く持っている人が実際に行くと、だいたい絶望すると言われています。
もちろん、パリをはじめとした観光地は街並みとしては非常に美しくて、そこはイメージ通りではあるのですが、川が汚くて臭かったり、ストが多かったりと「美しいのは見た目だけ」という印象が強いんです。
個人的には、フランス人には美しさにこだわりすぎておかしくなってる国、という印象があります。
たとえばフランス語は、美しく聴こえるように人工的に作った言語です。
学んでいる人の間ではそこそこ有名な話なんですけど、フランス語はもともとは半ば人工言語です。
当時の土着言語であるゲール語・オック語などをベースとして、歴代の貴族達によって、割と意図的に改良がなされてきました。
それに加えてかなり早口で文法も複雑であり、正直、言葉としての通じやすさは2の次3の次といった感じ。
言語として言葉が通じにくいゆえか、フランス人はどうも説明下手らしく、コミュニケーションがあまり上手でない傾向があるようです。
ヨーロッパ内でも、ストライキが激化しやすい国、とされてるようです。
正直「もう少し落ち着けよ」と思わなくもありません。
4. スペイン人
日本からは陽気な人達というイメージを持たれがちですが、これはあくまで日本人と比べて陽気な人が多いだけです。
そりゃあどんな国だって、日本と比べれば多少は陽気でしょうよ。
てかスペイン人の陽気なイメージって、Gipsy King の歌のイメージなんじゃないかなぁ?
スペイン人は実際には、ヨーロッパ全体と比較して割と真面目で地味な人達です。
このことは、他国と比べて国土面積と比較して観光地が少ないことからも伺えます。
スペインの建築は、観光地にあるようなものを除けば、日本でも見かけるような地味で凡庸なものが多いです。
(それに対してイタリア建築は、一般民家であっても芸術的なこだわりを持っている傾向があります)
といっても、スペインはレコンキスタによって混乱していた時代も長いし、芸術を育む期間だって限られていたでしょうしね。
そう考えれば、日本人がスペイン人に対して持つ『陽気でお祭り好きでいつも酒飲んでる』イメージには違和感しかない感じです。
5. イタリア人
今回紹介する中で、イメージと現実のギャップがもっとも小さいのはイタリア人です。
美意識が高くて怠け者というイメージは、これヨーロッパの他の国で勝手に作られたイメージじゃなく、実は自称なんです。
ただ、何もかもがイメージ通りかというともちろんそんなことはなく、イタリア人は想像以上に『意外なほど人に気を使う』気質もあります。
とりわけ本音と建前を使い分ける文化は、他のヨーロッパ諸国ではあまり見られません。
このような気質は、イタリアは昔から戦争下手で、攻められると割と簡単に征服されてしまう傾向があったことから生じたものと思われます。
山脈で守られた半島という孤立した環境で生きていて、他国と技術競争する必要性があまりなく、暮らしはあくせくせず、戦争にも興味がなく、それゆえ軍事技術も伸びにくいため、だからいったん攻められると割とあっという間に征服されてしまうのです。
外国人の征服者にヘコヘコと頭を下げなきゃいけなかった時代が長く、人に気を使う気質は育ちやすかったのかもしれません。
といっても、そういう歴史をたどった理由にしたってそもそも働くのが嫌いだからであって、まぁ自業自得っちゃそうなんですけど。。。😅
ただ孤立した環境にあった分、国家間の戦争よりも都市間の争いの方が激化しやすい傾向はあったようです。
たとえばトスカナ州のフィレンツェとシエナは、互いに都市の景観の美しさを競い合ったライバル同士であり、この2つの都市の仲が悪いことは全国的に有名です。
また、似たようなキノコとタケノコの背比べをしているところが、全国に広く見られます。
そういった理由でか、“翔んで埼玉” “お前はまだグンマを知らない” といった都市間抗争を描いたジョーク映画が、イタリア人にはウケやすいそうです。
まぁ、、、、知れば知るほど変な国ですよね。イタリアって。
もっとも、そういう理由でイタリア語の勉強を始める僕もたいがいだけどさ。。。
6. ドイツ人
イタリア人ほどではありませんが、ドイツ人もまた国民性は割とイメージ通りです。
四角四面で杓子定規な国民性。
というより、理由があって杓子定規に育つんじゃなくて、『杓子定規な自分が好き』な国民性なんですよね。
「定義大好きドイツ人」という言い回しを、ドイツ人自身がよく言います。
「ドイツ人と日本人は真面目なところが似てる」とたまに言われますが、実際にはこの2つの国の真面目さは質が全然違います。
日本人は『世間が怖いから真面目に振る舞う』のに対し、
ドイツ人は『真面目に振る舞うのが好き』なんです。
真面目な振る舞いをすることに対するスタンスが根本的に真逆であるため、たとえばモンスタークレーマーに対する態度で大きな差が出ます。
日本人は色んなものが怖くて真面目に振る舞っているゆえ、モンスタークレーマーに対しても変に下手(したて)に出てしまいます。
でもドイツ人は好きで真面目に振る舞っているので、モンスタークレーマーを仕事の邪魔者と捉え、果敢に戦います。
また、ドイツ人は自己愛の強い国民性である分、他人に興味がない傾向もあります。
ですからドイツ人は基本、ファッションに興味がありません。
特に中年オヤジ。
近所のコンビニに行くような Tシャツ&短パン スタイルで海外旅行に出かけっちまうんですよ!
いやいや、マジでマジで!
他人の目を気にしないから、そういうことができる人達なんです。
ヨーロッパの観光地でそういうオッサンスタイルを見かけたら、それは地元の人かドイツ人か、どちらかです。
3. 国民性という概念は確かにある
とまぁこんな感じで、国民性という概念は気のせいではなく、実際にあるものです。
ただ、それはその国の人々がそう生まれついているわけじゃありません。
“文化と歴史” を根拠として、徐々にそう育っていくんです。
アメリカ人だって、別に遺伝的・本質的に正義中毒なわけではなく、理由があってそういうふうに育ってるだけです。
なぜなら、生まれた国がどこであるかに関わらず、別に “人間である” こと自体には違いはないからです。
そういう視点で見ると、世界の見方も少し変わってくるんじゃないかなと思うんです。
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