[暮らしっ句]四月馬鹿[鑑賞]
「おひとりさま」編
騙す、騙されるというイメージの強いエイプリルフールですが、ひとりでも愉しんでおられるという、そんな句を集めてみました。
※「おひとりさま」限定にしましょうかね。家族と暮らしておられる方には、ちょっとわからない世界かも。
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欠伸して でる涙あり 四月馬鹿 横倉由紀
ひとりでいると、人ならぬ存在や現象に親しみが感じられることがあります。「いやあね」とつぶやきたくなる。誰に向かって? それが「闇」相手なら陰気になるし病気にもなりそうですが、明るい日常相手なら、平穏な日常が続いていく。
クルマの運転にも似てるかも。ちゃんと運転していれば大丈夫。急レーキを踏んだり、ハンドル切ると、日常が中断されて、ややこしいことになりそう。内面の話ですよ。でも、内面でも事故るとたいへん。
ああ、でも、脱線するときには、このまま走ってると悪くなる一方だと思えてくるわけで、難しいですね。若いうちに小さな脱線を経験するのがいいかもしれませんが、それも選べませんし。
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経文は やたら無の字の 四月馬鹿 松山律子
わたしはこんなふうに解釈しました。
「かなり貧乏なウチだけど、”無いもの”だけはいっぱいあるのよね。それだけは要らないわ~」 あ、今のウソですからね、お釈迦様!
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四月馬鹿 突然恋が やってきた 安部里子
いい歳して恋を期待しているなんて云えば、呆れられる。だから、云わない。意識もしない。でも、四月馬鹿にかこつけるなら、云ってもいいかな、と。その場合は、実は本心ということになります。
でも、この句には、恋への期待は希薄。「恋がやってきた」ことにして、小さく満足している、という感じ。果たして、それは偽りなんでしょうか? それともいろんなしがらみを考えれば、それも本心ということなのか。
高齢者の心理もフクザツなんですよ~
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脳の中 落書ばかり 四月馬鹿 松田都青
すぐには意味がわかりませんね。でも探ると、なかなか味わい深い。わたしが気づいたの以下の三つの解釈。
最初は、「壁の落書き」のイメージ。公言できないことを闇に紛れて主張するということですから、作者の頭の中にも、鬱憤、不満がたくさんある???
二つ目は、「自分のノートにする落書き」のイメージ。そっちなら、人に見せる意図はありません。内向きな発散。そのイメージだと、頭の中にはあれこれ思うことがあるが、どれもこれも他愛もないことで、浮かんでは消えていく。こだわる価値もない……そんな解釈になるかと思います。
三つ目は、「誰かに落書きされた」というイメージ。たとえば、いわれもない批判をされたり、愚痴を聞かされたり、自慢話をされたり……、こちらが聴きたくないと思っても、聞いてしまえば、脳に書き込まれてしまうわけで、「迷惑している」という意味になります。
そこまでいわなくても、仕事が多すぎると、脳が仕事に占領された状態になるわけで、勘弁してくれ! となるでしょう。やらされている感が強い仕事だと「落書き」という表現になるのかも。
ただ、「四月馬鹿」の句ですからね。今日だけが、そうなったということですから……
あ、そうか! もっと単純な解釈で良かったのか。
つまり、朝から一日中、見え透いたウソばかり云われ続けたと。それを脳に「落書き」と表現されたんだ~
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四月馬鹿 犬の瞑想 見てしまふ 森下康子
作者には「瞑想」と「居眠り」の区別がつくわけですね。どう違うんでしょう? 犬が座禅みたいな格好をしていたのか。とても思慮深そうに見えたのか、それとも「邪魔するな!」というオーラが出ていたのか。
ともかく、「見てしまふ」という、見てはならないものを見てしまった感がおもしろいですね。
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四月馬鹿パンの缶詰ながめつつ 衣斐ちづ子
上の句とセットで鑑賞するとコントになりそう。
つまり、犬が「瞑想」してた理由は、これだったんです!
飼い主が、「缶詰」をぼうっと眺め続けていた。ずいぶん長く眺めて、ようやく開けて食べさせてくれるのかと思いきや、そのまま戸棚にしまいやがった。何だこいつ! と犬が愛想を尽かしたところで、飼い主が犬を振り返った。で、「瞑想してる……」と勘違いした。
違うねん。アンタに期待することを諦めたんや。
瞑想なんかやないで、諦観や!
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饅頭に 臍がありけり 四月馬鹿 佐藤淑子
そういうデザインの饅頭なのか、たまたま瑕疵があったのかわかりませんが、作者が、おもしろがっているのは確か。しかも、四月馬鹿とつなげれば、作者は饅頭屋さんのユーモアをちゃんと受け取っている。そういう心がけでいれば、災難は近寄ってきませんね。
……と、大真面目で書いてました。
しっかり騙されてるんやん。恥ずっ……。
出典 俳誌のサロン 歳時記 四月馬鹿
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