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【コラム】心ふるわす本物の作品

佐伯祐三の18年ぶりの本格的な絵画展が東京ステーションギャラリーでやられているというので、会期終盤の冷たい雨の朝、ひとり東京に向かった。

佐伯祐三は大正12年、東京美術学校を含め10年間の修業を経て妻子を伴いパリに渡る。本格的創作期間は4年余りに過ぎなかった。まもなく30歳という時に「黄色いレストラン」と「扉」と題した、黄と暗い群青色の二つの堅牢な扉だけを描いた意味深長な作品を最後に、精神さえ病んで失踪、そして自殺未遂。

パリの精神病院で30年の短い生涯を閉じた。
東京駅に向かう中央線の車窓越しに、雨空の下の深い緑色をした神田川が目に入る。雨の東京は美しくも哀しい。萌えはじめたばかりの緑に身を包む黒い樹々の間に満開の桜がところどころに混じって、それは華やぎというよりは寂しさを漂わせている。散った花弁を浮かべて物憂い光を映す神田川を見つめながら、パリの街を想う。命にまつわる哀しみ、生きることの難儀……。そう言えば、佐伯の描く空はどこまでも暗かった。

美術館に入って、まず迎えてくれた絵は佐伯の卒業制作の自画像だった。己の相貌を凝視することだけに注力し、背景は省く。観る者を見返すまっすぐな鋭い眼差し。深い陰影を施した険しい表情からは魂の震えさえ感じる。

佐伯は22歳のとき、自分に美術と音楽の素晴らしさを教えてくれた従兄の急死に直面する。そして同じ年、病床にあった父、祐哲の死にも見舞われる。同じ月に兄・祐正の婚約者、菊枝が自殺。翌年には弟の祐明が結核で死ぬ。思えば精神の疲弊する一年だった。義姉には「自分の命は33歳まで」と口癖のように言っていた。死へのおののきが己を急きたてる。筆は走った。そうして一日に何枚もの絵を描いた。

最近、音楽することは「死」に対する叛乱ではないかと思うことがある。いや、ちょっと回りくどい言い方か。単純に言えば「生きたい」という切なる希いの現れなのではないか。

佐伯は中学時代からヴァイオリンにも熱中、晩年に再びヴァイオリン熱が昂じて友人のヴァイオリンを20号の風景画2点と交換、フランスのヴァイオリニストに師事した。彼にとっては画作同様、音楽することは魂の求める所為だったに違いない。絵も音楽も生きることの切実さのうちに、全霊をもって真摯に向き合うとき、初めて心ふるわす本物の作品が顕れる。誰の真似でもない創造が生まれる。

もちろんそれは、ハーモニカを吹くのだって例外ではない。

(2023.4 ハーモニカライフ100号に掲載)

岡本吉生
-Profile-


日本唯一のハーモニカ専門店「コアアートスクエア」の代表。教室を主宰するほか、1996年にはカルテット「The Who-hooo」を結成。全国各地に招かれて演奏活動を続ける。
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