【夫婦でワーホリ】海外移住を決意した、自律神経バグって寝たきり夫&薬剤師1年目の妻
#自己紹介 #夫婦でワーホリ #海外生活 #とまぷのワーホリ記録
皆さん、こんにちは!とまぷ夫婦です。
5月の半ばから夫婦でカナダのトロントへワーホリに来ています。
慣れない海外で試行錯誤しながら過ごすありのままの様子を記録に残すことで、同じように海外で挑戦しようとする方の参考になれば嬉しいなと思いnoteを始めることにしました。
記念すべきこの1本目の記事では、私たちがどのような経緯でワーホリ挑戦を決意したかご紹介します。
少し長くなりますが、読んでいただけると幸いです。
(1)とまぷ夫婦のこれまで
それではさっそくわたしたちについてお話します。
とまぷ夫婦は夫の「とま」と、妻の「嫁っぷ」から名付けました。
とまは2年前から自律神経失調症で悩んでいた
とまは関西で生まれ育ち国立の進学校の高校を卒業後、関西の薬科大学に進学しました。学生時代はサークル活動や塾講師のバイト、研究室活動に勤しみながら順調に進級し、無事に薬剤師免許を得ることができました。
学生時代に取り組んでいたがんの研究を中途半端で終わらせずに、突き詰めたいとの思いから卒業後は大学院に進学しました。
これが2020年4月のこと。
そう、新型コロナが大流行し緊急事態宣言が出され、研究室にも半年近く出入りすることができませんでした。
大学院に入ってバリバリ研究したかったとまにとってまさかのブレーキ。
夏が終わるころからようやく研究室に入れるようになったものの、人数や時間の制限もあり思うように活動できない日々。
十分研究ができなかった期間を取り返すべく、昼も夜も平日も週末も関係なく実験に没頭していました。
そして、大学院3年目の2022年の梅雨。
原因不明の体調不良で何日も動くことができなくなりました。
かかりつけの内科に行って血液検査をしても異常なし、これといった治療法もありませんでした。
夏になるとようやく少し動けるようになりましたがそれでも以前のようにバリバリ実験をすることはできず。
なぜ動けないのか、どうしたら良くなるのかもわからないままもどかしい日々を過ごしました。
ある時、研究室の先生(医師)のすすめもあり心療内科を受診してみることに。
診断結果は自律神経失調症。
自律神経失調症とはストレスなどの要因で自律神経のバランスが崩れ、身体に様々な不調が現れる疾患です。
人によって症状も異なるようですが、とまは天気が崩れる前、正確には気圧が急激に下がるときに息切れ、頭痛や足のむくみなど動くのがつらいほどの症状が現れていました。
心療内科で処方される薬でコントロールしながらなんとか日常生活は取り戻したものの、大学院卒業後の進路については日本で就職できるのか悩んでいました・・・
嫁っぷは薬局に就職したが様々な壁にぶつかる
一方、嫁っぷは地方の田舎で高校までのびのび育ち、とまと同じ関西の薬科大学への進学を機に実家を離れ一人暮らしを始めました。
近くに住む祖母と毎日一緒にごはんを食べたり、茶道や華道といった部活動も楽しみながら順調に進級し薬剤師免許を取得できました。
ちなみにとまぷは大学の研究室で出会い、2020年12月から付き合い始めました。(とま大学院1年生、嫁っぷ大学4年生)
嫁っぷは以前から企業で働くことにも興味がありましたが、薬局病院実習を経て患者さんと近くで関わりたいと思うようになり薬局への就職を決めました。
独身のうちはより多くの経験を積みたいと考え関西の広域エリアのどこかに配属されるというコースを選びました。
いざ配属されたのは兵庫県の北部。
大阪からは特急で3時間かかる場所です。
新人薬剤師として働きながら目標ややりがいを見つけることができず、とまとも家族とも友達とも3時間以上電車に乗らないと会うことができず、孤独でただひたすら職場と家を往復するだけの毎日でした。
ここではあまり言及しませんが、職場の方とも馬が合わず・・・
(もちろん嫁っぷの未熟さゆえもあったと思いますが・・・)
1年目にしては高いお給料はもらえていましたが、現状を変えたいと思う日々が続きました。
(2)とまぷ夫婦がワーホリを決めた理由
とまの体調回復のために思い切って環境を変えてみよう
とまの大学院卒業を翌春に控えた2023年10月、とまから話があるから今日の夜ゆっくり話そうと言われ(嫁っぷは内心え?なに?こわ・・・と思っていました)。
その話とは・・・
「来年、一緒にワーホリに行かへん?」
嫁っぷの頭の中(???ワーホリってなに???)
その日の夜は何がなんやらわからなかったので、翌日ワーホリとは何ぞやというところから調べました。
とまがふたりでのワーホリを提案した理由は大きく3つ。
体調回復のために環境を変えてみたい
ふたり共の海外で挑戦したいという夢を叶えられる
ふたりで一緒に生活できる
先ほど言及したように、とまの体調不良はどうやら気圧変化に影響されているのではないかという可能性を考えていました。
実際、「頭痛ーる」というアプリをチェックして大きな気圧変化が予測されるときは、活動するのを避けていたほど。
日本で体調が戻りきらず思うような活動ができていない現状。
ならば、気候の変化を求めて住む場所を変えてみよう。
以前に、病院の先生にも「日本ではしんどくて大変だったけど海外にいったら、元気になった人もいるよ」と言われていました。
海外で活躍したい
とまは体調を崩す前、アメリカで研究者になるという目標がありましたが、身体が思うように動かなくなってからは十分に実験もできないため夢を諦めかけていました。
一方、嫁っぷも高校生のころから英会話を続け、英語を使った仕事がしたいと考えていた時期がありました。大学時代のアメリカへの短期留学でその思いが強まりましたが、コロナ渦での就職活動もあり海外への夢は心の奥にしまっていました。
そんな二人の海外で挑戦するという夢がワーホリで達成できるのではないかと考えたのです。
カップルから夫婦へ
とまがワーホリを提案したときはまだカップルで、電車で3時間離れた距離で離ればなれの生活を送っていました。
以前から一緒に暮らしたいという思いがあり、ふたりで海外に行けば一緒に住むという希望も叶えられる。ということでした(笑)
嫁っぷは少し強引だなとは思いましたが、海外で生活してみたいという夢もあったので一緒にワーホリに行くことを決意しました。
続いて生じた問題が、
カップルでワーホリに行く?それとも結婚して夫婦として行く?
ということです。
もちろん制度としては結婚せずカップルのままワーホリに行くことは可能です。
しかし、わたしたちにとってワーホリに行くことはお互いの人生をかけた挑戦になるため、結婚して固い意志を持って共に生きることを選択しました。
後々の話にはなりますが、もしどちらかが就労ビザを獲得できた場合に夫婦であればもう片方も配偶者ビザで一緒にいられるのではないかという考えも少しだけありました。
(3)ワーホリに向けて準備開始
とまは大学院卒業、嫁っぷは退職へ
とまの学位取得の条件として英語と日本語の論文が必要だったため、先生方のお力を借りながら卒業に向けて論文執筆に取り組みました。
嫁っぷは渡航前に家族との時間を設けたいと考えたため、2024年2月での退職を決めそれまでは薬局勤務でワーホリの資金作りをすることにしました。
ワーホリを決めた10月末から翌年1月まで、論文執筆や薬局勤務をしながらのリモートでの話し合いや準備はかなり大変でした。
週1回程度二人でミーティングをしたり、嫁っぷの誕生日旅行でも遊ぶ合間に準備を進めました。
両親への結婚そしてワーホリの報告
ふたりでワーホリにいくことの第一関門は両家の親に説明し、納得してもらうことでした。
わたしたちの想いを理解してもらうためにパワポで資料を作り、丁寧に説明しました。
ありがたいことに、どちらの両親も私たちの意思を受け入れて応援してくれました。もちろん親なのでたくさん心配もしたと思いますが、考えを尊重してくれたことに心から感謝しています。
本格的な準備開始へ
両親への説明も終わり、いよいよビザ申請や航空券の購入など本格的な準備に突入します。
これについてはまた別の記事で書きたいと思います。
長くなってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました^^
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