見出し画像

アート作品の社会的メッセージ性

確か、昨日の夜はアートの表現と、社会的な主義や主張についての話をしていたと思うんだ。作品の社会的メッセージ性というもの。中村政人さんと、その研究室の学生さんたちとも一緒に、優美堂の施工完了(仮)慰労会で。

お酒も入っているので、正確な話の流れはアルコールと一緒にその場で流れていってしまったけど、今朝散歩しながら、あらためて少し自分の頭の中でその時の議論を再構築してみた。結果、たぶん昨日の酒宴の席での会話とは少しずれてしまっているかもしれないけど、備忘録的にここに書き残しておく。

* * * 

個人的な感情を超越した、社会に向けてのメッセージを作品に込めるということ。もちろん、それはアーティストの活動としてはごく自然で納得のいくものなのだけど。ただ、確かに「あれ?この人はなんでこんなことを言ってるの?」っていう、ちょっとした違和感を感じることもあるわけで。社会的な問題についてのメッセージであることはわかるのだけど、ことさらにセンセーショナルな表現で問題定義はしているだけで、なにかこう、薄っぺらいというような。本で読んだり、ネットで触れただけの知識やデータを取り込んでみたというだけで、本質的な部分に足を踏み込んでいるわけでもなく、表面をなでているだけのようにも見える。「で、何を言いたいの?」って、聞き返したくなるような。

アートというものが、解決を伴わない単なる「問い」であるのならば、それはそれで良いのかもしれない。世の中に問いかけをした時点で、その作品としての役目が完了しているならば。でもやっぱり、その先を期待してしまう。単なる興味深いだけの風刺画的な作品ではなく、実際に人の心を動かして、社会が変わっていくような。

(ここで、ヴィック・ムニーズさんが頭に思い浮かぶ)

作業台の上や、白い壁から飛び出して、実際に人や社会を動かすような作品をつくる人もいる。そういう人たちは、もしかしたら肩書が「アーティスト」だけではないのかもしれない。その枠から飛び出すことが、アートからの決別なのだとしたら。

僕は、アートやアーティストというものに対して、期待をしすぎているのだろうか。

「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。