かやまのてがみ

日々のあれやこれやを思い出してはお送りします。みなさん、おげんきですか?

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最近の記事

夏のはじまり、わき上がるように思い出す日たちよ

まだまだこれからと、日差しが強い午後1時。洗濯物はそんなに時間経ったかしらと思うくらい直ぐに乾いている。 梅のシロップが完成した。日々それを、仕事から帰ってすぐや、休みの日は洗濯機をまわしている間、洗い物をしたり、フル稼働な平日に見逃してきた気になるあれこれを少しだけやり進めるなどしたりして、一通りやり終えた後に、炭酸水で割って、飲み干す。喉を通る時、ビールは喉越しで飲むのだと大学のころ、誰かが言っていた。ひと息するためにと、その時間を確保するために、冷蔵庫に欠かさず確保さ

    • 夏は夜。

      19:00になっても明るい。保育園の頃、「暗くなってきたから帰るで」と言われてから、渋々家に帰っていたので、「なんで、まだ明るいやん」「いや、もう7時やで。ご飯の用意せんとあかんやん。ほら、もうちょっとしたらお父さん帰ってくるで」というような決まり文句を言われて、渋々帰っていた。汗だくのべとべとした肌に気がつくのは、帰るとき。蚊に咬まれているのに気がつくのも、その時。いろいろとそういうことを言い出して、「ほら、帰ったら真っ先にお風呂入るで」とつけ加えられる。それでも家に着いた

      • 気がつけば海と育ったのだった。

        海に沿ってあるいてきたので、机つきのベンチに腰掛ける。 マスクをこっそり浮かせて海のにおいを感じる。オレンジ色が色濃くなり、日が暮れることを知らせる。 ひと気がない。鳥のさえずり、ウッドの足音はわたしの前をゆく人たち、座っているからか風が冷たくなってきている。 日が昇ってピーク。太陽に照らされ続けて歩いていたことを今更ながらに実感する。日光にさらされ続けたにおい。体内にこもる熱。 腰掛けるつもりが、机にもたれかかる。ひんやりと冷たい。深く呼吸する。 「お腹すいたね」と言

        • 白い犬2匹とおばあさん

          2匹の白いむくっとした犬がおばあさんに連れられ、散歩をしている。どちらとも俺が俺がと主張している風ではなく、おばあさんと“よく歩いている”という感じで散歩をしている。晴れた天気のいい日、遅刻ギリギリで会社へ行く正午前、勢いよく信号でブレーキかけて曲がると、大通りでおばあさんたちにすれ違う。 2匹の白い犬を連れて歩くおばあさんをみると、ばあちゃん家の前を通る、“モリワン”を思い出す。ばあちゃん家から近所の「森口の家具屋」、そこの犬だから、森口のワンちゃん。“モリワン”。柴犬だ

        夏のはじまり、わき上がるように思い出す日たちよ

          春の風と公園と

          東京タワー、なんで青いん。 上むきながら、「危ないで」と前向くことを促されながら、東京タワーの見える方へ、走る。なんで東京タワーって青いんやろ。 トンビが悠々と飛んでいる。鳴きながら、2匹も。肌に優しい風も、強く頭の上を通り抜ける。今日は、食べ物なんも持ってないで。田んぼは斜めにはしったらはやくつくからな。お母さんに見つからんよう、ボコっとしたとこを大股でふんでくんやで。 たんぽぽ、咲いとる。ラッキー綿毛あるやん。耳に入ったら耳悪くなるんやで。片耳手で閉じて飛ばす。三つ

          春の風と公園と

          あの夏、昼さがり。胸にある感情は、すぐに消え去った

          外はぎらぎらと照っていて、舗装された道は若干ゆらめいているように見える、昼さがりの頃。 ぽつりぽつりと、ある民家から逸れ、細い坂道をのぼった山のそばに、わたしの家がある。山の木々たちのおかげで、恨めしいほどに突き刺して、主張してくる太陽は、ささやかなやわらかな明かりへと変わり、窓からはいってくる。 すこし前にごはんをたべ、電気をつけずに窓の側でごろごろしている。さっきまでの、きびきびと動いていた自分なんてすっかり放棄して、ただただまぶたが重くのしかかってきている。クーラー

          あの夏、昼さがり。胸にある感情は、すぐに消え去った

          あの夏の、特設ステージの

          ぽてっと、どっしりと、そのそれぞれが構えている。 雲ひとつとない青空で、太陽はかんかんと照っているなか、それらたちはござのうえでならんでいる。 家から急に外に飛び出すと、すこしばかり、目の奥がいたくなる。「急に眩しいところでたら、くしゃみでるねん」そんなに話をしたことはないが、なぜか覚えている誰かの言葉をふと、思い出す。 空にはとんび。まわりには山の木々たち。風に乗って、みんなで揺らめく時間があった。 わたしは、「誰もみていないから」と、家からすこし離れた場所にある、

          あの夏の、特設ステージの

          飲みものを、つくる・のむ

          日常のなかに、変わらないうれしさがあるということ。 朝おきたらケトルに水を入れて、お湯を沸かし、コーヒーサーバーにお湯をいれる。コーヒーサーバーには、急須とおなじ役割をになってもらっている。茶葉を入れ、サーバーをながめる。入れた瞬間、茶葉のまわりからじんわりじんわりと色が変わっていく様子をみるのがたまらない。 注ぐお湯の音、気分によって変えるお茶の種類、窓から入り込む光の反射具合もまた、たまらない。そんなことを思いながら、ながめる。 もちろん、飲みものをつくる時間と同じ

          飲みものを、つくる・のむ

          休日のコンビニとしごと

          暮らしている場所は変わっても、置かれた立場は変わっても、そこで感じたことを思い出しては懐かしくなるのだろう。 5月末。暑い。扇風機をつけるも我慢できずエアコンをつけたり、リポビタンDもどきを飲んだり、ごはんが食べられなくて豆腐を食べたり、とにかく毎年、春から夏にかけての季節の変化に耐えられない。 クーラーの効いた部屋で、音楽を聴きながら、電気をつけずにベッドに寝転んでいるときのしあわせといったら、格別だろう。時間はお昼ごろ。子どもたちが外でさわいで走り回っている。たまに本

          休日のコンビニとしごと

          梅エキスのビンと小学校

          外は、日がさす午後の昼下がり、カーテンで日光をさえぎりながら柔らかくなった光を部屋いっぱいに窓越しに受ける。 暑くて作るのも食べるのもおっくうだったが、いざ作りはじめたらたのしくて、お腹も空いてきて、結局たらふく食べる。眠気に誘われながらも、もうひと踏んばりで後片付けをして、ひと段落する。 外で子どもたちが大声を出して走り去るのが聞こえる日曜日。時おりボールが弾む音も聞こえる日曜日。 涼しい部屋でごろんとひと息つくと、かすかに甘い香りがただよってくる。プラムのようなすも

          梅エキスのビンと小学校

          あの夏の昼寝の時間

          ひんやりとした、クーラーのきいた部屋で伸びをする。 昼ごはんを食べたあと、昼のワイドショーを横になってみてしまう。台所では、祖母の洗い物の音がする。窓からは、主張することなくほのかに入ってくる光のおかげで、電気をつけずともやわらかな空気が流れこんできている。「すぐ横になったら、牛になるでー」とかいう言葉は、耳にはいりはするものの、ついついその心地よさにいつも寝てしまう。 昼寝から目が覚めたときには、わたしにタオルケットがかかっていたり、となりでいつのまにか祖母が寝ていたり

          あの夏の昼寝の時間

          地元のデパート

          クーラーをがんがんにかけ、目に映る景色がゆらめいている中、コンクリートで舗装された道路をぐんぐんすすむ。 小さい頃、週末に母と一緒にいった地元のデパートを思いだす。 デパートといっても、イオンモールのような大層なものではなく、地元の人達がふだん使うものや少しよそ行きのために必要なものを購入するためにあったように思う。今ではわりと(わたしの中で)身近にはなったが、103円だったころの100円均一や無印良品が入っていた記憶がある。 なにかを買ってもらえるのはもちろん嬉しいこ

          地元のデパート