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KAC2021振り返り

小説投稿サイトカクヨムの5周年記念イベント「KAC2021~カクヨム・アニバーサリー・チャンピオンシップ 2021~」に参加しました。3年連続の参加となります。去年同様、1作ごとに振り返ってみたいと思います。

KAC1「狩りを忘れた獣たちは」(現代ドラマ)

お題は「おうち時間」。同棲カップルの「新しい日常」を、飼い猫の視点から描いてみました。

去年のKACは全体的に4000字にどれだけ詰め込めるかというチャレンジだったのですが、今年はもうちょっとゆとりを持たせてみようと構想しています。なので、特に凝ったギミックがあるわけでもなく、ゆるい話になっています。

わたしは視点を動かすのが嫌いで、同棲カップルをイーブンに描く視点として猫を使ったのですが、実際に書いてみると猫自身の話が多くなってしまいました。これは単にわたしが猫好きだからです。ただ、結果として猫との対比で人間の営みを浮き彫りにはできたかな、と。

猫は繁殖や子育てにおいて特定のパートナーを持たず発情期に何匹もの相手とつがう生き物なので(なので同時に生まれた兄弟でも柄が全然違う)、その視点から人間のカップルと対比してみようと。

カップルの男女それぞれの視点からパートナーへの不信というか引け目みたいなものが語られるのですが、それが特に解決を見ることもなく、傍から見てるとそもそも円満だよねと視点を転換させることでしめくくっています。

猫が語り手ではあるのですが、擬人化的な表現は極力避け、等身大の猫による語りを目指しました。人間の言葉もわかってないという設定ですし、彼らの悩みに干渉することもできません。ただじっと寄り添う視点です。それが猫のよさだよなと。

人間を猫として扱っているのも、「猫は人間を大きな猫として見ている」という定説に基づいた描写です。そこから、おうち時間=狩りに行かなくなった、という表現が生まれています。

特にオチのない話を視点を動かさずドライに描く、という趣味と猫視点の語りは相性いいなと気づかされた作品ではあるのですが、フレーム先行で中身――カップルの描写がいまいち戦略に欠けていた気はします。

KAC2「チーターの心臓があったなら」(ミステリー)

お題は「走る」。陸上最速動物チーターを題材にしてみました。今年はネコ科縛りか? と自問しましたが、3回目以降は特にそうしたこともなかったですね。

路線としては去年のKAC作品「神様はまだ僕たちのうたを知らない」系の回想ホワイダニットで、あまり時間もかけずルーチン的に書いているのですが、構成はもうちょっと洗練できたよなあと。

麻薬カルテルが支配する中南米のどこかというぼんやりした舞台設定の話で、普通だと、もうちょっと具体的に描写したくなるんですけどやっぱりめんどくさいですし、文字数を言い訳に最低限の記述に絞っています。

「神様は~」もそうなのですが、語り手=犯人が受け身というか献身的というか彼ら自身が直接動機を持っているわけではない、という描き方が個人的な趣味でやり口になってます。「神様は~」では兄に対する弟視点でしたが、今回は主(の娘)に対する部下視点です。これは近作「復活のプリームラ」で同じように年の差主従の逃避行をやった影響でしょうね。

語り手に台詞がないというのも共通しますね。ホワイダニットでありつつ、語り手の内面に依存しない、という書き方をしています。それでいて、今回は最後にしゃべりたくてもしゃべれないという展開につなげています。

わたしの話は特にバトルとかアクションとか謎解きがあるわけではなく、それでも心理や抽象に終始しないように何かしら物質的な要素を盛り込むようにしています。それが今回はチーターなわけですね。

地理が好きなので、そういうネタが増えてくるのですけど、そこで何をするっていうわけでもなくただお散歩するだけの話が多いのですよね。自分が出不精なので、ちょっとお出掛けするだけでも個人的には十分ドラマチックになってしまうんです。

ただ、フィクションとしてはやっぱり地味なので、それを少しでも劇的にしようと家出とか逃避行という設定を使うわけです。

KAC3「比類なく神々しいような」(ミステリー)

お題は「直観」。こういう題材だとやっぱりミステリ的なものが描きたくなってしまいますね。

直観、というとやはり名探偵なんですよ。ミステリは論理を明文化して説明するジャンルですけど、名探偵はそういうのを越えた直観で犯人がわかってるものなんですよね。「最初からあなたが怪しいと思っていました」とか言うじゃないですか。

推理とか証拠っていうのは、裏付けにすぎないというか、捜査機関とか読者に向けた説明ですよね。直観でこいつが犯人ってわかった、じゃお話になりませんから。犯人がわかった上で、それを証明する情報を集めていく。その過程がストーリーになる。

警察捜査小説なんかだとその試行錯誤がおもしろさだったりするのですけど、特に短編においてはそこまでする余裕はないので最短距離で走ることになります。

その直観を、クイーンの有名なダイイングメッセージ論、ハードボイルドのお約束と絡めて独自の作中作名探偵を生み出してみようという試みでした。

ただやっぱり文字数的も時間的にも厳しくて練りきれませんでした。締め切りを1日早く勘違いしてたんですけど、気づいたのが公開後だったので時すでに遅しでしたね。

KAC4「羊たちは群れをなして」(ミステリー)

お題は「ホラー」OR「ミステリー」。この文字数でミステリは厳しいよなあと実感し、書かないと宣言した矢先のお題でした。

せめてギミックを絞ってゆとりを持たせようと構想し、実際一発ネタのシンプルな話にはなったのですが、内容が薄くなったなあという気もして、むずかしいものです。

また年の差主従をやっていて、そこをもうちょっと生かせた気もしますし、構成も練れたよなあと。ただ、それを実現するには細かい部分で面倒なことが多く、そうであればこそ普段はこんなペースで作品を発表できないわけです。妥協できる口実、というのがないとなかなか発表できませんね。

そもそも、ミステリマニアしかわからないようなネタありきの話なので、そうじゃない読者にどこまで通じるんだろうと。

KAC4「聖剣士は死者王を屠れない」(異世界ファンタジー)

お題は「ホラー」OR「ミステリー」。せっかくのお題なのでホラーの方も書いてみました。

個人的にホラーとは対処も理解も不可能な恐怖を描くものだと思っています。なので、人智を越えた設定を使うことになるのですが、それをファンタジー世界でやってみたらおもしろいのではないかと。

ファンタジーにおいて、人智を越えた設定は魔法、魔術その他の言葉で説明されます。つまり対処も理解も可能なわけです。なんかそれって奥ゆかしさに欠けてかえってロマンがないよなあといういう不満が普段からなくもなく、そういう世界であえて最後までよくわからない超常現象を描いてみようというのが出発点でした。

その表現方法として思いついたのが、言葉のマジック的なクライマックスのあれで、そこから死者というキーワードが生まれています。設定としてはベタな魔王討伐ものなんですが、固有名詞の部分で微妙にずらす格好となってますね。

こういう不条理で暴力的な話はこれまでも「嵐」や「鼠を殺す」、「world's end island」でやってるのですけど、完全な異世界ファンタジーという部分で新たな挑戦となりました。

虚構の説得力って2種類あって、因果の説得力と結果の説得力があると思うんですよ。前者はこれこれこうだからこうなった、という説得力。後者は理屈はわからないけど起こってることがありありと描かれる説得力。

この話は理屈がわからないので後者の説得力が大事なんですけど、やはり文字数が厳しかったですね。本当ならパーティーメンバーの描き分けもしっかりやって、クライマックスのありあり感を高めたかったのですけど。

とにかく不条理な話なんですが、心理的、ドラマ的には一本筋を通しています。主人公を双子としたのが我ながら冴えてました。片割れへのクソデカ感情が鍵となっています。境遇の描写が実は当人たちの中ではどうでもよかったりするのも個人的な趣味です。

KAC5「スマートフォンはじめました。」(現代ドラマ)

お題は「スマホ」。字書きはやっぱり言葉に敏感らしく、ストレートにスマートフォンを題材とした作品だけじゃなく、スマホという略称に注目した作品が多かったように思います。

コメディ路線で、ほとんど漫才みたいな会話主体の話になっています。イメージとしては野中英次作品的な理屈っぽさと不条理が念頭にあり、前作に続いてちょっとずれた話にしています。単純にどっちが正しいとかリアルだとかという話ではなく、常識を相対化して異化するのが狙いでした。こういう発想はこれまであんまりなかったですね。

これはこういう話なので、あんまり不満はないです。

KAC6「ミシェル・ディディエ・ロマン翻訳委員会『ミシェル・ディディエ・ロマン短編集LXXXVII』訳者あとがき「謎めいた短編作家の妖しい世界」」(詩・童話・その他)

お題は「私と読者と仲間たち」。ストレートに創作エッセイにする手もあったのですが、ひとひねりして翻訳サークルの話になりました。今回の参加作では一番の変化球です。

やっぱりちょっと不条理というかシュールな話になっていて、それをいかにもそれっぽい文体の「ありあり感」で飲み込ませるという作りになっています。最初は普通のストーリー仕立てだったんですが、この方が大胆でおもしろいかなと。文庫巻末の解説や訳者あとがきが好きなので、その体裁で書けたのは楽しかったです。

この辺からけっこう考えて書くようになってて参考にモーリス・ルヴェルあたりの掌編を読み返してたりしました。それがまさか、作品ではなく序文を参考にすることになるとは思いませんでしたが。ロマンがフランス人であることや短編作家《コントール》というフレーズはルヴェル由来です。

KACも折り返しを過ぎたところですが、作中の理屈本位の話、つまりミステリから既成概念を相対化する不条理に関心が移ってきてますね。

KAC7「光ある場所へ」(現代ファンタジー)

お題は「21回目」。21という数字に必然性を与えるのがむずかしく、悩んでる間に時間がなくなったので書きかけの掌編に無理矢理突っ込みました。

毎回そうなんですけど、後半になるほど自分の中でハードルが上がっていって、単に公開するだけでは満足できなくなってきます。それもあって完全な書き下ろしとはいかず、文字数もこれだけ極端に少ないです。

八高線を絡めた描写がしたくて考えた話なんですけど、どうにも話としての締め方が思いつかず放置していました。そこにお題を突っ込んで自分の中でドラマ性が見えはしたのですが、わかりやすく書くだけの時間もその気もなくてよくわからない話になってます。

エンタメ的に考えるならキャンプ小説的な視点から事細かに描写していくべきだったのでしょうが、やはりめんどくさいのですよね。そういう話も書いてみたいですがめんどくさい。形式としてやりたいことはあっても、そのために考えるべき内容にあんまり興味がなくて調べる気が起きないことが多いのですよね。

KAC8「おつきあいしませんか」(恋愛)

お題は「尊い」。前回に続いて時間がなくて、お題に合致した書きかけの掌編を引っ張り出してきました。これはもう7年前の話なので、当時はまだ「尊い」なんて言うオタクはそんなにいなかった気がします。

「光ある場所へ」以上に古い構想なので、何を語ればやらですが、まあ、展開の先取り的なことがやりたかった記憶があります。

どういうことかっていうと、話がはじまったときには主人公たちは付き合ってるわけですけど、その付き合うっていうのが具体的にどういうことなのか定まっておらず、唐突に告白してよくわかんないままにオーケーされたという導入になってるわけですね。で、付き合うっていうのがどういうことか改めて確認する話になってる。

だから、好きとか付き合うっていうのを描くのにあえて展開を唐突に進めたとこから書いてる感じですね。そんな珍しい手法でもなくて、むしろ作劇の基本のような気もしますけど当時はまだ初心者でしたしそういうことが試したかったのです。

まあ、そもそも恋愛的な意味での交際ってそういうことじゃないかとも思うのですよね。きっちり両想いになって気持ちを伝え合って交際がはじまる――というのをあんまり信じてないんですよね。物語としてのカタルシスをそこに置くためにそういうことになるだけで、現実はもっといい加減な気がします。知らんけど。

KAC8「竜騎兵は帰らない」(異世界ファンタジー)

お題は「尊い」。間に合わなかった書き下ろし作品です。「尊い犠牲」という言葉を皮肉ってみようと構想しました。

お題の処理の仕方から戦争ものを書くことになったわけですが史実を用いるのはむずかしいと判断してファンタジーに振っています。その格となるアイディアが鳥竜です。いわゆる羽毛恐竜を基にした発想ですね。もふもふなドラゴンがいてもいいじゃないかと。そこから竜の冬眠とか保温性によるアドバンテージの設定が生まれています。これは零戦のイメージでもありましたね。それ単体では最先端技術の粋なんですけど戦略レベルでの不利は覆せないという。

イメージとしては近代的な戦争で、これは最近はまってる『進撃の巨人』の影響もありますね。ファンタジーな兵器が近代兵器を前にアドバンテージを失いつつあるという設定が好きだったりします。その方がロマンがあるというか、現代にはそういうものは残ってないけど過去にはそういうものがあったのかもしれないと空想できるじゃないですか。

そこからさらに近代オカルトではお馴染みのレプリティアン(爬虫類人間)の設定を絡めています。まあ、ただこの辺は無理があるので作中でも与太話として描いています。戦争にまつわる噂にはこういう与太話が付き物だよなあというリアルな実感に転化できればと思ったのですがどうでしょうか。

時系列を逆さまにした書簡体形式は「瓶詰の地獄」に倣ったもので個人的にはもう3回目くらいになるのですけど、これは特にオチが浮かばなかったからです。ストーリーとしての流れを作るだけの文字数もありませんでしたし、描きたかった叙情を強調す意味でもひっくり返す方が効果的かなと。

読者にはもうそうはならないとわかっている希望を突きつけることで反語的に寂寥感や無常感を演出するのが好みなのですよね。

KAC9「わたしと彼とテディベア」(ラブコメ)

お題は「ソロ○○」。ソロデート、という形で処理してみようと構想しました。

これもデートという文化を異化するちょっとシュールな話にしようとして、当初の構想だと相手の男の子も同じことをしているという設定だったのですが、完成作では言い訳として処理しています。

その名残で、わたしがこうなるに至った理由の説明がないわけです。やるだけの余裕もありませんでしたしね。

どんでん返し的な見せ方になってますがミステリがやりたかったわけではなく、ドラマの見せ方として結果的にこうなった次第です。

KAC10「リバーサイド・ランナーズ」(現代ドラマ)

お題は「ゴール」。ゴール間際ではじまって最後までゴールできない話を書こうと考えました。

憧れの先輩に告白する権利を賭けた親友同士の競走、川原でのかけっこという基本シチュエーションを自分なりに納得できる形で書こうとしたらこういうひねくれた形にりました。

最後ですし、自分なりの王道を描こうとしたんですけどね。ただやっぱり自分には無理だっていう話になってます。それをおもしろく描ければいいかと。作文が書けない理由で作文を書く、というのが個人的な基本戦術でもあります。

王道な設定を相対化して他人事として茶化す視点、その設定に入り込めない居心地の悪さを描きつつ、それを踏まえた上で最後は王道に戻ってくるというイメージでした。

前作同様、中盤にどんでん返しがあるんですが、これもやっぱりミステリ的なことがしたかったわけではなく、シチュエーションを相対化する視点がほしかったからです。

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