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Q 13. イエス・キリストの処刑は杭ですか。それとも十字架ですか?

A.はい、十字架刑で行なわれました。それは紛れもない歴史的事実であります。エホバの証人は、キリスト教会を攻撃するために十字架の使用を挙げ、神の不興を招くことであると批判します。彼らは十字架には異教的な起源があり、それを取り込んでいるのでキリスト教会は神から是認されないと批判するのです。そしてキリストは十字架ではなく、一本のまっすぐな「杭」の上で死んだと主張します。ですから、十字架を身に付けたり、教会に置いたりすることは神の不興を招くことになると言うのです。では、エホバの証人の十字架否定の間違いを証明しましょう。

1.歴史的事実の証拠

①古代の文献による証拠
(1)ユダヤ人歴史家ヨセフスの「古代史」


 「さてその頃、イエスス(イエス)という賢人が現れた。彼は奇跡を行なう者であり、また喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。そして多くのユダヤ人と少なからざるギリシャ人とを帰依させた。彼こそはクリストス(キリスト)だったのである。ピラトスは、彼が我々の指導者たちによって告発されると十字架刑の判決を下した」

上記のような文献が見つかっている。そこにははっきりと「十字架刑」と言う言葉が記されている。

(2)ローマ総督ピラトの書簡
 イエスを処刑したピラトがローマにいる友人に送った書簡には、「キリストと称える予言者イエスを十字架につけた」と書いている。

②古代遺跡の証拠

・ローマで発掘された皇室の給仕養成学校として用いられていたと言われる建物(A.D.2世紀のもの)の壁に、クリスチャンをあざける落書きが書かれていた。そこには、十字架にかかっているロバの頭を持つ人間が描かれていた。その絵の下に「アレクサメノス(信者の名前)が拝んでいる神」と書かれていた。クリスチャンでない人でさえも、その時にイエス・キリスト(彼らがあざけるためにロバの絵を描いた)が杭の上ではなく、十字架の上で殺されたということを知っていたのである。(ウィリアム・ウッド著:「エホバの証人への伝道ハンドブック」(P 56)からの引用)

2.原語的事実の証拠

①「十字架」の意味
 新約聖書の中には「十字架」と言う言葉が73回使われている。その原語はスタウロス(σταυρος)(27回)、あるいはスタウロオー(σταυρω)(46回)である。これらの言葉は通常、「十字架」と訳されるが、エホバの証人の聖書「新世界訳」では「杭」となっている。実は、このスタウロスという言葉の本来の意味は「杭」であるが、十字架を指す言葉となっているのである。新約聖書 ギリシャ語辞典 織田 昭 編には、「スタウロス」について、次のような説明がなされている。


「本来は「杭」の意。十字架。ローマ人が用いた死刑の道具。本来この語自体には「十字」という意味はないが、イエス当時の形はT字形あるいは十字形。その縦の親柱一本の頑丈な木材で地上約3mの高さに立てられ、都の城外にいつも立てたままになっており、死刑囚が刑場に運んだのは、その上に結び付ける横木で、厳密に言えば、この横木がスタウロスであったとも、また語源的には縦の杭そのものがスタウロスであるとも言われる。」

 これらの説明からわかるように、スタウロスという言葉は「十字架」と訳すべきなのです。ゴルゴダの丘(イエスが殺された刑場)には、いつも一本の親木(縦木)が立っており、イエスはその横木となる木を担いで、群衆の見世物となって刑場まで歩いて行ったのである。「スタウロス」それはまさしく「十字架」であった。

②「釘の跡」という言葉
 ヨハネの福音書20章25節には、次のように書かれている。

「そこで、ほかの弟子たちは彼に『私たちは主を見た』と言った。しかしトマスは彼らに『私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません』と言った。」

 この個所は復活されたイエスを見た弟子たちに対して述べているトマスのことばです。この個所の英文(エホバの証人の聖書)は次の通りです。

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この英文の下線の言葉に注目してください。「その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、」の釘(nail)は、「新世界訳」では単数でしょうか、それとも複数でしょうか?
「nails」となっています。そうです。複数です。もし、一本の杭であるなら、両手を重ねるので釘は一本(単数)となります。しかし十字架であるなら、手を広げ、それぞれの手のひらに釘を打たなければなりません。当然、釘は二本となります。ですから、釘は「nails」となり、手も「hands」となっているのです。

3.十字架に関するエホバの証人の偽証

エホバの証人は、イエス・キリストが一本の杭に付けられたことを証明しようとして、1985年発行の「参照資料付き新世界訳聖書」【エホバの証人の聖書】の付録の所で、ユストゥス・リプシュウス(16世紀のカトリック教会の学者)の著書「デー・クルケー・リブリー・トーレス」から引用して、その本に描かれている一世紀の拷問用の刑具として一本の杭を複写している。エホバの証人は、これを「杭」の証明としている。しかし同じ本の中に、十字架に付けられた人の複写もあり、さらに著者リプシウスは、「十字架こそキリストを処刑するのに使われた刑具である」と説明している。いかにもリプシウスは「キリストが一本の杭で処刑されたと言っている」かのように引用しているが、実際はそうではない。彼らは偽証という罪を犯しているのではないだろうか!

【上記の内容はウィリアム・ウッド著書「エホバの証人伝道ハンドブックP58に詳しく述べられている。下記がそれらの複写である】

3A07BF7A-1C16-48A9-B58B-B5C807B2E647のコピー


②十字架を異教に結び付ける
 エホバの証人は、十字架を異教徒の宗教的儀式に用いたとする。彼らは十字架に限らず、何でも異教に結びつけて、それを避け、キリスト教会はその異教にかかわるものを取り込んでいる。しかし自分たちはそれから離れているから、自分たちこそ、真のキリスト教であり、神に是認されているとするのである。しかしそれは全く証明されていない。十字架に関しても異教徒の宗教儀式とは何の関係もない。異教徒が十字架を使用したとしても、そこに起源をもってキリスト教会が十字架を用いているのではない。むしろ、異教徒が勝手に使っているのであろう。もし、エホバの証人が、異教徒がしていることをすべて避けるのであれば、今の生活のほとんどができなくなってしまうのではないか?食事の時、箸を使うことや手を組んで祈ることなど、クリスチャン以外の人が皆、していることである。
 また、決定的なことを言うなら、エホバの証人も初代会長であったC.T.ラッセルは十字架を用いていた。エホバの証人発祥の地、アメリカペンシルベニア州のピッツバーグには、組織指導者たちの共同墓地があるが、その一角にピラミッドの記念碑がある。記念碑の先端のあたりには、王冠と十字架が刻まれている。私も1985年にピッツバーグに行って自分の目で見ることができた。ラッセルは十字架を使用していたのであり、当時のエホバの証人たちも普通に十字架を用いていた。もし、それが大きな罪になるのであれば、彼らはどうなるのか?

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【重要なことは何か】

キリストの処刑は「杭」なのか、それとも「十字架」なのか。それは歴史的にも十字架による処刑であった。ただ、重要なことは形がどうかではなく、その処刑の意義である。イエス・キリストの死は、人間の罪の身代わりの死であり、人を救う御業であった。人はみな、神に背を向けた罪人である。罪人は裁かれなければならない。本当は私が、またあなたが十字架に架けれら殺されなければならなかった。しかしイエス・キリストが代わりに裁きを受けて下さったのである。それが贖いの御業である。それを表わすのが十字架なのである。クリスチャンはその贖いをいつも覚え、感謝するために十字架を見上げるのである。十字架は神の愛の現われである。誰でもイエス・キリストを自分の罪の贖い主と認め、信じるならば、罪赦され、天国に行けるという道を開いて下さったのである。

 エホバの証人の皆さん、イエス・キリストを自分の救い主として、また神として信じて下さい。イエスを信じる者はだれでも救われるのです。それが神の願いであり、神からの恵みなのです。

 皆さんが一日も早く、サタンの支配下から救われ、真理に目覚めますようお祈りしています。

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