感謝されないストレス

こんばんは

今日の一章!のコーナー!

このコーナーは本を毎日1パートずつ読み進めて、その日読んだ内容の感想をコンパクトに紹介するコーナーです。


本日の「今日の一章」は、

引き続き、創元社出版 D・カーネギー著「道は開ける」より

第4章14目 「恩知らずを気にしない方法」からです。

簡潔に説明すると、この本は、
人生を生きていく上で出会うであろう悩みとどう向き合うのか
について書いてある本です。

そして、今日のテーマは、
してあげたことに対して感謝されない不快感 です。


好意で何かをしてあげたのに特に感謝されなかった

せっかく手伝ってあげたのにお礼を言われなかった 

など

感謝されない不快感的なものってよくあるなと感じます。


しかし、この本の考え方は「それで別にいい」ってことです。

どういうことかというと、
何か人のためにしてあげる時は、見返りを求めるんじゃなくて、
してあげている行為そのものに幸せを感じなさいとこの本では言っています。

はじめ、すごく綺麗ごとだなと思ったんですが、
その後の内容を読んで腑に落ちた部分があって、
これってつまり、中途半端な気持ちで首を突っ込むなってことなんだなと思えるようになりました。

結局昨日の記事と同じように、自己中であれ!って話なんですけど、
人間って「自己中になるべき」というより、そもそも自己中なんだなと思っていて、なぜなら自分がまったくやりたくないものは本来しないからです。

例えば、百パーセント善意でボランティアをしている方だって、
何かを解決したいという自分の思いのためにやっているのであって、
百パーセント自己を取り除いて活動ってできないと思います。
なぜなら、そもそもその活動をしたいという自分の気持があるからです。

話を戻しますが、そう考えると、自分の行動に対して感謝を求めるのは結構傲慢な気がしてきませんか。自分がやりたいからやったことに、さらにn感謝を求めるということが。

一方で、感謝されるとすごく気分がいいです!
なので、何かしてもらったと感じたなら感謝をしたほうが相手は幸せですし、自分も相手に喜んで貰えて嬉しいですから、感謝は積極的にするべきだとは思います。でも、それは受け手側が主体的に行うべきことであって、行動した人が求めるものではないということです。

結論、感謝をもらいたい!という感情はそもそも間違っていて、
してあげた行為そのことに幸せを感じられる行為を人に対して行っていくべきなんじゃないかということ。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

#今日の漢字
※このコーナーは日々練習中のペン字を披露する自己満コーナー

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今日も住所に関する漢字が練習課題だった。地味だ



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