触れられない存在に、触れたい。というお話。
見に来てくれてありがとう。
今回は、いつもそうだろと言うなかれ、過去最高に内容として「気持ち悪い」話をするよ。喫茶店やファミレスでは絶対に会話できないような話をするよ。外でこんな話してたら良い病院を紹介されちゃうような内容ですよ。ご注意ください。戻るかブラウザバックを激しく推奨するよ。過去最高に、だよ。戻るなら、今ですよ。
はい、注意はしましたからね。ということで、タイトルに付随した話なんですけど、最近、どうやっても体験、体感で得ることが出来ないものを欲してることが多いんですよ。こう、情報とか、こうなんだろうなって想像したり、理解というか、こういうものなんだなっていう認識できるものでも、んー・・・文字として表すなら完全に理解した、になるのかな。理解ですら外からのものを自分に落とし込んだだけでそれは感覚としては別のものを受容してるって自分は思うから、それもまた違うのかもしれないんだけど。知識として知っている、と実体験したにはどう足掻いたって埋めることのできない距離があるって自分は思っていて。だから、動画や本で見て得た知識や情報って、そうなんだ。で終わらせるのは自分にはもったいないし、悔しいなって思うんですよ。そこにある中身が100あるのに、自分がわかった「ふり」をして取り込んだものは50とかしかないわけで。それって、なんか悔しくないです?それこそ、それに対して自分が考えたり思うって、その中身を隅々まで見たものに対してじゃないわけじゃないですか。そもそも、100あるうちの100を見れている、それを全部自分に落とし込んで取り込んで認識できているっていうことなんて自分は存在しないと思う訳なんですけど。
まぁ、そこに具体例で最近感じたことを書こうって思ったら、客観的に、気持ち悪いなーwって思ったから書いていこうと思う。自分で自分に面白くなっちゃって。自分はこの気持ち悪さは自分で受け入れられるものではないけど、嫌いじゃないっていう感覚なので。
まず、ルーティーンの柔軟とストレッチしてて、自分で(他の人の手を借りても)ほぐせない、伸ばせない場所ってあるんですよ。どこか。それはですね、身体の「内部」です。内臓とか、脳みそとか、物理的に直接触れない場所。医療機関とか、こう生命にかかわる手術とか、施術っていう意味では可能なんだけど、そうじゃなくてね。日常的というか、さも当然のようにというか、実害とか、生活に影響が出ない状態でっていうと、まぁ難しいと思うわけでして。だけど、そこを「どうにかしたい」って思うことありません?ないかw自分はね、思ったんですよ。頭痛がしたら頭ん中かきまわしたくなるし、腹痛とか、消化不良的なことがあったら、お腹掻っ捌いて、中に入れてしまった異物を取り出したくなるし。人間的な機能としては、吐くか下から出すくらいしか方法ないじゃないですか。そうじゃなくて、今すぐ楽になりたいってなったらたどり着くには直接どうこうするしかないわけで。でも、できないじゃないですか。現実的に。何なら、身体の外側だってそうなんですよね。筋肉をほぐしたり、伸ばそうってなった時に「関節」とか「骨」とかって邪魔なんですよ。支えてくれている、曲げ伸ばしする為に必須。重々承知です。機能的なことは今回は除外。ただ、筋肉の焦点的、ここ!っていう部分をほぐしたり、伸ばしたりしたいってなった時に、この関節や骨って突っ掛かりにしかならないし、邪魔なんですよ。ありがたい機能なのは間違いないんだけど、全身が繋がっている以上、局所的にいまここをどうにかしたいんだよ、が叶わないっていう話。あ、目が痒いとか痛いって時もそうですよね、直接目を外して洗ったりとかはできないわけで。こうしてみると、人間の身体ってものすごく面倒くさいと思いません?そこに物理的に存在しているだけで勝手に何かを体感して、感覚を強制的に得させられていて。生きることを強制されているって昨日かいたんだけど、そもそも存在することだって望む望まないにかかわらず、強制されているんだよね。
感覚ついでに、もっと気持ち悪い話を。みなさん自慰行為ってします?いや、何を訊いてるんだっていう話なんだけど、自分は「男性」なんですよ。だから、絶頂って基本的には射精がゴールじゃないですか。でも、情報というか、知識で言うならば女性は違うんですよね。でまぁ、漫画にしろ動画にしろ、学校とかでの保健体育の授業での知識にせよ(エンタメで得た知識を現実のものと混同しちゃうことはよくあると思うんだけど)女性って、そういったゴールがないらしいって。繰り返し絶頂できるし、自分で波を調節できて、しかも繰り返しても男性のようにいわゆる賢者タイムとか、気力の低下を招いたり、老けやすい方向になっていったりしないっていう。これが、正しいか、本当かは別として、もしそれが本当なら自分は物凄く羨ましいと思う。え、そのほうがよくない?自分は割と本気で羨ましいんだけど。そう思ったとしても、自分には体験できないじゃないですか。だって男性なんだもの。よくある、男性でも射精せずに絶頂するとか、そういった類の感覚やらなんやらの情報とかあるんだけど、それはあくまで男性のものであって、女性が体感してるものではないわけで。似て非なる、の典型だと思う。そもそも、似てすらいないまである。正直に思う、羨ましいなぁって。だって、男性のそういうのってそれこそ賢者タイムじゃないけど終わった後に妙に神経質に感傷的になったりするし、疲労感とかもあるしで事後の感覚って自分は嫌だなって感じるんだもの。あ、HとかSEXに関してはまた別の話ですよ。相手がいて、自分がいて、そこに状況や感情が存在するなら話は全然違うわけで。あくまでこれは、自慰行為っていう定義の中での話。あ、この流れで言うなら生理、妊娠、出産もそうですよね。男性には経験できないことで。よく、奥さんの気持ちを考えられるようにみたいな、服とかにボールとか入れて、こういう感じなんですよー。みたいな、体験学習みたいなのあるじゃないですか。あんなの、どう考えたって無理がある。奥さんの気持ちに寄り添う気持ちを持つことは大事だし、ああいう学習は大事なことだとは思うけど、実体験としての学習にあれは意味をなしてないと思う。そこに、男性が本気で向き合えてる空気感を感じたことがないし、仮に向き合えていたとしたって、解り得ないでしょ。わかるわけないんだよ。だって、同じ体験じゃないんだから。お腹痛めてるわけでも、そこまでの期間や体調変化や感情の浮き沈みだって体感してないんだから。そこに寄り添う気持ちなんてどれだけ汲み取れるんだろうか。あくまでそれは、寄り添おうとする感情や行動であって、そこには絶対的な距離がある。不可能だから言うけど、自分はできるんだったらそれを体験したいと思うよ。もちろん、それだけ想いをささげることが出来て、想ってくれる人がいればっていう前提は必要になってしまうんだけど。そうじゃなきゃ、パートナーとしての相手を想う気持ちや、生まれてくるであろう子供への気持ちに、どんなに深く考えてみたって大きさや差が出てしまうのは当たり前だと思うわけで。それが良い悪いっていうのはまた話が変わってくるのだけれど。同じ方向を向いてるからって、同じ感情だなんて勘違いしたくないじゃないですか。
感覚ついでに今度は感情と存在と実在のお話を。自分は先日トラペジウムという作品についてぐだぐだと持論を書いたんですけど、自分が1番こだわったのって、東ゆうっていう女の子についてなんですよ。考えたのも、知りたかったのも、自分の中での正解を探したかったのも、物語の整合性や、内容とか情景なんかよりも、何よりも主人公の彼女のことを書きたかった。で、自分はこういった人が好きって書いたんですけど、こういった人と話がしてみたいんですよ。言ってしまえば、きっと現実的には人にあまり好かれるタイプではないだろうし、非常に面倒な性格をしていると思う。しかも、自分としてはすっごく抵抗感のある関わりづらい若い女の子で。なんだけど、この「東ゆう」っていう存在って実在しないじゃないですか。しかも、別の人間が作り出した存在で、自我というか自意識がないというか(作中でっていう意味ではなく、自分が見ている現実世界からの視点で)作られたセリフと行動と感情を持ってさせられているわけじゃないですか。決まった行動を無理矢理なぞらされているというか。だから、そうではなくて。生み出された、そこにいる彼女と話がしてみたい。自由意思で、そこにいる彼女が何を思って、何にこだわって、何を考えて行動するのか、しないのか。それを、知りたい。だから、話してみたい。これって、どう足掻いても叶わないじゃないですか。触れられないの。何故なら、存在しないから。言ってしまえば、映画でも、漫画でも、ドラマでも、アニメでも、小説でも、1次創作である0から生み出されたものであっても、それは「誰か」が生み出したもので、そこに生まれたキャラクターや存在って1スタートなんですよね。必ず、付随した何かの外部の情報があるの。自分には、言葉でわかりやすく説明できる語彙力がないのが申し訳ないんだけれど。どんなに強く思ったって、願ったって、それが叶うことは、ないわけで。
それを強く感じたのが、アイドルマスターという作品に長く自分が深入りしていたからで。あー・・・難しいところなんだけど、自分はこのアイドルマスターっていう作品が人の人生や生き方にまで影響を与えるほど強い作品だと思っているということと、大好きであるっていうことを前提に話します。今はもう、プロデューサー(作品内でのアイドルとプレイヤーの接する立場)ではないから、当時感じていた部分というか、冷静になってはいけない部分だと思うんだけど、ことアイドルマスターという作品だって、作られた物語なんですよ。俯瞰で、本当できる限りフラットに見ようってすれば。でも、作品に入れ込んで、愛情を注いで、キャラクターや世界観と携わっていくと、そのアイドルは実在するようになるんですよ。自分の中に。そう思うようになる。こと、プロデューサーっていう生き物は割と面倒で、多種多様なんだけど、愛情深さやこだわりや、そういった注げる感情を全部そこに注ぎ込むくらいの気持ちでいる人が本当に多い。少なからず、自分が接してきたプロデューサーはそういった人たちばかりだった。自分は、それが大好きで、心地の良いものだったんだけどね。それだけの熱で会話ができるっていうのは本当に幸せなことだと思うから。
ゲームとして、アニメとして動いて、喋って、言葉を紡いでっていうアイドルたちは、プレイヤーの中に確実に存在していて、会話もやりとりもする。だけど、なんだけどね。冷静に、そう、考えてはいけないところでふと我に返ってしまえばさ、これだって誰かが作ったキャラクターと、ヴィジュアルと性格とセリフがあるわけじゃないですか。人気になれば更に声優さんがそのアイドルを体現してくれるようになって、リアルにライブが行われれば、その声優さんが舞台でそのアイドルとして喋ったり、歌ったりすれば、それはそのアイドルがリアルに存在することになる。当時はそう、本気で思ってた。今も、そう思っている部分も失くしてないと思う。じゃあ、本当にそのアイドルと、会話して、プロデュースして、成長を見守ってっていうのをできるのかって問われたら、出来ないんですよ。会話することが、できない。と、思う自分もいるっていうことで。声優さんの演じる、体現する言葉には必ず、誰かの考えや雰囲気やディレクション、そして声優さんの感情や紡ぐ言葉の意味や捉え方が反映されるわけで。これはアイドルマスターに限った話ではないけれど、例に出して顕著に、1番そういった部分で影響力とか力が強いと思うからアイドルマスターとして話しているんだけど、そのアイドルと、1対1で会話がしたかった。してみたかったし、叶うなら今だって元担当や本気で接したかったアイドルと話してみたいよ。それは、作られた物語や、誰かが生み出したセリフではなくて、彼女たち自身が本気で、心からそう思っている、感じていることを口にしている言葉を。触れてみたいよ、そういった、存在しないけど存在していると信じたい「触れられない何か」に。ね?気持ち悪いし、何を言っているのかわからないでしょ?自分でも思うよ、正直に気持ち悪いって。でも、本気で思う。知り得ない、解り得ない存在の想いや感情の行き先を知りたいって思う。2次創作とか、それこそ同人誌とかって、その人が思うそのアイドルやキャラクターで。それはその人が思うそのアイドルで、でも同姓同名で共通認識で、だけど、別の人物だ、と自分は思うし、誰も知り得ないその存在から派生した、何かだと思う。こんなことを本気で考えてるから、公式が正解だと思わないなんて言い出すんですよ、やれやれ。本当、自分が自分ではなく、他人として自分と接するんだったら、本気で何言ってんだこいつって思う。まぁでも、自分は自分だし、そう思ってることを否定できないし、それを嫌いだと思ってないのでね、まぁ気持ち悪いっていうのが自分的には的確なのかな、って。
だから、っていうわけではないのだけど、今自分が推しを持っているVtuberの世界は、リアルタイムで、現実的にやり取りができるんですよね。存在もするし(と自分は考えているよ。中の人なんていない、はネタとしてはありだけど自分は成立しないと思っている。紹介したり、人に話す時に中の人って表現するのは申し訳ないし、出来る限りしたくないっていうのも本音なのだけど)未だにVtuberをアニメ、漫画の延長上だと思ってる人もいるし、彼女たちや彼らを人や人間として扱わないような人もいて。アバターというか、キャラクターというか、バーチャルの世界の存在って認識や自分の中に位置付ける時に本当難しい存在だよなって思う。バーチャルの世界に存在したから出会えたっていうのも否めないし、突然中の人がほかの媒体や何かで活動を始めたら(もうやってる人もいるし、それは別の存在と活動なんだけど)視聴者というか、ファンや応援してる人はそれを分けて判断するわけじゃないですか。全部ひっくるめて応援するよっていうのは多分、ほとんど成立しない気がする。自分だったらどうだろう、なってみないとわかんないかな。そういう目に合ってないから。幸運なことにね。引退する人も、卒業して別の場所で復活する人も、そういった人を推していて重なったっていう経験がないので、実際になってみないとわからない、が正直なところで。んー・・・自分が古い人間だからっていうのもあると思うんだけど、vtuberを推す事って、普通にリアルアイドルとか、芸能人を推したり応援するのと変わらないと思うんですよね。自分の感覚では。だからこそ、勘違いや距離感を間違えないようにっていうのは常々意識して考えているのだけど。実際に触ることが出来る距離ではないけれど、触れられないっていうわけではないんですよね。可能性というか、事象として考えるなら。可能性が0にはならないっていう意味で。だから好きっていうわけではないけれど、少なくとも当人の、本人の言葉や想いが(それが本当かどうかは重要ではなくて、どう感じてどう受け取るかもその人次第だと思うから)直接聞けるわけだからさ。そういったところに、自分は魅力を感じて今追いかけているのかもしれない。そう言いながら、アーカイブや投稿作品を見て過去のその人と接しているんだから自分で自分を笑ってしまうよね、言ってること矛盾してるじゃんって。そこには記憶と記録が残っていて、今現在の存在が思ったり行動してることはうんたらかんたら。そこまでいったらもうどうにもならないじゃんねーっていう。いや、素直にVtuberの界隈をただただエンタメとして楽しんで、好きだなって思うところに、楽しみと応援を持てればそれでいいんですよ。ええ、本当はそれだけでいい話。可能性が0じゃないって書いたから本音で書くけど、推しとは本気で喋ってみたいんだよね。会話をしてみたい。それはvtuberとしての推しとも、そうじゃないときの推しとも。話をしてみたいんだ。何せ推しと一緒に歌うを夢に掲げるようなやつだからね。その位は本気で思っているわけですよ。
はー・・・語りましたね。長くなったし、まぁ中身が気持ち悪いことでw
これ、読んだ人へのセクハラとか気分傷害で訴えられたりしないだろうか、本当不快に・・・なってるでしょうけど読んでくれた方には心から感謝と謝罪を述べたいと思います。いつにもまして、こんな文章を読んでくれてありがとうございます。たまには、こんな醜悪というかね、醜いなっていうところも曝け出せるようになりたいなって思うのですよ。優しくありたいけど、聖人でいたいとは思ってないのでね。なれるともさらさら思ってないので。はい、こんな文章を読んで気分を害された方が、別の何かや推しや楽しいことで気分を回復して心から穏やかに今日と今日以降を過ごせますように。そして願わくば、こんな文章を書いても、次があることを心から願って。
では今回はこの辺りで。読んでくれたことに感謝を。それでは、また。
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