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ガブリエル・夏 2 「訪問者」

 誰かが玄関へ応対に向かう気配はない。来客に、まだほとんど聞き取れないドイツ語で話しかけられて、あわわあわわ、と対応しなければいけないのを、みんな面倒くさいと思っている。まみもだって同じなのだが、仕方ない。アイロンのスイッチを切って玄関へ向かう。
 玄関を開けると、立っていたのは黒っぽいクルクルの髪の青年だった。まみもは一瞬、青年のフレッシュな若者オーラに見とれてから、彼が柚がオランダで通っていた日本語補習校のクラスメイトのレイだと気づいた。
「ガブくん!」
ふてくされているようにも不安そうにも見えた青年の表情は一気に緩み、大きな口が耳まで届きそうに横に伸びた。
「柚ちゃんのお母さん。おはようー。」

 まみもがレイを初めて見たのは、柚とレイが4年生の授業参観の日だった。冬休み明けで、それぞれ休み中に経験、調査したことを発表するという時間、柚は転入したてと準備不足で、緊張気味に早口で短い発表を終えた。一刻も早く席に戻りたい様子で「質問はありませんか?」と聞くと、レイが手を挙げて、「柚ちゃんが発表の間、ずっと少しにこにこして笑顔だったのがよかったと思います。」と言った。生徒たちは笑い、柚は恥ずかしそうに小さな声で「ありがとうございます。」と言い、教室の後ろに並んでいた父母たちは、レイくんらしいわねという様子で顔を見合わせた。柚は緊張し過ぎていたため、もうそのことを覚えていないが、まみもはよく覚えている。新鮮だった。レイの発表は、冬休みに行った祖父宅で見つけた変わった虫についてだった。原稿は用意しておらず、ひょっとしたら、その虫について発表することにしたのもその時思いついたばかりだったのかもしれない。黒板に図を描いたり、急に思いついてクイズを出したり、答える人を親の中から指名したりしながら、目安の時間も関係なく話した。でも導入からまとめまで良い構成で、発表が終わる頃には教室にいた全員がその虫についてよく知り、親近感を持つようになっていた。
 その後も補習校の行事で見かけるレイは、日本的学校のルールではとても窮屈そうなオランダ育ちの子が多い中、いつも自由で、飄々としていて、楽しそうだった。柚によると、授業中は興味のあるトピック以外の時間、すなわち大半の時間は、漫画を読んでいるらしかった。
 まみもの家族が今の家へ越してくる前、柚との記念にと、補習校夏休み前登校日の最後の日の放課後にクラスメイトみんながアスレチック場へ遊びに行った日、久しぶりに見たレイは、手足と髪が伸びて、身体全体の割合と顔の形と声が変わっていた。縛られず、いつも何かに夢中で、ただただ可愛かった小さいレイにはもう会えないのかと、まみもは少し寂しいような気がした。しかし、時間に大幅に遅れてみんなをヤキモキさせておいて、焦る様子もなく登場し、「あ、柚ちゃんのお母さん。僕の鍵と、携帯。はいどうぞ。持っててね。カバンはその辺に置いといていいから。じゃあねー。」と流れに入っていく様子に、中身は以前と変わらないレイのようだと確認できて、寂しさは別のものに変わった。インストラクターの指示を受けながら、たまに顔を見合わせ言葉を交わして微笑む、中3の年になった子供たちは、クラスメイト全員参加でも6人だけ。服装の感じも、髪や肌の色も、課題や宿題にかける時間も熱量もそれぞれに違うようだけれど、柚以外は幼稚園の年からずっと一緒に大きくなってきており、どの子もお互いを尊重し、優しさを持って接しているのが見て取れた。いいなぁと、まみもは少し彼らが羨ましかった。転校を繰り返して育ったまみもには、そんな長年の友人も地元と呼べる土地もない。困ったらお互いを頼るような家族でもなかった。一方で柚は、5年足らずだけれどこの仲間の中にしっくり溶け込んでいるようだった。そんな様子も見られて、今日は来てよかったと、オランダ生活は柚にとってもなかなかよいものだったのだろうと、まみもはいくらか安心した。

 その時のサイズのレイが、今目の前で笑っている。目の高さが、まみもより少し上だ。
「おはよう、ガブくん。遠いところ来てくれてありがとう!
   えーとー……。どうやってきたの? 1人で?」
「そうー。夏休みだからね。自由に行動していいんだよ。あ、じゃあーって閃いて、電車を予約して、乗ってきた。」
「わあ、かっこいい〜。まあどうぞ中へ、……入る?」
まみもは下がって玄関を大きく開けた。
「もちろん! 入りますよー。それに今日泊まってもいいでしょう?」
素早く中に入って、靴を脱ぎ、揃えて、背負っていた小さなバックパックをベンチに置いて、居間の方へ進みながらレイが言った。
(……電車で? ……泊まってもいいでしょう? ……むむむ。)
まみもが玄関の扉を閉めて振り返ると、レイはもう居間の真ん中にいて、部屋を一周見渡し終わっていた。
目が合うと、レイはにっこりして、ソファーに寝転んだ。
「今日はこれで寝ようかな。僕にちょうどいい大きさ!」

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