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ガブリエル・夏 21 「ズランクズルト」

「ポーン 
 グーテンタークブニュブニュゴニョゴニョ。この電車は、まもなくズランクズルトホープトバンホフに到着します。お降りのお客さまは、カタツムリをお忘れになりませんようご注意下さい。ブニュブニュゲナウウンダバーシューネンタークノフ。
 ポーン」

窓際の小さな突起に、水色の折り紙のカタツムリが乗っていた。外が見えるようにと、レイが置いていたのだ。カタツムリの脳は、生涯未経験のスピードで進んでいく車窓からの風景を、どう認知し、プロセスするのだろう。そうだ、このカタツムリには、脳は入っていないのだった。でもレイは、生きている小さな友達を扱うように、そっと持ち上げて、微笑みかけてから、また胸のポケットに入れた。カタツムリの出っぱなしの角が、ポケットからはみ出している。何に反応するのかわからないけど、小さなレーダーのよう。

「ここから、ビュンヘン行きに乗るんだね。そこでまた乗り換えるんでしょう? グフスタインには、何時に着くだろう。旅のおやつと飲み物を買っていこうか?」

「14時ぐらいだよ。」

「え?!?! グフスタイン到着が、14時? ……10時とかじゃないの?」

まみもは、顔から血の気が失せるという事態が、今起きているのを感じる。レイの携帯で、さっき買った一連の列車の各駅発着時刻を見せてもらう。グフスタイン到着は、13:49 と出ている。まじかい。みんな近い近い言ってたのに。ズランクズルトからオーストリアのアルプスは。近いってひょっとして、オランダからと比べてだったの??

「今日中に帰れないじゃん。オランダまで。グフスタインに着いたらすぐ帰るんじゃないと……。」

「絶対帰らないといけないのは、明日だから大丈夫だよ。今日遊んで、明日帰ればいい。」
「でもほら、えーと、今日帰るってもうお母さんに言ってあるでしょ? それにこういう時は、宿泊を含む日程は、何かと色々の元になったりして、あんまり、よろしく、ないよね? 困った。どうしよう。」

ズランクズルト中央駅は、かまぼこ型の天井に覆われている。ガラスが多用されているので、光が溢れていて明るい。人が、色んな方向に向かって、たくさん歩いている。パン屋の前には行列ができてる。ドイツのパンは美味しい。まみもは柱の1つにおでこをくっつける。首だけで支えるには、急に頭が重すぎるように感じて。頭突きを連発すればいい解決策が舞い降りてくるというのなら、そうしたいような気分。柱の石は、ひんやり冷たい。
1個ずつ考えよう。レイはスキーをしたい。佐代さんはレイに早く帰ってきてほしい。スキーしたら今日は帰れない。大体、駅が14時ならスキー場には何時に着くんだ。レイがどうしても帰らなきゃいけないのは明日。佐代さんには電話したらいいか。レイはホリデーを楽しみたい。私はレイのホリデーをよくしたい。じゃあ明日帰す? その場合、問題は何? 私は何の心配を? そうだ、泊まるのどうなのと。どうなの? 親切な親戚のおばさんが、甥をどこかに連れてってあげる時、日程に宿泊は含まれるか? 中学や高校の修学旅行では、何泊かする。じゃあ、いいの? ちゃんとした宿をとれば……? こっちがちゃんとした引率先生の心構えで……。安全を確保し、若者を守り、大体予定の時間通りに親御さんの元へ返す……、そうか、予定が、まだなかった……。

「Jetもあるよ。何Jetだったかなぁ。夜、ベッドになってる列車の中で寝てたら、朝アムステルダム に着くやつ。」

「寝台列車? それだと……。」

それだと、多分4人か6人のコンパートメントだから、100%パブリックで、ということは、普通の、親戚や友達の普通の距離が充分保たれる。レイが、とか、私が、なんとかじゃなく、ここは一般にどう見られるかを考えよう。レイのお父さん、お母さん、夫、柚と研、もし何かの拍子で知られた場合、アムス補習校のレイのクラスメイト、その親、校長先生、担任の先生、……。うーむ。何で?ってなるか。柚と研が一緒ならありそうだけど、なんでレイと柚ちゃんのお母さんが2人で寝台列車にって、言うなぁ、言いふらすなぁ、リサちゃんのお母さんあたり。いやしかし。レイがホリデーを満喫できるかどうかの大事な決断が、リサちゃんのお母さんに左右されるって、おかしいじゃないの。

「まみもちゃん、水はガスあり?ガスなし? どっちがほしい?」 

近くのキオスクで何やら買い物中のレイがきく。

「ありがいい。」

いいか。あんまり慣れないことを色々考えなくても。必要な要素だけを考慮に入れて、間違いないと思うことをすれば、多分大丈夫だ。

「これも買ってくれたの?ありがとう。かわいい。初めて見た。」

レイは、自分には、研たちと飲んだメッツォというジュースとガムを、まみもには炭酸入りの水と、カモの形のHARIBOのグミを買ってきた。HARIBOはドイツのメーカーで、オランダに売ってるよりずっと種類が多い。

「まみもちゃん、カモが好きでしょ?」
「うん、大好き。覚えてたの? いいブレインしてますね。」
「まあね。僕たちの電車は、16番のプラットフォームから出るよ。行こう。」
僕たちの電車……。レイの頭の中では、ただの our train なんだろうけど、日本語にすると抱え込み感が強く聞こえる。僕たちの。

「ヤー、ロスゲーツ(はい、行きましょう)!」 


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