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私が息子に出逢うまで(6)

安静

里帰り出産を予定していたため、長期療養中は私の実家で過ごすことになった。
夫に事情を伝え、ひとりで家を出た。

産婦人科で母と合流し、検査を受けた。
「やはり切迫流産です。入院する程ではないので、自宅で安静にしてください。止血剤で様子を見ましょう。3日後、再度受診してください。」

私は少しだけホッとした。先生は続ける。
「よく、会社を休めましたね。歓迎されていないと聞いて心配してたのよ。何かあれば、相談してね。まずは回復最優先で、休んでね。仕事絶対しちゃダメよ!」

私は仕事を持ち帰っている。でも先生には言えなかった。

不協和音

検査を終え、実家へ帰ると父が待っていた。
どこかよそよそしい父の態度に困惑していると、母が察して私に言った。
「顔色が悪いとか、お腹パンパンとか、見た目が何も変わってないのに絶対安静って言われてるから、どう接していいか分かんないのよ。情けない人!」

父の妙な態度はずっと続き、次第に機嫌が悪くなることが増えた。どう接していいか分からないだけではなく、今まで自分中心で動いていた生活リズムが、私が加わることで大きく狂い苛立っているのがすぐに分かった。
ここは私の実家だが、私の家ではない。極力自分のことは自分でして、迷惑を掛けまいとして過ごした。仕事も時間を決めて、対応した。

しかし、10日程経った頃から、どうしても親に迷惑を掛けざるを得ない状況になった。

つわりが始まったのだ。
吐き気が酷く、何も食べられない。特に朝と夕方にピークが来る。
食べなくても気持ちが悪く、トイレの横で過ごした日もあった。

それまで普通に動いていた私がほぼ寝たきりになったことで、父の機嫌は悪化の一途を辿っていった。

「あいつ、ずっと寝てる。俺が作ったご飯食べなかったぞ。本当にしんどいのか?病気じゃないだろ?甘えてるだけじゃないだろうな!」

私がぐっすり寝ていると思っていたのか、父が直接私に言えない想いを母にぶつけていた。
母も、父を蔑ろにはできず、反論しなかった。

なかなか出血が止まらず、3日に1回検査があるため自宅には戻れない。
こんな状態で会社にも通えない。

居場所がない。
味方もいない。

心の支えはお腹の中の命だけだった。
泣きたくなればお腹をさすり「頑張れ頑張れ」と何度も繰り返した。

つづく…

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