1998年の『職探しの旅』

『職探しの旅』と言えば聞こえは良いが、要はホームレスのように住所不定無職の状態で、あてもなく仕事を探していたということ。

1998年の夏。アメリカ西海岸を85年式の日産マキシマで移動しながら、いきあたりばったりの就職活動をしていた。まさに、飛び込みでの職探し。コネもツテもないところに、作品をつめたポートフォリオを抱えた留学生あがりのアジア人がやって来たところで、面接にすらたどり着くのは難しい。もし僕が、企業の採用担当だったとしても、そんな得体のしれない求職者は丁重にお断りしただろうね。

どうしてそんなことになったのか、説明するにはそこから少し時間をさかのぼる必要がある。

大学を卒業する6週間前、僕は親しい友人を事故で亡くした。当時僕らは、ネバダ州のリノという街に住んで、地元の大学に通っていた。砂漠の真ん中にある、小さなカジノタウン。

僕がケイと出会ったのは、アメリカに来て初めて受講した大学のクラスでのこと。小さくてかわいらしい、けど芯の強い女の子。同じ日本からの留学生ということで、僕らはすぐに打ち解けた。

その後同じクラスを受講することはなかったけど、お互いの家を行き来したり、仲間と一緒にキャンプをしたり、ドライブに行ったりなど、ずっと仲良くしてた。

大学四年生になったある日、
「お土産あるから、うちに来ない?」
と、ケイに誘われ、学校帰りに彼女の家へ立ち寄った。

夏休みの間、ラスベガスに行っていたとのこと。
「ジュエリーのコンベンション。すごかったよ!」
と言いながら、彼女は興奮した様子で、僕に小さな真珠のアクセサリーを渡してくれた。

「卒業したら、宝石デザインの専門学校に行こうと思うの」
そう言って、その学校のカタログを開いて、こっちに見せてくれた。

「ふーん、いいね」
と、僕はありきたりな答えを返す。

「で、トモはどうするの?卒業したら」
と、カタログを見つめながらケイが僕に聞いた。

「さぁ、ね。いろいろ当たってみたんだけど。どうもうまくいかないんだな。アート学部を選んだ時点で、もうアウトなのかもしれないよね」
と言って、僕はケイの方を見た。

ケイは、カタログから視線を外すことなく、ずっと見つめていた。
僕もまた、そのカタログに視線を戻し、じっと見つめた。

二人とも、しばらくの間ずっと無言でカタログを眺めていた。

* * * 

「ケイが交通事故で亡くなったって、もう聞いた?」
共通の知り合いから、電話でこう聞かれた時、なんて答えれば良いか分からなかった。

あと6週間で、一緒に卒業するはずだった。ケイはその後、宝石デザインの専門学校に進む。でも、僕は……。

卒業後の進路も見つからず、逃げるように日本へ帰る予定だった。もちろん、日本での就職先のあてなどない。ただ、日本に帰りさえすれば、何かしら仕事が見つかるだろうという安易な考えだった。

「もしかしたら、死ぬべきだったのは僕の方だったのかもしれない」
と思った。死神が、僕と間違えてケイを連れて行った。そうとしか考えられなかった。

「じゃぁ、僕がケイの代わりに、もう少し夢を追いかけてみよう……」
そして僕は、卒業後に『職探しの旅』に出た。

* * * 

本当にギリギリだった。ロサンゼルスで広告写真を撮る仕事を手に入れた時、全財産は200ドル(約2万円)しか残ってなかった。もちろん、日本に帰る飛行機代にも足りない。

でもなんとか、自力で仕事を見つけることができた。ラッキーだったとしか言いようがない。たまたまロサンゼルスで知り合った人が、この仕事を紹介してくれた。大学で、写真とデジタルアートのスキルを身につけておいて良かった。そしてそれをポートフォリオに加えておいて良かった。いろんな幸運が重なって、ホームレスのどん底からなんとか仕事を得ることができた。

あともう少しタイミングが遅かったら、その200ドルが底を尽いていたら、僕は知り合いもいないこの街で路上生活者になるしかなかっただろう。

そのスタジオで写真撮影の仕事をするようになってしばらく経ったとき、部屋にある本棚にあるものを見つけた。その薄い冊子には見覚えがある。

それは、ケイが見せてくれた宝石デザインの専門学校のカタログだった。
気づいた瞬間、僕は思わず笑ってしまった。

そりゃそうだ。確かに、偶然にしてはできすぎだもの。
この仕事にたどり着いたのは、見えない誰かが導いてくれたからだったんだな。

「トモ、なにニヤニヤしてるんだ?」
と、イスラエル人の社長が声をかけてきた。

「このカタログがね……。いや、なんでもない。友達のことを思い出してた」
と、僕はこたえた。

広告用に宝石アクセサリを撮る仕事を1年間続けた後、僕は日本に戻ってきた。

アメリカでの仕事経験のおかげで、WEB制作の業界に進むことができ、現在はそのスキルを生かしてデジタルマーケティングの制作現場で働いている。

20年経った今でも、街で宝石の広告を見ると、ふと足を止めて眺めることがある。そして、どこからか視線を感じて、思わず笑みがこぼれる。

「君の分まで、頑張ってるよ」


「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。