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もっとシンプルで原始的な感じです。

この間、あきこさんに友達として認められていると感じて、すごく嬉しかった。
駅ですれ違う通行人や、テレビの中の誰でもない誰かとか、誰でもいい誰かとかではなくて、ちゃんと彼女の内側にも存在する1人だと感じられたことが、猛烈に嬉しかった。
前にもはっきりそう感じていたことがあったのに、希薄なやりとりが続く中で不安が増してわからなくなってた。

今、大丈夫、向こうにも友達だと思ってもらえてると確信できていると、友蔵スピリットの実行に痛みも苦しみも伴わない。すごくかんたん。
じゃあなんで、不安だった時は痛くて苦しかったか。わかんない。
全力の、熱烈情熱応援団みたいな気持ちのブワブワが、あきこさんに取ってはゼロか、マイナスでしかないかもしれないというさらなる不安?
全力がゼロは、いやだなあ。
それなら何か他のものに目を向けたほうがいい。

今も本当は、前と何も変わっていないんだけど、ただ大丈夫だと、
あきこさんにとっても自分が意味のある存在だと信じられるだけで、全力がムダになる気がしない。そういう心配がない。だからかんたんに友蔵になれる。

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ふくちゃんや遠軽さんは、ひょっとしたら心配しているけれど、
私のあきこさんについてのほんにゃらこんにゃらは、恋愛感情スタートでその上に築いていく、お互いの境目がわからなくなるような、入り組んだ密着した関係でも、それを求めるものでもなく、
もっと基本的な、子どもが別の子どもと遊びたがるような、恐竜好きの子供がいつまでも図鑑を眺めていたがるような、花を見てかわいいと思うような、そういうすごくシンプルで原始的なパッションなんじゃないかと思う。
あきこさんにこうしてほしいということは何もなくて、私はあきこさんが、今日も生きているというだけで嬉しくて、あきこさんの今日がいい日であることを願うだけ。
もっと話せたり、たまには一緒にビールを飲んだりする時間も持てたらすごくいいけど、なくてもいい。
あきこさんの中に、ほんの小さくても私エリアがあると信じられさえすれば、もうそれでハッピーハッピー。

普通はそういうのは、親とか兄妹と関わるうちに自然に知らないうちにできたりわかってきたりするものだったのかもしれないけど、私のオリジナル家族にはそういうヒントがなかったんだから、時間がかかってるけどしょうがない。

それに私にはポールくんがいて、いつだって話しかけられる。大事なことは、誰かが言った言葉や、自分で思いつく言葉より先に、たいてい涙があふれてわかる。

それから事実がどうこうということより、より大事なのは、どういうふうに信じるか、そういうことのようだ。

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