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『日光の社寺』


栃木/文化遺産/1999/i.iv.vi

日光山の周辺は、古くからの山岳信仰の聖地であり、仏教徒などによる修行の場とされてきた。

782年に男体山に登頂した勝道上人が、その2年後に寺院を建立し日光山を開山した。

鎌倉時代には、日光は関東の鎮護となった源頼朝をはじめとする歴代将軍からの崇敬を集め、その保護のもとで宗教活動はさらに活発化した。

室町時代に日光修験も最盛期を迎えるが、戦国時代に入ると、信仰は次第に衰退した。

1590年に豊臣秀吉によって大部分の領地が没収されると、山中の建造物は著しく荒廃した。

江戸時代に入ると、初代将軍徳川家康の側近であった僧の天海が、日光山の再興に着手し、建造物の修繕などを積極的に行った。東照社の造営を行ったのも天海である。

1616年に徳川家康が病没すると、その遺体は日光に葬られ、翌年にはその霊廟である「東照社」が造営された。

3代将軍の徳川家光のもと、幕府の政情が安定期を迎えた1634年には、「寛永の大造替」と呼ばれる大改修が実施され、現在のような権現造りを主体とする東照宮の姿が完成した。

https://www.ana.co.jp/ja/in/japan-travel-planner/tochigi/0000004.html

明治時代に入ると、政府によって布告された「神仏分離令」によって、日光山周辺の社寺は「二社一寺」に分離され、いくつかの建造物が移設された。

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