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夜はいつでも回転している

95夜 タクシードライバー


タクシードライバーは乗客を降ろした後に駅前まで戻らずに帰ろうと思った。戻っても今夜はもう客はいないだろう。さっさと帰ってビールでも飲んで熱い風呂に浸かりたい。そう思って走っていると赤い服を着た女が手を上げていた。最近景気も悪い。もう一稼ぎしてから帰ってもいいか。

女を乗せる。
「どちらまで行きましょう?」
「南に向かって」
「海岸方面ですか?」
そうバックミラー越しに聞くと女は静かに頷いた。海岸沿いの国道まで来たが女は何も言わない。しばらく海岸沿いを走っていると外を眺めていた女が唐突に言う。「煙草ある?」
「いや車内は禁煙で」
「それはどうして?」
「どうしてと言われましても。そう決まってるんで」「個人タクシーでしょ?決めたのは誰?」
「まぁ私です」
「ごめんなさい。別に車内で吸うわけじゃなくて砂浜で吸おうかと思ったのよ。あなたは吸うでしょ?」
「いや、やめたんですよ」
「タクシードライバーなのに?」
「タクシードライバーは煙草を吸うものですか?」
「知らない人を乗せて知らない場所へ運んだ後に知らない景色を見ながら吸いたくならない?」
「たまに吸いたくなりますね」
「そうでしょ」

海岸沿いを走っている途中にコンビニがあり女が寄りたいと言うので寄った。女は煙草と缶コーヒーを2缶買って1缶をタクシードライバーに渡した。「ついてきて」と女に言われてタクシードライバーは女の後ろを歩いていると波の音が聞こえてきた。歩く地面の感触が巨大な爬虫類みたいな感触になって目の前に黒いインクのような海があった。女は煙草に火をつけて開け口から煙草が一本飛び出した箱をタクシードライバーに向ける。特に違和感もなく煙草を抜き取って口に咥えると唾液がフィルターに染み込んでいった。女がライターで火をつけてくれた。煙を肺に入れると毛細血管に電気が走って頭の中で彗星のように破裂した。空も海も真っ暗だった。

「どれだけ速く走れば逃げ切れるかしらね?」
「何からですか?」
「寂しさ」


                                                                                  End 

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