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中銀カプセルタワービル滞在記

この記事を書いているちょうど3日前に、『中銀カプセルタワービル 最後の記録』刊行記念トークイベントが代官山の蔦屋書店で開催され、そこで持ち時間10分で中銀カプセルに滞在した体験をプレゼンする機会がありました。

今日はそのスライドを使って、私の中銀カプセル滞在記をご紹介します。

表紙のスライド。よく見ると、中銀カプセルタワービルにかかっているネットが、少しはだけているのが分かります?チャイナドレスの裾が少し開いているかのような。私がここに入居したのは、こんなタイミングの頃でした。

私が中銀カプセルタワービルに住んでいたのは、2019年10月22日から11月21日までの一か月間。「中銀カプセルタワービル 保存・再生プロジェクト」の一環として、マンスリーカプセルというプログラムに応募しました。申し込んで当選すると、そこに一か月間住めるというもの。ちなみに滞在に必要な料金は12万円です。この金額が、なかなか絶妙で。面白半分の冷やかしの人にとってはなかなか高い金額で。でも、どうしてもここに住んでみたい人にとっては「払っても良いかな」という金額。もちろん、僕は後者です。

だって、黒川紀章さんが設計した、歴史と伝説の多いこの建物に、1か月間住むことができるんですよ!しかも、場所は銀座八丁目という、新橋・汐留・銀座・築地に近い最高の立地。この近くのホテルに何泊かするだけで、このくらいの金額はかかりますからね。この、ユニークな部屋を一か月間、自分の拠点にできるっていうのは、素晴らしい。

私が入居した、2019年10月22日というのは、ちょうど年号が平成から令和に切り替わった年で、その日は「即位礼正殿の儀」が執り行われ、朝からずっとテレビでは海外からたくさんの国賓がやってきたニュースが放映されていました。この日は、中銀カプセルの真ん前にある首都高が閉鎖になっていて、車が一台も通らない状態。とても静かな中、雨が降っていて、ドアの外からコアシャフトに響き渡る雨だれの音だけが聞こえてきました。

もうひとつ、この2019年は大きな台風がやってきた年でもあります。私が入居する10日前、10月12日にカテゴリー5のスーパータイフーン「ハギビス(台風19号)」が日本に上陸。「令和元年東日本台風」と命名されました。このような形で、大きな台風がやってきて名前が付けられるのは、昭和52年の沖永良部台風以来、42年ぶりとのこと。

その台風の影響で、中銀カプセルタワービル全体を覆っているこのネットの一部が綻び、風の強さと向きによってはハラリとはだける状態に。私が住んでいたカプセルも、時々ふわっと窓の外のネットが消えることがありました。ある、一部のカプセルだけ。この、特定の期間だけ、ネットが消えて外界と直接つながる感じ。

すごく良いタイミングで、このカプセルに入居できたなと感じました。

中銀カプセルタワービルに1か月間入居できることが決まって、うれしさのあまりさっそく名刺やステッカーなど、いろいろデザインして制作しました。ちょうど、会場で配っていた中銀カプセルタワービル50周年のロゴ入り缶バッジも、この時に私がつくったステッカーのデザインを作り直して、提供させていただいたものになります。

中銀カプセルタワーでの生活をワクワクして待っている間、滞在中にやってみたいことをブログに書き出してみました。すると、あっという間に100記事を超えました。

こちらのスライドは、1か月の滞在期間中に実際にやったことをまとめたものです。こちらも、ブログに記事として書いています。黄色にハイライトした項目は、事前に「やりたいこと」としてアイデアを出していたもの。緑色のものは、滞在中にいろんなつながりやきっかけがあって予定外に実現したもの。滞在中の活動記録として、こちらも100本以上の記事を書きました。

一か月間の滞在中にやったことのいくつかをご紹介します。

ドローンが飛び交う宇宙食ナイト

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アメリカで陶芸彫刻を中心にアートを学び、ロサンゼルスでホームレスになりかけつつもフォトグラファーとして仕事を得て、その後日本でウェブデザイナーからデジタルマーケケターへ。

日曜アーティストとして、今まで展示した作品や、開催したワークショップなどをまとめていきます。

「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。