見出し画像

感情の成仏

30年ぶりの春。

タンポポたちの歌と、感情の成仏と、ドラえもん。

*

先日、ふとご予約のキャンセルが出たので、
夫とすぐ裏の山へお花見ランチに。

タジンでババっと炊き込みごはんを作って鍋ごと持ちだして。

いくつかまた、今度は野花の歌を訳してもらいました。
(うちの夫、実は花や鳥と話ができるんです)

タンポポは、太陽への賛歌を謳っているんだって。
んー!!イメージピッタリ。

ホトケノザは仏歌を。冗談です。
ホトケノザは、あのラッパのような細い花で、
数種類の虫たちをターゲットにストローを吸うみたいに、
 シュコーシュコーってしてるんだって。

ナズナは、夫が歌を聞こうと近づいたら、
すごい催眠効果でクラっとしたんだそう。 

裏山の桜たちも、どの木もやっぱり、「ポロポロポロリン」
って謳っているみたい。

それって琴の音みたい。
だから、桜ってそういう楽器が似合うのかな。

桜と琴は、いろんな成仏を助けてくれるに違いない、
と思わないではいられない。

春の空気は、花たちのウソのない本気な歌で満ちている。

きれいなお花の姿が、
別に人間のためじゃなかったとしても、
私たちが勝手に癒されるのは、それが、
ウソのない姿だからなのかもなぁ。

春ってすごい。

*

大人として(←今はほとんど使わない言葉だけど)
行動で折り合いをつけたとしても、
自分の感情まで折り合いをつけなくていいんだ。

そう。

だれかのため、なにかのため、
または、それしか生きる道を知らなくて、
自分の時間や想いや好みを表現しない、という選択をしたとき。
そんなふうにしかできなかったとき。

あれは私にとって必要だった。
大切な体験だった。
たくさんのことが学べたんだから。

と思えることがゴールだと思ってた時期もあったけど。

それは、最後の最後だった。

大事な忘れ物をとりに行くことが先だった。

自分の素直な感情に折り合いをつけたまま、
「あれで良かったんだ」を握りしめていると、

あとでほんとにややこしいことに。

あとって・・・自分より後世の人、ってこともあるし、

ぜんぜん関係ないような人やできごとに現れたりしてしまうんだ。

自分を大事にする?
それどういうこと?
って長いこと思ってた。
だって誰も教えてくれないんだもん。

だけどその基本のひとつは、
それがポジティブなものでも、
ネガティブなものでも、

おなじように
自分の感情をしっかり味わうってことだった。

じゃなきゃ、成仏できないじゃん。
せっかくのウソのない感情が。

うちは、とある治療院。
できれば根本的に改善していきたい院なので、
成仏とか、お祀りとか、(おはらいとは言わないです)
けっこう良く出てくるワードだけど、

目に見えない存在の成仏だって、
つまるところは、感情の成仏なんだなぁ、と感じることが多い。

現在が過去に影響するんなら、

今生きてる自分の感情の成仏が、
なによりも、
未来に負担をかけないことだったりするのかも。

うーん。

今、体のどこかが痛かったり、重かったりしたら、
もしかしたら、

過去の自分の想いや感情が成仏できていないってことも。

すべての原因がいつもそうってわけじゃないけど。

あー、めっちゃ疲れた、

あー、イヤだった、

あー、恐かった、

悲しかったし、キツかったー。

なんかヘンな感じだったー。

それは悪口でも、愚痴でもない、
きっかけになった誰かのことは、まぁまぁ置いといて、

ただただ、自分の中にあるもの、から。

モヤモヤがなくなるまで出す出す出す。

軽やかにサラッと悪口を言えるようになるまで。

「認知行動療法」という治療法の中のほんのひとつの方法には、
反射的に出てきたあのときの自分の感情を、
ひとつひとつ取り出して、

葉っぱに乗せて川に流したり、
トイレの水でジャーっと流したり、
風船のなかにフゥッと吹き込んで
空に飛ばしてはじけさせたり、

そういうイメージを使って感情を整理する方法がある。

何日もかけて、落ち着くまで。

それができたなら、

そこまでして頑張ってきた、自分の偉業を認めてあげる。

あんな経験も悪くなかったよね。

あ、これだー。

感情の成仏。

*

私はこれまで、花粉症のおかげで、
お花見なんて優雅に楽しんだことはたぶん一度もないんです。

それなのに今年は、お花見に行こうか、と思えるし、
桜を愛でる余裕があるし、
私の花粉症ってば、着実に良くなってる。

これは本当に、夫の治療のおかげ。

とはいえ、長居とノーマスクには注意ですが。

30年ぶりくらいに私の春が帰ってきつつあるかもー。

今の私は、以前の自分がめいっぱいのイメージで
広げた地図のどこにもいない。

そこから遠くはみ出した、
文字通り想像を超えた地点にいる。

その連続。

それがいいかどうかは別でも。

そこに連れてってくれる
うちの、人型ドラえもんは、ロボットでもないし、
お花と話すのに翻訳こんにゃくも使わない。

彼の見ているもの、あり方には感動することも多いけど、

能力のひとつとしては、他の分野だって変わらない。
ぜんぜん特別なことじゃない。

人間もやっぱ、ひとり残らずみんな、
本当はすごい可能性を持ってるんだろうな、

って思う春。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?