正義をぶつける事が最大の悪なのかもしれない 映画『ミセス・ノイジィ』レビュー

約15年前に「騒音おばさん」として話題になった事件がモデルとなっている映画である。

「騒音おばさん」について簡単に説明すると、大音量のラジカセとともに「引っ越し!引っ越し!さっさと引っ越し!」と絶叫しながら布団叩きをし近隣住民を困らせるという、隣人トラブルの代表格とも言える事件でもある。その狂気的とも言える姿が当時のワイドショーなどに取り上げられ、やがてバラエティ番組でパロディ化されるようにまでなった。

「引っ越し直後は普通のおばさんだった」「隣人だけに異常性を発揮し、本来は愛想が良い明るいおばさんだった」という話もあり、何がきっかけでそうなったか状況もよくわかってないまま報道は収束した。

余談ではあるが『放送禁止』というドキュメント(……という体にしておく)にて、隣人トラブルがテーマの回も、非常に面白い映像作品なのでこちらもオススメである。


さて、この映画は、小説家の母親とミュージシャンの父親が、子育てをきっかけにアパートに引っ越しすることから始まる。締め切りに追われ、徹夜で母親が執筆している中、早朝に始まった隣人の布団叩きを注意したことからだんだんとトラブルがエスカレートしていく、というストーリーである。

母親にとって隣人は布団を叩く大きな音を出され、子どもを勝手に公園へ連れ出され、挙げ句誘拐未遂までされる。そして家庭内では夫とギスギスしはじめ、仕事面でも執筆した小説も編集部からダメ出しされ、何もかも上手く行ってない。

こうして、仕事と家庭の不調、そして隣人のおばさんの異常性が描かれていくのだが、途中からおばさん視点でこれらのトラブルの背景が描かれる。

実は、おばさんは息子を亡くしたことで精神を病んでしまった夫の介護をし(布団を叩く理由もここにある)、食料廃棄に胸を痛めている普通のご婦人なのだ。そして引っ越ししてきた隣人の母親に対して、仕事ばっかりで子どもの面倒を見ない人と不審に思い始める。おばさんはおばさんで、一人で公園へと出かける隣人の子どもについてあげたり、おばさんの部屋の中で遊んであげたりと面倒を見ていたのだ。

おばさんからすれば、隣人はネグレクトをする母親に見えて、自分の周りや世間こそなんだかおかしくなっていると感じている思っているだけだった。

何もこの2人だけのすれ違いだけが描かれるのではなく、隣人トラブルの口論・やりとりが撮影され、動画が面白おかしく拡散され、世間の嘲笑の的になってしまう。

「騒音おばさん」の時代とは異なり、炎上マーケティングまで加わっており、現代社会の病理がこれでもかと詰まっている。

こうしてお互いが心を通わせないまま重く終わるのかなと思いきや、子どもをきっかけに少し溝が埋まっていく。そして再度引っ越ししたあとに、今回のトラブルを通して笑って泣ける家族の絆を描いた小説を、おばさんが笑顔で読んでいるシーンもある。こうした演出は救済措置のように感じられた。

犯罪映画ではないものの、身近に起こりそうな光景が多くなかなか胸をえぐってくる映画でもあった。ちなみに「蟲」注意だ。ハサミムシだからまだよいものの(それはそれで目をつむりたかったが) あれが"G"だったら、映像的にもっとキツかった。


今年は、店を開けているだけで執拗な嫌がらせを受ける「自粛警察」や、身体的な事情があるのにも関わらずマスクをしてない人にキツく注意する「マスク警察」が散見された年でもあった。

つまり、自分が正義だと思っている事こそが実は他人にとっての悪であり、正義と正義のぶつかり合いを滑稽に楽しんでいる人たちもまた悪なのである。

汝は隣人を愛すことが出来るか、これが問われている。

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