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東京マラソンを完走するまで10年

高校時代は陸上部でした。400メートルと、400メートルハードルが専門。陸上八種競技の大会にも出場しました。

もともとスポーツは大好きだったのですが、2003年にソフトボールの試合中に怪我をして、右足首の靭帯を手術して以来、約10年くらいスポーツから遠ざかってました。

もう一度、走ることの楽しさを思い出すことができたのが、元オリンピックマラソン選手の市橋有里さんと一緒に走るという、2012年と2013年に開催されたアクエリアスのイベントにて。

走りながら市橋さんに「僕、陸上部で短距離だったので、実は長距離を走るの苦手なんですよね。なにか、走れるようになるコツはありますか?」と質問したら、「走ることです。走り続けてみましょう」と、禅問答のような答えが。「そうか!走り続けることか!」と、以来僕は走り続けてきました。

撮影:徳力さん

さっそく、2013年の秋に、皇居を一周する5kmの大会に出場。その後、距離を伸ばして10kmに。熊谷の夏マラソンでは、ハーフにチャレンジしたものの、熱中症の脱水症状でダウン。完走はしたものの、「もっと走り続けなければ」と思いました。

途中、マスターズ陸上の大会にも参加し、東日本の大会で400メートル走の銅メダルをとったりもしました(悪天候で、参加者が3人だった)。

5年前からは、毎年新潟の上越市で開催される「上越謙信きき酒マラソン」に参加して、20〜24kmの距離を走っています。この大会も、ここ2年はリモートでのオンライン参加ですが。

2020年に、念願の東京マラソンに当選!はじめてのマラソンにチャレンジする予定が、この年は新型コロナの影響で一般参加は中止に。出走権が2021年大会に移行して、昨年の10月にいよいよ走れることになったのですが、これも延期に。そして、2022年3月6日の今日、ようやく念願のマラソンを走ることができました。

ここまで、長かったー。「いつかマラソンを走れるようになりたい」と思った夢が、叶いました。

アクエリアスのブロガーイベントがきっかけて走ることの喜びを再確認し、その後1年ごとに5km、10km、20kmと走れる距離を伸ばしつつ。そういえば、きき酒マラソンに参加するきっかけも、余市で一緒にウイスキーをつくったブロガー仲間の方に教えてもらったからでした。エリック・ワイナイナ選手と一緒に走るイベントなんかにも参加して、娘も一緒に走りました。

走るイベントと言えば、J-WAVEのイベントでハリー杉山さんからタスキを受け継いで、レイチェル・チャンさんと一緒に走ったことがあります。この時、この企画の監修をして、かつ一緒に走ったのがジョセフ・テイムさん。クリエイティブワークショップでご一緒し、その時もワークショップにはさまれた週末に東京マラソンに参加していらっしゃいました。今年で、12回目の参加。今年はようやく一緒に走ることができて、それもまた感慨無量のポイントでした。

この、メモリアルな東京マラソン。2012年に市橋さんと一緒に走ったあのアクエリアスのイベントから、もう10年近くも経つんですね。東京マラソンへの出場が決まってからも、中止や延期を経て2年も経ってますが。ようやく、2022年に初めてのマラソンを完走できてしみじみと嬉しいです。

この東京マラソンでは、2013年に大阪で市橋有里さんと一緒に走った時にいただいた、アクエリアスのシャツを着て走りました。

「走り続ける」っていう、あの時の言葉を噛み締めつつ。

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アメリカで陶芸彫刻を中心にアートを学び、ロサンゼルスでホームレスになりかけつつもフォトグラファーとして仕事を得て、その後日本でウェブデザイナーからデジタルマーケケターへ。

日曜アーティストとして、今まで展示した作品や、開催したワークショップなどをまとめていきます。

「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。