ブレイク詩集

題:ウィリアム・ブレイク著 土井光知訳「ブレイク詩集」を読んで

どこで知ったか記憶がないが、紹介されていた詩を良いなと思い読んだ詩集である。結論から述べると言葉が柔らかくて実感を伴わせた感情が素直に表現されている。日常に張り巡らされている感覚が喜びと悲しみを歌い、柔らかくて優しい言葉が包んでくれる詩である。類似の詩人を選ぶとするなら、エミリー・ディキンソンを思い浮かべるが、ディキンソンのような小さな秘密や神秘性はない。言葉の運び方が似ていないこともないということだけである。ブレイクには霊性に預言性や潜まれている神性への崇拝や恐れなどがある。本書の表題に書かれた文章を紹介しておこう。『「日はのぼり/空はうららか/こころうきたつ 鐘は鳴り・・」「母さんはうめき 父さんは泣いた/私はあぶない世界へとびだした・・」歓喜と絶望を、そして呪縛からの解放を歌う――ブレイク初期の傑作三詩集を収録』したと書いてある。


訳者土井光知による「解説――詩魂とゲニウスについて」では、ウィリアム・ブレイクは1757年にロンドンに生まれる。銅版画の修行を始め、銅版画師として活躍する。彩飾版画による詩と図版との組み合わせがブレイクの詩の特徴となる。ネットで調べると怪奇と幻想に宗教性を加えた見ごたえのある図版である。通常の宗教画とは異質なこの図版だけ見ていても飽きがこない。詩と図版とを共にして再現して欲しいものである。調べれば画集としてあるかもしれない。なお、ゲニウスとは霊魂を目覚めさせる役割を果たす想像力であるが、この訳は確定しておらず文脈によって、天才、守護精霊、精神、詩魂などと異なって訳されているらしい。

ウィリアム・ブレイクはテムズ川南岸のラベンスに住居を移し、この時代が最も充実した時代であったらしい。本書に収録されている「無心の歌」、「経験の歌」、「天国と地獄の結婚」もこの時代に作られたものであるらしい。訳者土井光知によると「無心の歌」は汚れを免れた無垢の世界が主題となり生命の歓びを歌い、「経験の歌」は無垢の状態を喪失した悲しみの世界、絶望と悲しみもがき苦しんでいる歌を歌っているとのこと。「天国と地獄の結婚」はロマン主義のマニュフェストとも呼ばれている散文詩である。ここで短かつ、かつ気に入った詩を紹介したい。原文は読んだことはないが、訳は幾分古典調である。

 羊飼

羊飼う身のうれしいなりわい
朝より夕べの岡のふもと
羊のむれのあとを追い
口をもれるは讃え言

聞くは仔羊のあどけない声
母の羊のやさしい答えかた
見まもるは羊飼そばにありと知る故
心安らかな彼らのすべての姿

寸評:「彼らのすべての姿」が全体を引き締め、母と子も含めた羊飼いの歓びが歌われている。

ゆりの花

しとやかなばらは棘を出し、
おとなしい羊は角でおどす、
白ゆりの花はただ愛を喜び
輝く美をそこなう棘もおどしもない

寸評:たぶん一番短い歌である。こういう詩は嫌味になりがちであるが、白ゆりが洒落て静けさに包まれている。

誰かしら詩人の作品を原文で読んで解釈してみたいとしたら、ウィリアム・ブレイクはその一番手になるに違いない。後は、エミリー・デキィンソンか、サッミュエル・テーラ・コーリッジか、それともヘルダーリンか。でも、そこまで手は回らないだろう。

以上

詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。