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学生時代のちいさな冒険の話

日曜日の朝6時、どこまでも広がる地平線から太陽が昇ってくる。
平原を走る小さくて頼りないバスから伸びる影は、オリーブ畑を黒くそめてゆく。
時刻表というものが国中に2枚しかないこの国で、どこからどう情報が回ったのかわからないが、道端にはぽつぽつバス待ちの人が立っている。
こまめに彼らを拾いながら、バスは平原を進んでいく。
何時に到着するのかもよくわからないまま、荒い運転に身を任せたまま。

バルカン半島の一角に位置する小さな国・アルバニア。
この国に来て1週間、この日は探しものの日だ。
何を探しているのか。
何で見たのか忘れたが、この国が辿った混乱の歴史の中で捨て置かれた鉄路の上を、骨董品のようなおんぼろ列車がかろうじて走っている、という記事を読んだことがある。
これを探しに、この国の最大都市・デュラスに向かっているのだ。

アルバニアの現代略史と、この国の鉄路

ヨーロッパの中ではトップクラスに知名度が低いと思われるこの国は、複雑な歴史を歩んできた国でもある。少し複雑な話になるが、この国の鉄路事情とも関わるので紹介しよう。

第2次大戦後、アルバニアは共産国家となった。そのリーダーとなった人物が、エンヴェル・ホッジャだ。
当時アルバニアの周りには、とり囲む形でユーゴスラビアというとても大きな社会主義国家があった。そのリーダーであるチトーはそれなりに人気があり、多民族で対立の起きやすい欧州の火薬庫・バルカンにおいて安定的な統治が実現していた。
そのチトーが率いるユーゴスラビアを前に、ホッジャはアルバニアを自らが統治する正当性を示す必要があった。ましてやアルバニアはユーゴスラビアと同じ社会主義。ホッジャは自分への引力を保たなければ、ユーゴに埋没してしまってもおかしくなかったのだ。その意識は、アルバニア主義とも呼ばれた独自の政治体制になって現れてくる。
まずホッジャは東の社会主義大国・中国に接近し、首領・毛沢東による共産主義思想である毛沢東思想をアルバニアに移入。秘密警察の取り締まり器具や武器、トラックにも中国製品を取り入れていった。
しかしニクソン米大統領訪中などを契機に西側へと近づく中国から、アルバニアは次第に離れ始める。独自性を追求する中で徐々に孤立路線をとるようになり、最終的に鎖国状態となってしまった。その結果、国内経済は停滞し、国民はみな等しく貧しい、ある意味平等な状態に置かれた。民主化が進むのは20世紀後半であるが、その時代にもなお、トラックは1950-60年代式が幅を利かせているというありさまであったという。

その共産党政権は1990年代に弱体化し、明るき民主化が期待された。しかしながらともに到来した市場経済が、アルバニアをまたも混乱に陥れる。市場取引に慣れていなかったアルバニア国民の半数がネズミ講にはまり、経済と社会が混乱してしまったのだ。ヨーロッパにありながら、つい30年前まで極端な閉鎖状態にあった国家。その後も幾多の混乱がありつつ、乗り越えてきた国。それがアルバニアである。

この歴史の中で生まれ、そして翻弄もされてきたのが、アルバニアの鉄道だ。
大戦後、アルバニア共産党政権は国内の鉄道整備に力を入れた。国内の移動や産業の活性化だけではなく、ユーゴスラヴィアという大国に囲まれたこの国を守る意味でも、鉄道を引くことの意味は大きかったのだろう。しかし、ホッジャ時代の経済停滞とその終焉、さらにその後の混乱の中で大半の路線は放棄された。現在この国の交通機関は、国中を縦横無尽に走り回るミニバン型のバスにとってかわられている。

そんなアルバニアの鉄路について、これまでアルバニアのいたるところで聞きこんできた。その答えは、概ねこんなものだ。「そんなものは国の中にない」「もう走っていない」「バスに乗るしかない」警官に聞いても、タクシーの運ちゃんに聞いても、誰に聞いても。
アルバニアの鉄道は、アルバニアの人々としては、もう使わないものなのだ。

でも、この目で見るまでは納得できない。
ないと言われるほど、ある気がしてしまう。
恐らく、日本人の99.9%は乗ったことのないアルバニアの列車。
ここまで来て、探さないわけにいかなかった。

線路のないホーム

太陽が徐々に上へ上へと昇ってきた。向こうに高層ビルの影が見える。デュラスの街並みだ。

窓の外を見れば、道路に沿ってデュラスに向かう線路が伸びている。草が茂っているし路盤がガタガタではあるが、なんとか列車が走れそうに見える。走っているかわからないし、誰も走っていることを知らないけれど、それはまだ生きている鉄路な気がする。

バスはデュラス市の郊外のバスターミナルが終点だった。街中へは、ここからタクシーに乗る。乗ったタクシーの運ちゃんに、早速列車のことを尋ねると、「デュラス駅はもう廃駅になっている。首都のティラナとの間に新しい線路を引くために工事をしていて、線路すら引っぺがしてある。」と、ほかの人よりも一段詳しい否定情報を出してくれた。ただ同時に、「デュラスの一つ手前の貨物駅のことはよく知らない。街中に行く前に寄って行くか?」と誘ってくれた。見ない手はない。

貨物駅はデュラス市の中心部の端っこにあった。名前は「シュコゼット」というらしい。ただし、駅は荒廃しきっており、ぼろぼろの放置された貨車と、窓ガラスが1枚もはまっていない駅舎があるだけ。運ちゃんも「ここもダメだね」という表情である。

アルバニア最大の駅・デュラス中央駅
デュラス駅には既に線路がなかった。


デュラス駅の前で降ろされる。運ちゃんの言っていた通り、駅のホームの下に鉄路はなかった。線路があるはずの場所では、ショベルカーが土を掘っては右へ左へと移している。

ただ、ここで一つ大きなことに気づいた。貨物駅・ショコゼットには、貨車があった。ということは、線路があるはずだ。でも、ここデュラス駅にはない。もしかしたら、線路がはがされたのはデュラス駅近辺のみで、ショコゼットよりも先はなんとかつながっているのかもしれない。

再び、ショコゼットへと歩いて向かう。列車は走っているのかすらわからないが、仮に本当にまだ走っているならば、絶対に取り逃したくない。宝物を探す冒険者のような気持ちで、日本のはるかかなたの国の街角を歩いていた。

混沌の小さな貨物駅

ショコゼット駅に着く。同時に目を疑った。朝、タクシーに乗ってこの駅に来た時にあった貨車とは別の機関車が見える。後ろには、真っ赤な落書きまみれの客車が2両繋がっている。どこからともなくやってきた、人が乗るための列車がそこにはあった。アルバニア国鉄は、誰にもその存在を知られることなく、確かにまだ生きていたのだ。

ショコゼット駅。
Stationi e trient Shkozet
昼にエルバサンからやってきた列車

ショコゼットの駅に時刻表が張ってあった。デュラスから100キロ先のエルバサンまで。土日のみ1日1往復運行、所要3時間。
エルバサンから来た列車は11時にショコゼットに着き、折り返し14時発でエルバサンに向かうらしい。
通りで朝は列車の姿がなかったわけである。

ショコゼット駅は、これまで見えていた正面側よりも、ホーム側の状況が見るも無残な状態であった。
ぼこぼこに破壊されもはや鉄筋しか残っていない壁、ガラスが破壊され粉々になった出札口…。
その前に女性の係員が建ち、藁半紙でできた切符を売っている。
エルバサンまで85レク、日本円で200円以下という破格である。

アルバニア国鉄の乗車券。表面

列車は機関車1両に対して客車2両の編成。客車の窓は見るも無残に破壊され、椅子もところどころ抜き取られている。電灯は当然つかない。
機関車には陽気な機関士がふたり。加えて、たまたまテレビクルーが同乗していた。ホッジャの鉄路の最後を支える機関士の、ドキュメンタリーを作っているのだという。彼らがこう語りかけた。
"Welcome to the final communist train!"
コミュニスト・トレイン:共産主義者の鉄路。暗い記憶であるホッジャ政権が残した遺物は、もうこれが最後。いずれ葬り去られる運命にある。

発車

14時5分、私とごく数名の乗客を乗せたコミュニスト・トレインは、荒廃したショコゼット駅をよろよろと出発した。
いたるところで警笛を鳴らすのだが、どうやら警笛ホーンが前後逆についている様で、耳をつんざくような警笛の爆音がそのまま客車にいる私の耳に届く。これでは警笛を届ける相手を取り違えている。流石に閉口した。

ショコゼットを出て数分、破壊から残された数少ない窓に突然パチパチとモノが当たる音がする。
外を見ると、なんと子供たちが列車を的に投石をして遊んでいた。窓がないところに座っていたらたまったものではない。
列車にどうせ誰も乗っていないからなのか、はたまた珍しいから投石しているのか。
いずれにせよ、誰も咎めもしないのは、いったいなぜなのだろうか。

デュラスの都市圏を抜けると、幹線道路の脇を走る。
道路を走る車には追い抜かれっぱなしであり、車の2割か3割ぐらいの速さで走っているようだ。
100キロを3時間で走破するから、平均時速は時速30キロを切る。線路もろくにメンテナンスが入っていないので、そのぐらいで走るしかないのだ。
信号機からは電灯が抜かれ、筐体だけになっている。来た列車が戻るだけなのでどうせ向こう側からくる列車もないし、分岐していく線路も存在しない。信号が動かないところで特に困らないのだろう。

週2往復しか走らない線路のすべての踏切に、丁寧に係員が立って人力で遮断機の開け閉めをしている。牧場の真ん中を突っ切るときには、前後逆についたホーンを全力で鳴らし、線路を横断するヒツジを避けさせる。案外たくさんの人と生き物のお世話になりながら、列車はゆっくりと進んでいく。

トンネルに入ると、電灯がないので車内は漆黒の闇になる。何のために吹いているのかわからない警笛が、トンネルで反響して車内に数倍の破壊力を伴って襲い掛かってくる。
名の知れない小さな駅に一つ二つと丁寧に停まりながら、ゆっくりとアルバニアの平原を走っていく。

デュラスをでて2時間。日没の時間が近づく。
アルバニアの平原の向こうに、一段と赤く大きくなった太陽が沈んでいく。
誰も知らない、消えゆく運命にある列車に揺られて、ひとりでこのいましか見られない夕陽を見ている。
とても忘れることなどできない景色が広がっていた。

アルバニアのどこかの停車場にて。破壊された窓から。

日が沈むころ、終着のエルバサンで列車を降りる。向こうを見れば線路はまだまだ続いているが、ここよりも先はもう放棄されて久しいらしい。
役目を終えて長い年月が経つのだろうか。朽ち果てた信号機の筐体と錆びついたポイントが、広い構内にいくつも打ち捨てられている。
予備の客車が何両か側線に放置されているが、いずれも落書きだらけ・破壊だらけ。いま乗っているこの車両の状態がマシに見えてくる。
彼方に一番星が見え始めたアルバニアの片田舎で、老兵はまた次の土曜日まで眠りにつく。

長い間閉ざされていた国・アルバニア。この国にはいま、アメリカなどたくさんの国から投資が流入しているという。
きっと数年後・十数年後には、今の面影はとても少なくなっているのだろう。
その陰で、アルバニアを停滞させ疲弊させた指導者とその時代の記憶は、人々からも街からも、徐々に消えていくのではないだろうか。

列車もその一つ。デュラスからティラナを結ぶ都市鉄道を皮切りに、国内の鉄道網を再建しようというプロジェクトが着実に進んでいる。もう数年すれば、このホッジャ時代の列車は消えゆく運命にあるのだろう。
それでも「コミュニスト・トレイン」が、消え入りそうになりながらもアルバニアの記憶の隅を確かに走っていたことを、学生時代最大のちいさな冒険として、いつまでも私は覚えている。

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